103.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」
第5節「東映ゼネラルプロデューサー岡田茂・映画企画の歩み⑤刺激性好色映画」
5.岡田茂と天尾完次の京都撮影所(京撮)刺激性好色映画:石井輝男と橘ますみ
1968年、常務で京撮所長の岡田茂はプロデューサーの天尾完次に指示し、裸体が乱舞したり性描写を多用した直接的なエロスや拷問などのグロテスクなシーンを満載した刺激性好色映画『徳川女系図』を企画しました。
岡田は、新東宝でセクシーエロス映画を数多く監督し東映東京撮影所(東撮)にて大ヒットシリーズ『網走番外地』を生み出した奇才石井輝男を京都撮影所(京撮)に呼びます。
① 石井輝男監督 異常性愛シリーズ第1弾『徳川女系図』
岡田が企画したこの刺激的な性愛映画は、5月に公開すると大ヒットしました。
任俠映画、好色映画と大ヒットを飛ばした岡田は、この年5月に東映の映画企画本部長に就任します。
社長の大川博から東映の映画に関する全権を委任され、企画の最終判断と責任を持つゼネラルプロデューサーとなりました。
そして、「路線が確立しなければ単発で当てても儲からない」という信念を持つ岡田は、俊藤浩滋を起用し確立した任侠路線に続き、自ら陣頭指揮して好色路線の確立を目指します。
② 石井輝男監督 異常性愛シリーズ第2弾・橘ますみ主演『温泉あんま芸者』大ヒット
岡田は、『徳川女系図』で大成功を納めた石井輝男を、引き続き京撮にて橘ますみ主演『温泉あんま芸者』の監督に起用しました。
後に、『徳川女系図』に続く石井の異常性愛シリーズ第2弾に位置付けられる『温泉あんま芸者』は、大映で1963年から始まった『温泉シリーズ』を見た岡田が、温泉芸者を主役にしたより過激な好色映画を作れば当たると考えたことから始まった企画です。
京撮プロデューサー天尾完次に企画を命じて誕生したコメディータッチの『温泉あんま芸者』は、6月に若山富三郎の『帰ってきた極道』に併映で公開され『徳川女系図』に引き続き、岡田の思惑通りにヒットします。
③ 石井輝男監督 異常性愛シリーズ第3弾・橘ますみ主演『徳川女刑罰史』岡田好色路線、続けて大ヒット
『温泉あんま芸者』の後、石井輝男は、岡田の指示で、残虐性をよりエスカレートした異常性愛シリーズ第3弾、橘ますみ主演の『徳川女刑罰史』を監督しました。
助監督を務めた荒井美三雄と石井で脚本を書き、緊縛の専門家を招いて本格的なサディズムの世界を描いたこの映画は、この年東映No1の興行収入を記録する大ヒットを飛ばします。
逆に、評論家たちからは、『ゲテもの映画』「日本映画の最低線への警告」などと大非難されました。
大ヒットを受け、評論家たちからの批判をものともせず岡田は天尾に異常性愛シリーズをどんどん企画させます。天尾の願いに石井は橘ますみを使って応えました。
④ 1969年石井輝男監督『異常性愛シリーズ』量産
翌1969年1月公開異常性愛シリーズ第4弾『残酷・異常・虐待物語 元禄女系図』では、天尾の紹介で脚本に掛札昌裕が参加します。
東映マークのオープニングの後から始まるタイトルバックには、東映に初めて暗黒舞踏・土方巽が登場し激しく舞い踊り、いきなり何が起こったのかわからない衝撃を与えました。
カルーセル麻紀の出演も話題を呼び、橘ますみ主演のエログロ作品も続けて大ヒットします。
翌2月公開のシリーズ第5弾、橘ますみ主演『異常性愛記録 ハレンチ』では、実在の人物をモデルにアブノーマルな性行為やストーカー行為などが描かれました。
「ハレンチ」は漢字で「破廉恥」と書き、明治初期から使われ後期には一般化した言葉で、前年8月から少年ジャンプにて永井豪が連載を始めた「ハレンチ学園」で当時の流行語となっていました。
『異常性愛シリーズ』の大ヒットに他社も追随し多くの類似作品が市場に出たこともあり、『異常性愛記録 ハレンチ』は失敗に終わります。
3月に日活で『昇り竜鉄火肌』を監督した石井の第6弾は、橘ますみ主演『徳川いれずみ師 責め地獄』という問題作でした。
あまりにも過激な撮影のため、撮影途中で女優が失踪し代役を立てねばならなくなったことから始まり、京撮助監督24名が石井のエログロ異常性愛路線に反対する声明を出すに至ります。
