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㊺ 第4章「行け行け東映・積極経営推進」

第2節「新しい時代劇映画への挑戦 前編」

 1961年GW公開の黒澤明監督の『用心棒』は、東映時代劇制作陣に強い衝撃を与え、これまでの時代劇映画作りに対する自信が土台から崩れて行きます。

 テレビの普及で、これまで東映時代劇を支えてきた観客の多くがお茶の間で気楽に見られるテレビに興味を移し、有料の映画に人を集めるためには、テレビで味わえない刺激や迫力が必要になると考えられ、『用心棒』の成功はこれを証明する契機となったのでした。

 その後、成績不振や労働問題もあり、東映映画は、第二東映が目指した量産拡大路線から大作主義への転換を余儀なくされ、新たな時代劇への試行錯誤を繰り返しながら、男性中心の任侠、ヤクザ、エログロという過激路線に向かいます。

 今節は、その間に作られた東映時代劇と新しい時代劇映画への試みを紹介してまいります。

東映娯楽時代劇映画

 1961年は東映創立10周年に当たり、記念オールスター映画『赤穂浪士』が東映娯楽映画を代表する松田定次監督で作られました。3月末に公開されたこの作品の配給収入は4億3500万円、この年の邦画配収ランキング2位の大ヒットを記録します。第二東映がニュー東映と名称を変える中で、この映画は東映時代劇の集大成とも言えるものでした。

1961年赤穂浪士

1961年3月『赤穂浪士』松田定次監督・片岡千恵蔵主演

 1961年邦画配給収入トップ10
(対象期間:1961年4月 - 1962年3月)
順位   題名         配給     配給収入   公開日
 1  椿三十郎    東宝   4億5010万円     1962.1.1
 2  赤穂浪士    東映   4億3500万円     1961.3.28
 3  あいつと私   日活   4億0008万円     1961.9.10
 4  用心棒     東宝   3億5100万円     1961.4.25
 5  宮本武蔵    東映   3億0500万円     1961.5.27
 6  幽霊島の掟   東映   3億0200万円     1961.8.13
 7  銀座の恋の物語 日活   3億0000万円     1962.3.4
 8  堂堂たる人生  日活   2億8977万円     1961.10.22
 9  アラブの嵐   日活   2億8800万円     1961.12.24
10       世界大戦争        東宝        2億8499万円     1961.10.8
出典: 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』キネマ旬報社〈キネマ旬報ムック〉、2012年5月、180頁。ISBN 978-4873767550。

 東映オールスター時代劇映画は、1963年の正月映画『勢揃い東海道』松田定次監督で終了します。この映画の成績は配収3位3億5,212万円と大ヒットしましたが、千恵蔵、右太衛門、両御大の単独での人気の衰退もあり、東映映画の時代劇から現代劇への流れが加速していきました。

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1963年『勢揃い東海道』松田定次監督・片岡千恵蔵主演

中村錦之助 

 戦前、日活多摩川撮影所で名作『』を監督した内田吐夢は、満洲にわたり終戦。抑留生活を送った後に帰国し、1955年復帰第1作として東映京都撮影所で作った片岡千恵蔵主演『血槍富士』は高い評判を呼びました。

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1955年2月『血槍富士』内田吐夢監督・片岡千恵蔵主演

 1957年から年1本ペースで公開された、片岡千恵蔵主演『大菩薩峠(三部作)』が人気を集め、職人肌の映画作りは内田の名声をさらに高めます。その作品には東映娯楽版で人気アイドルスターとなった中村錦之助も宇津木兵馬役で出演しました。

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1957年7月『大菩薩峠』内田吐夢監督・片岡千恵蔵主演

 錦之助は娯楽版を卒業し、加藤泰監督『源氏九郎颯爽記』シリーズ、松田定次監督『ゆうれい船』、『恋風道中』、沢島忠監督『一心太助』シリーズ、『殿さま弥次喜多』シリーズ、マキノ雅弘監督『おしどり駕籠』、『清水港の名物男 遠州森の石松』、『風と女と旅鴉』など東映娯楽時代劇の主役を数多く勤めるようになります。

1957年『源氏九郎颯爽記 濡れ髪二刀流』加藤泰監督・中村錦之助主演

1957年4月『源氏九郎颯爽記 濡れ髪二刀流』加藤泰監督・中村錦之助主演

1957年『ゆうれい船』松田定次監督・中村錦之助主演

1957年9月『ゆうれい船』松田定次監督・中村錦之助主演

1957年『恋風道中』松田定次監督・中村錦之助主演

1957年11月『恋風道中』松田定次監督・中村錦之助主演

1957年『江戸の名物男 一心太助』沢島忠監督・中村錦之助主演

1958年2月『江戸の名物男 一心太助』沢島忠監督・中村錦之助主演

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1958年7月『殿さま弥次喜多 怪談道中』沢島忠監督・中村錦之助主演

