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相手の言いなりが心地いい。

こんにちは!優柔不断な、とうふちゃんです!

さぁ、タイトルが病んでおりますが、ぜひお付き合いください笑


相手に意見を委ねたい

子供の頃から何かしらの決定権を委ねられるのが苦手でした。

「とうふちゃんはどっちがいい?」

そう聞かれると、まず、”この人はどっちがいいんだろう”と考えてしまうのです。
そう考え出すと、”私がこちらを選ぶと相手は困るかな”とか自分の意思ではない何かが私の心を揺さぶり始め、本音がどこへ行ってしまったのか分からなくなるのです。

そして私の必殺技「どっちでもいいよ」が炸裂してしまうわけです。


相手に合わせる自分が好きなんです。

譲ってもらった意見を自分が選んで失敗してしまったら。
相手に対する申し訳なさで死にたくなります。

譲ってあげた意見を相手が選んで失敗してしまったら。
私は譲ってあげたから、それだけで”悪いことはしていない、良かった”という解釈になってしまいます。


言いなりになる

楽なんです。言いなりって。
むしろ、〇〇してって言われてやることは、その人のためにしていることであって、何かしらその人にとって得をすることなので、”私この人の役に立ってる”と思える瞬間が嬉しいんですよね。

Mなのかもしれませんね笑

対相手になると自分の願望がほとんど無くなります。
相手のしたい事をしたい。よく言えば奉仕の精神みたいな笑


でも果たしてこのままでいいのか。

本来の私の性格はそんな優しい性格じゃないんですよね笑

仲のいい母親とかに対してだと、自分の食べたいものとか要望とか結構言います笑

長く一緒にいる相手には自分のしたい事がすっと言えるのかもしれません。

なので、言いなりが心地いいというところから脱却するのに恐ろしく時間がかかるということ。

言いなりが心地いいと思ってる私と友達になりたいって人がまず少ないんですよね。

というかそんな私と友達になりたい人はヤバい奴か投資とか詐欺に利用してくるような奴な気がします笑


なんか取り留めのない話で申し訳ないんですが、もう少しね、自分の意思っていうのを見つめ直してみたいなと思います。

見つめ直しても、中々見つからないと思いますが( ̄∇ ̄)

拙い文章最後まで読んで下さり、ありがとうございます。



次回【処女が女性用風俗に行った話(予約編)】

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