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74. 第4章「行け行け東映・積極経営推進」

第11節「テレビ映画の飛躍 東撮中編」

④ 受注先の拡大

 これまでは東映が設立した日本教育テレビ(NET)からの制作受注のみでしたが、1962年、初めて日本テレビ(NTV)より中山昭二主演『ヘッドライト』(1962/10/4~1963/3/28)の制作を請け負います。このテレビ映画は、私立探偵も兼ねる青年弁護士が活躍し事件を解決する物語で、1963年1月3日よりは『青年弁護士』と改題しました。
 次のNET系以外の他局番組も、東映京都テレビ・プロ受注1964年NTV松方弘樹主演『つむじ風三万両』(1964/10/28~1965/1/.20)、東撮東映テレビ・プロ受注1965年のNTV内田良平主演『馬喰一代』(1965/12/15~1966/3/9)とNTVからの受注作品でした。
 そして1966年から、NTV保積ペペ主演『丸出だめ夫』(1966/3/7~1967/2/7)、TBS緑魔子主演『マコ愛してるゥ』(1966/4/5~9/7)、CXフジテレビ)・東映京都テレビ・プロ受注大川橋蔵主演『銭形平次』(1966/5/4~1984/4/4)、と他局作品の請負いが本格化して行きました。

⑤ 東映メロドラマへの挑戦 

 東映はこれまで映画、テレビで男の活劇を数多く作ってきました。1963年、初めての試みとしてNET昼帯番組メロドラマ北城由紀子主演『愛より愛へ』(1963/7/1~12/27)を制作します。

1963年7月発行 社内報『とうえい』第66号

 その後、東映テレビ・プロによる昼の帯ドラマは、1965年にNET系にて、1960年に成瀬巳喜男が映画化した霧立のぼる主演『娘・妻・母』(1965/12/06~1966/03/04)、1967年にNTV小畠絹子主演『有料道路』(1967/01/30~1967/04/28)の2シリーズを制作しますが、これを最後に昼の連続ドラマを作ることはありませんでした。

⑥ アクション物の発展

 東横映画初期の大ヒット作片岡千恵蔵主演『にっぽんGメン』(1948年)はシリーズ化され、東映になっての第4作波島進主演『にっぽんGメン 特別武装班出動』(1956年)からは東京撮影所(東撮)で製作されました。

1961年7月公開 東映『にっぽんGメン 特別武装班出動』小石栄一監督・波島進主演

 これらの映画は、凶悪犯や組織犯罪集団などを相手に拳銃の打ち合いなどの派手なアクションが繰り広げられ、前回紹介しましたテレビ映画『捜査本部』、『特別機動捜査隊』などセミドキュメンタリータッチの刑事物とは趣の異なるアクション物でした。
 1962年、東撮テレビ映画で、FBIやICPOなどをヒントに設定された国際特命捜査局の活躍を描く、竜崎一郎主演『国際捜査指令』(1962/8/26~12/30)が作られ、テレビ映画でも国際的アクション物が始まります。

1962年8月発行 社内報『とうえい』第55号
1962年8月発行 社内報『とうえい』第55号
国際捜査指令

 1953年、東映に入社、東京撮影所(東撮)に助監督として配属された深作欣二は、1961年、ニュー東映にて千葉真一主演『風来坊探偵』2作で監督デビュー、続けて千葉主演『ファンキーハットの快男児』2作を監督しました。激しいアクションがテンポ良く展開されるそれらの作品は、現代的センスの新しいアクション映画として高く評価されました。その後も、東撮にてギャング映画や『狼と豚と人間と』などのアクション映画を次々と監督して行きます。

 主演の千葉真一は、日本体育大学に入学し器械体操でオリンピックを目指すもケガで断念。1959年、第6期ニューフェイスとして東映に入社しました。1960年に子供向けテレビ映画『新・七色仮面』で主演デビュー、続いて同じく子供向けテレビ映画『アラーの使者』に主演します。そして、1961年の映画『警視庁物語 』2作に出演した後、『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』で映画初主演を飾りました。その後も、数多くの映画に出演し、1962年『恐怖の魔女』、1963年『八州遊侠伝 男の盃』『殺人鬼の誘惑』『柔道一代シリーズ』などに主演、若手スターとして活躍します。 1966年には、再び深作監督の日台合作映画『カミカゼ野郎 真昼の決斗』に出演、高倉健と共に派手なアクションを展開しました。