1958年『おしどり駕篭』マキノ雅弘監督・中村錦之助主演

1958年1月『おしどり駕篭』マキノ雅弘監督・中村錦之助主演

1958年『清水港の名物男 遠州森の石松』マキノ雅弘監督・中村錦之助主演

1958年6月『清水港の名物男 遠州森の石松』マキノ雅弘監督・中村錦之助主演

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1958年4月『風と女と旅鴉』加藤泰監督・中村錦之助主演

 錦之助は、1959年内田監督の『浪花の恋の物語』、翌1960年にはもう一人の巨匠田坂具隆監督『親鸞(二部作)』などの文芸大作に主演、演技派俳優へと成長して行きます。

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1959年9月『浪花の恋の物語』内田吐夢監督・片岡千恵蔵主演

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1960年6月『親鸞』田坂具隆監督・中村錦之助主演

 1961年、東映は内田監督で年1本ずつ5年間かけて中村錦之助主演『宮本武蔵』を製作することを発表。黒澤監督『用心棒』公開後の5月下旬にお披露目した第1作は大ヒット、『用心棒』に次ぐ配給収入5位3億500万円を上げました。

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1961年5月『宮本武蔵』内田吐夢監督・中村錦之助主演

 この年11月8日、東映大川博は第二東映・ニュー東映事業を東映に一本化、量産主義から大作主義に転換することを発表します。その日、名匠伊藤大輔監督の大作『反逆児』が公開され、伊藤監督の親友マキノ雅弘の推薦でこの作品に主演した錦之助の演技は高く評価されました。翌1962年3月には、再び伊藤監督演出の『源氏九郎颯爽記 秘剣揚羽の蝶』に主演、華麗な殺陣を披露します。

1961年『反逆児』伊藤大輔監督・中村錦之助主演

1961年11月『反逆児』伊藤大輔監督・中村錦之助主演

1962年源氏九郎颯爽記 秘剣揚羽の蝶』伊藤大輔監督・中村錦之助主演

1962年3月『源氏九郎颯爽記 秘剣揚羽の蝶』伊藤大輔監督・中村錦之助主演

 娯楽作品に飽き足らず巨匠作品の主役を演じる事で俳優としての高みを目指した錦之助は、1962年6月公開の田坂監督『ちいさこべ(二部作)』に主演。その演技は評論家には好評を博しましたが、興行的には苦戦、早々に打ち切られました。しかし、そのマイナスを補うように、11月の内田監督『宮本武蔵 般若坂の決斗』が配収5位3億円を超える大ヒットを記録します。

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1962年6月『ちいさこべ』田坂具隆監督・中村錦之助主演

 そして、翌1963年4月には、『純愛物語』でベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)を受賞した名監督今井正監督の『武士道残酷物語』に主演、配収4位2億7500万円と大ヒットしたこの作品は、6月ベルリン国際映画祭金熊賞獲得しました。

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1963年4月『武士道残酷物語』今井正監督・中村錦之助主演

 1964年正月、内田監督の『宮本武蔵』シリーズ第4作『宮本武蔵一乗寺の決斗』は、泥田の中での壮絶な殺陣が話題を呼び、配収第6位2億2500万円を記録しました。6月公開の田坂監督文芸大作『』も配収第3位2億8200万円の大ヒット、作品的にも高い評価を得ました。

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1964年6月『鮫』田坂具隆監督・中村錦之助主演

 様々な文芸大作主演した錦之助は、その間、沢島監督『一心太助』シリーズ、マキノ監督『若き日の次郎長』シリーズ、加藤監督『瞼の母』、山下耕作監督『関の彌太っぺ』など東映得意の娯楽作品にも主演、両御大にまさる大衆人気を集め、東映時代劇を代表する俳優となります。

1960年『若き日の次郎長 東海の顔役』マキノ雅弘監督・中村錦之助主演

1960年12月『若き日の次郎長 東海の顔役』マキノ雅弘監督・中村錦之助主演

1962年『瞼の母』加藤泰監督・中村錦之助主演

1962年1月『瞼の母』加藤泰監督・中村錦之助主演

1963年11月『関の彌太っぺ』山下耕作監督・中村錦之助主演

1963年11月『関の彌太っぺ』山下耕作監督・中村錦之助主演

 中村錦之助は、年齢を重ねるにつれ、明朗娯楽作品の明るく元気なスターから、暗い影を持つ演技派へと深化することで、テレビドラマとは違う映画時代劇大作を追求して行きました。

