89. 第4章「行け行け東映・積極経営推進」
第17節「少女向けテレビアニメの誕生 後編」
⑤ 魔女っ子シリーズ第2弾赤塚不二夫『ひみつのアッコちゃん』
『魔法使いサリー』に続く魔女っ子シリーズ第2弾は、集英社『りぼん』1962年6月号より1965年9月号まで連載の赤塚不二夫「ひみつのアッコちゃん」でした。
赤塚は、1942年公開のルネ・クレール監督ヴェロニカ・レイク主演『奥様は魔女』というタイトルから、鏡を使って様々な姿に変身する少女の話を思いつき、1962年、編集者の反対を押し切って『りぼん』に「ひみつのアッコちゃん」の連載を始めました。
「赤塚不二夫公認サイトこれでいいのだ!!」
https://www.koredeiinoda.net/manga/akkochan_episode.html
鏡に向かって大人がおこなう化粧に興味を持つ少女たちの変身願望を刺激したこの作品は、赤塚の狙い通り人気を集め、3年以上にわたって連載が続きます。
『魔法使いサリー』の大ヒットで、少女と魔女がヒットのポイントであると考えた東映は、2年前に終わったこの赤塚作品に目をつけ、サリーに続く作品として東映動画制作でテレビアニメを企画しました。
商品化を念頭に、置鏡から手軽に扱えるコンパクトに設定を変え、放映開始前の1968年『りぼん』11月号から再び「ひみつのアッコちゃん」のリメイク連載を始めます。
そして、『ひみつのアッコちゃん』(1969/1/6~ 1970/10/26)は、1969年1月、前年12月に放映終了の『魔法使いサリー』に続いてNET系にて放映が始まると少女を中心に評判を集め、最高視聴率27.6%、平均視聴率19.8%、放映が1年9ヵ月続く大ヒットとなりました。
サリーちゃんのように魔法の国の王女ではない、普通の女の子、加賀美あつ子がふとしたことから魔法のコンパクトを手に入れ不思議な力を得る、自分にも訪れるかも知れないという期待が夢見る少女たちの心を捉えたのでしょう。
また、女の子アニメに初めて大将というガキ大将が登場し、大将の弟赤ちゃん少将や落語家に憧れるガンモ、おしゃべりのチカ子など愉快な友達キャラクターも人気でした。
「テクマクマヤコン テクマクマヤコン」、テレビのコンパクトとはデザインが違いますが、『タイガーマスク』のソフビ人形を作った中嶋製作所(現・ナカジマコーポレーション)からアッコちゃんの玩具コンパクトが売り出され、全国の少女たちが鏡に向かって魔法の呪文を唱えました。
『魔法使いサリー』と同様、『ひみつのアッコちゃん』にはギャグやいたずらシーンもあり、男の子にも人気があり、1970年9月には、『ひみつのアッコちゃん』『タイガーマスク』『もーれつア太郎』『キックの鬼』、そして実写『柔道一直線』と東映子供向け人気作品が並びました。
⑥ 魔女っ子シリーズ第3弾『魔法のマコちゃん』
『ひみつのアッコちゃん』に続く魔女っ子シリーズ第3弾は『魔法のマコちゃん』(1970/11/2~1971/9/27)。シリーズ初の東映動画オリジナル原作です。
アンデルセン童話の『人魚姫』をベースに脚本の辻真先と演出の芹川有吾が中心となって設定し、前2作とは違って主人公の年齢を上げ、少し年齢層の高い女の子向けにターゲットを絞った作品でした。
人魚の国の王女が人間の青年に恋をして、人間として生活する中で魔法のペンダントを使って人間界に起こる様々な事件を解決する話で、女の子を中心に人気を呼びました。
1971年、春と夏の東映まんがまつりでも上映されました。およそ1年弱続きます。
また、『魔法のマコちゃん』は後に『キン肉マン』など多くの作品で活躍する神谷明の声優デビュー作でもあります。