1966年6月『カミカゼ野郎 真昼の決斗』深作欣二監督・千葉真一主演
1966年6月『カミカゼ野郎 真昼の決斗』深作欣二監督・千葉真一主演

 1968年、美術出身のプロデューサー近藤照男が企画し、若手の注目株深作欣二監督を起用して演出構想を練ったテレビ映画、TBS系『キイハンター』(1968/4/6~1973/4/7)が始まります。この作品はNET以外のテレビ局からの受注を受けるために作られた東映東京制作所(1965年設立)が手掛けたテレビ映画で、国際警察特別室に所属する元国際警察外事局諜報部員のリーダー黒木(丹波哲郎)以下6人(川口浩第60話から参加)の特殊スタッフ、キイハンターが活躍する国際色豊かなアクションドラマでした。
 中でも、千葉真一が自ら身体を張って取り組んだド派手なスタントアクションが人気を集め、高視聴率を獲得します。
 また、エンディングで野際陽子が歌う主題歌非情のライセンス』の人気が高く、その歌詞は『キイハンター』で2話監督した佐藤純彌が書いたものでした。

キイハンター
1968年11月発行 社内報『とうえい』第129号

 TBS系土曜21時の枠は、人気を呼んだ『キイハンター』終了後も小川真由美主演、谷隼人丹波哲郎もレギュラー出演する『アイフル大作戦』(1973/04/14~1974/05/04)、再び丹波哲郎が主演し谷隼人がレギュラー出演する『バーディ(後にバーディー大作戦』(1974/05/11~1975/05/17)、7年間放映された丹波哲郎主演『Gメン’75』(1975/5/24~1982/3/27)と続き、東映が14年に渡ってアクションを繰り広げることになります。そのきっかけを作った記念すべき作品が『キイハンター』で、これらすべての作品を企画したのは近藤照男でした。
 

キイハンター
アイフル大作戦
バーディー大作戦
Gメン’75

 1982年3月末に終了した『Gメン’75』は、その半年後、日曜20時に時間帯を移し、再び丹波哲郎主演でメンバーを入れ替え『Gメン’82』(1982/10/17~1983/3/13)が始まります。しかし、激戦区でもあり、視聴率があがらず5か月で終了しました。

 『キイハンター』が放送を開始した翌1969年、東映は初めて東京12チャンネル(現・テレビ東京)系にて『プレイガール』(1969/4/7~1974/9/30)を請け負います。東映東京制作所が担当したこの作品は、主演の沢たまき率いる女性保険調査員グループによるお色気アクションが評判を呼び、メンバーを変えながら5年半に渡るヒットシリーズとなりました。

プレイガール
プレイガール
1969年3月発行 社内報『とうえい』第133号
1969年4月発行 社内報『とうえい』第134号

 終了後も、主演の沢たまき率いる探偵事務所の設定に変えて『プレイガールQ』(1974/10/7~1976/3/29)として引き続きお色気アクションを展開しました。

プレイガールQ
1974年9月発行 社内報『とうえい』第188号

 『プレイガール』が放送された東京12チャンネル月曜21時枠に、1979年、『ザ・スーパーガール』(1979/4/2~1980/3/17)が登場、再びお色気アクションを振りまきます。この作品は『キイハンター』に出演し人気を得た野際陽子率いる探偵事務所が舞台で、『チャーリーズ・エンジェル』を意識した設定になっていました。山本リンダジャネット八田新藤恵美などの人気女優に加え、泉じゅん日向明子などのセクシー女優も出演しています。

ザ・スーパーガール』終了後、由美かおる主演の『ミラクルガール』(1980/3/24~7/28)が引き継ぎます。藤田美保子ホーン・ユキ日向明子伊佐山ひろ子などのセクシー女優も出演しましたが健闘むなしく4か月で終了。『プレイガール』以降11年以上続いたお色気セクシーアクション路線枠の幕を閉じました。

ミラクルガール

 『プレイガール』が始まった1969年、同じく女性お色気アクション物として、西野バレエ団の人気5人娘、金井克子由美かおる原田糸子奈美悦子江美早苗が出演する『フラワーアクション009ノ1』(1969/10/7~12/30)がCX系で放送されました。

フラワーアクション009ノ1 ©石森プロ・東映
1969年10月発行 社内報『とうえい』第139号

 東映はこれまで培ってきたアクション映画の伝統を活かし、そこに深作欣二や千葉真一の新しい才能を加えることで『キイハンター』を生みだし、NET系ばかりでなく、TBS系でもレギュラー枠を長期に確保することができました。
 また、岡田茂が進めたお色気路線をテレビ向けにソフトにアレンジした『プレイガール』は、1964年開局の新興ネットワーク、東京12チャンネルの名物番組となり、これによって東映全民放キー局すべての受注を果たすことができました。