大川橋蔵  

 1955年11月に東映『笛吹若武者』佐々木康監督で映画デビューした大川橋蔵は、娯楽版『若さま侍捕物帖』シリーズ、『江戸三国志(三部作)』などに主演、美しい二枚目で水も滴る華麗な姿は女性の人気を集め、評判が上った『若さま侍捕物帖』は長編に格上げされました。

1958年12月『若さま侍捕物帖 紅鶴屋敷』沢島忠監督・大川橋蔵主演

1958年12月『若さま侍捕物帖 紅鶴屋敷』沢島忠監督・大川橋蔵主演

 また、1959年3月から始まった松田定次監督『新吾十番勝負』は大評判を呼び、1964年5月の『新吾番外勝負』まで8作品に及ぶ人気シリーズになります。

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1959年3月『新吾十番勝負』松田定次監督・大川橋蔵主演

 そして、1961年正月は、橋蔵主演『若さま侍捕物帖』と錦之助主演『若き日の次郎長 東海の顔役』が飾り、大川橋蔵中村錦之助と並ぶ東映のマネーメイキングスターとなりました。

1959年12月『若さま侍捕物帖』佐々木康監督・大川橋蔵主演

1959年12月『若さま侍捕物帖』佐々木康監督・大川橋蔵主演

 『用心棒』ショックが襲った1961年の8月、新しい時代劇を模索する京撮所長岡田茂は、ブームの日活無国籍アクションに倣い、西部劇調時代劇『幽霊島の掟』を大川橋蔵主演で公開、次世代スター松方弘樹と北大路欣也が脇を固めます。

 この作品は、『用心棒』『宮本武蔵』に次ぐ配収6位3億200万円と大ヒットしますが、京撮スタッフ内の新旧対立を生み出し、岡田茂が東京に異動する要因の一つになりました。

1961年8月『幽霊島の掟』佐々木康監督・大川橋蔵主演

1961年8月『幽霊島の掟』佐々木康監督・大川橋蔵主演

 1960年11月末にNETの社長になった大川博は第二東映の失敗もあり東映映画の企画から距離を置きます。1961年9月、岡田茂が東京に去り、以降、京都撮影所では、これまで稼ぎ頭だった片岡千恵蔵と市川右太衛門、両御大から新たな稼ぎ頭となった二人のスター、中村錦之助大川橋蔵の希望する企画が進められました。

 そして、橋蔵も、小沢茂弘監督『赤い影法師』などの娯楽時代劇に主演し評価を上げつつも、先を行く錦之助の後を追い、芸術映画に向かいます。

1961年12月『赤い影法師』小沢茂弘監督・大川橋蔵主演

1961年12月『赤い影法師』小沢茂弘監督・大川橋蔵主演

 しかし、松竹ヌーヴェルヴァーグの旗手大島渚監督を招いた1962年3月公開の『天草四郎時貞』は劇場に閑古鳥が鳴き、作品的評価も散々でした。5月に内田吐夢監督がアニメ合成場面にも取り組んだ傑作、瑳峨三智子が美しい『恋や恋なすな恋』、翌1963年4月、伊藤大輔監督『この首一万石』など巨匠作品に主演しましたが、平凡な成績に終わります。

1962年3月『天草四郎時貞』大島渚監督・大川橋蔵主演

 1962年3月『天草四郎時貞』大島渚監督・大川橋蔵主演

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1962年5月『恋や恋なすな恋』内田吐夢監督・大川橋蔵主演

1963年4月『この首一万石』伊藤大輔監督・大川橋蔵主演

1963年4月『この首一万石』伊藤大輔監督・大川橋蔵主演

 巨匠映画で芳しい成績が残せなかった橋蔵も、加藤泰監督『風の武士』、石井輝男監督『御金蔵破り』などの娯楽映画は高く評価されました。

1964年1月『風の武士』加藤泰監督・大川橋蔵主演

1964年1月『風の武士』加藤泰監督・大川橋蔵主演

1964年8月『御金蔵破り』石井輝男監督・大川橋蔵主演

1964年8月『御金蔵破り』石井輝男監督・大川橋蔵主演

 また、錦之助の『武士道残酷物語』に対抗して、加藤泰監督で『幕末残酷物語』に主演しましたが、芳しい評価は得られませんでした。

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1964年12月『幕末残酷物語』加藤泰監督・大川橋蔵主演

 大川橋蔵は市川右太衛門と同じく、芸術映画に要求される汚れ役よりも、正統派の二枚目主演スターだったと言えるのでしょう。

 次回は、剣豪近衛十四郎のリアル時代劇、1963年2月の渡邊達人の京撮異動から始まる東映集団時代劇、岡田茂京撮所長による時代劇から任侠映画への転換、それによる錦之助、橋蔵の東映映画離別について述べます。