⑦ 月刊少女雑誌から月刊少女マンガ誌、週刊少女マンガ誌へ
戦前に中原淳一ブームを巻き起こした月刊少女雑誌『少女の友』(1908年実業之日本社創刊)は、1955年に休刊します。
川端康成、吉屋信子、西條八十、与謝野晶子などが執筆し人気を集め、読者同士のコミュニティーも生まれた少女雑誌も、戦後の漫画流行の波に乗り遅れました。
ちなみに、戦前、月刊少女雑誌として蕗谷虹児や吉屋信子がデビューし人気を集めた『少女画報』(1912年東京社創刊)は、1942年に戦時雑誌統合令により『少女の友』に統合されています。
1923年に創刊した大日本雄弁会講談社の月刊少女雑誌『少女倶楽部』は、戦後1946年雑誌名を『少女クラブ』、1958年会社名を講談社と変え、少女小説や詩から少女漫画へと中心を移しました。長きにわたり保護者からも支持されてきましたが、1962年に廃刊となり、1963年1月、週刊少女マンガ誌『週刊少女フレンド』へと移行します。
『週刊少女フレンド』には、ちばてつや、赤松セツ子、山田えいじ、中島利行などの漫画家が参加しました。
1949年2月に創刊、倉金章介『あんみつ姫』などのヒット作を生み出し、松島トモ子が表紙を飾った光文社の月刊少女雑誌『少女』も、1963年3月号をもって休刊。
漫画家としては、長谷川町子、手塚治虫、横山光輝、藤子不二雄、石森章太郎、永島慎二、望月あきら、高橋真琴、上田とし子、わたなべまさこ、挿絵画家では高畠華宵、蕗谷虹児、作家の西條八十、橋田寿賀子、サトウハチロー、島田一男、久米正雄、藤原審爾、源氏鶏太、吉屋信子などの執筆陣がこの雑誌を舞台に多くの少女たちに夢を与えました。
1951年9月集英社創刊の月刊少女雑誌『少女ブック』は、1963年5月号で終刊。その後を週刊少女マンガ誌『週刊マーガレット』5月12日創刊号が引き継ぎます。
『週刊マーガレット』には、石森章太郎、わたなべまさこ、牧美也子、水野英子、関谷ひさしなどの漫画家が参加しました。
こうして、月刊少女雑誌は、ローティーン少女向けの少女マンガ誌、講談社『なかよし』、集英社『りぼん』のみとなり、代わりにハイティーン少女向け週刊少女マンガ誌、講談社『週刊少女フレンド』、集英社『週刊マーガレット』と共に少女マンガを盛り上げていきます。
1960年代を境に、大衆文化の流れは詩、小説などの活字文化からマンガ、アニメなどのビジュアル文化へと変わって行きました。
⑧ 魔女っ子シリーズ第4弾・石森章太郎『週刊マーガレット』掲載作アニメ化『さるとびエッちゃん』
1971年9月に終了したNET系『魔法のマコちゃん』の後番組、魔女っ子シリーズ第4弾は、『週刊マーガレット』創刊号から連載していた石森章太郎原作「おかしなおかしなおかしなあの子」を『さるとびエッちゃん』(1971/10/4~1972/3/27)と改題してアニメ化した作品です。
エッちゃんは、魔法使いではなく忍法使い。大阪弁をしゃべる忍犬プクと会話ができました。
1971年秋番組で東映は、実写でTBS系『仮面ライダー』、『好き!好き!!魔女先生』、アニメで『原始少年リュウ』、そしてNET系『さるとびエッちゃん』と石森原作作品を4シリーズも制作しています。
エッちゃんが魔法使いでなかったことや、コンパクトやブローチのような玩具アイテムがなかったこともあり、女の子人気の盛り上がりに欠け『さるとびエッちゃん』は2クールで終了。
その後は再び魔法使い少女に戻り、魔女っ子シリーズ第5弾東映動画オリジナル『魔法使いチャッピー』(1972/4/3~1972/12/25)が引き継ぎました。
その後も魔女っ子シリーズは、東映の人気シリーズのひとつとして次々と新たな作品が生み出され、女の子の人気を得ています。