この問題では、逆に東撮助監督たちはこの反対声明に反対したり、評論家の吉本隆明(たかあき)などから京撮の声明に対する疑問が提出されたりしました。
プロデューサーの天尾はこれらの騒動の調整に奔走しましたが、その間、石井は歯牙にかけずに撮影に取り組み、後に評論家や一部熱狂的ファンが絶賛する刺青緊縛映画が完成します。
多くの話題を巻き起こした映画は、5月に公開され、あまりにも過激な内容のため観客が付いて行けず興行的に失敗しました。
ちなみにポスターの刺青女性はこの作品を降板した由美てる子のようです。
2作続けて成績が上がらず、刺激を求めてエスカレートしていった石井の異常性愛シリーズに黄信号が灯りました。
休む間もなく撮影を続ける石井の第7弾は6月公開3話オムニバスの刺激性暴力映画『やくざ刑罰史 私刑(リンチ)』でした。
この作品はこれまでのエロス作品とは違い、男優を主役に暴力、残虐リンチを3話オムニバスで描いた残虐シーン満載のやくざ映画です。第1話の時代劇には大友柳太朗、菅原文太、第2話の任俠映画には大木実といった大物スターが出演、第3話のギャング映画は石井組常連の吉田輝雄が主演する異色作でした。シリーズ常連の橘ますみ、賀川雪絵も出演しています。
これに続く第8弾の8月公開『明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史』は、実際に起こった複数の猟奇事件をモデルにしたオムニバス実録映画でした。
第2話の阿部定事件では、賀川雪絵が主役の定役を演じ、話の最後に実在の阿部定本人が吉田輝雄のインタビューに応える形で出演しています。
第5話の高橋お伝事件には、『徳川いれずみ師 責め地獄』で失踪した由美てる子が主役のお伝役で再起用されました。
この猟奇映画は大ヒットします。
そして、10月に第9弾『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』が公開されました。
この作品は、より強い刺激の映画を求めた岡田の指示に応えた石井の企画で、江戸川乱歩 の『孤島の鬼』をベースに『パノラマ島奇談』『白髪鬼』のイメージを土方巽によって悪夢のように繰り広げる前衛的猟奇ロマン映画です。また、『屋根裏の散歩者』『人間椅子』などの設定を使って小池朝雄演じる倒錯性欲者の様々な異常性愛行為を示しました。
例によってタイトルは岡田が命名しています。
しかし、あまりに過激でぶっとんだ描写のため、試写を見た営業サイドの反応も悪く、併映の日本初の成人指定アダルトアニメ『㊙劇画 浮世絵千一夜』も振るわず、興行的に惨憺たる成績に終わりました。
刺激のエスカレートによる一般客離れの結果、岡田は刺激性好色映画・石井輝男『異常性愛シリーズ』をこの第9弾にて終了します。
⑤ 石井輝男監督『異常性愛シリーズ』を支えた俳優陣
シリーズ全9作のうち、吉田輝男は全9作に狂言回し役として出演しており、猟奇的人間を個性豊かに演じた小池朝雄は6作、アクの強い役を演じた沢彰謙も6作、厳しい撮影にがんばった女優陣では、数多くの作品に主演した橘ますみが6作、賀川雪絵7作、片山由美子5作、葵三津子5作、英美枝5作、脇役陣も三笠れい子7作、木山佳6作、牧淳子5作、激しい刺激演出の中での笑いをもたらした上田吉二郎7作、由利徹6作などが常連として活躍しています。
⑥ 『異常性愛シリーズ』終了後の石井輝男
シリーズ終了後も石井輝男は、1970年1月公開渡瀬恒彦主演デビュー作『殺し屋人別帳』シリーズ、1973年2月丹波哲郎主演『ポルノ時代劇 忘八武士道 』、空手映画ブームの一翼を担った1974年8月公開千葉真一主演『直撃!地獄拳』シリーズ、1975年9月公開岩城滉一主演『爆発!暴走族』シリーズなど娯楽アクション映画で岡田の期待に応えました。
カルト映画が再評価されるようになった現在、石井の異常性愛シリーズはカルト映画として一部ファンに高く評価され、その中でも、興行的に失敗した『徳川いれずみ師 責め地獄』と『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』は、石井の代表作としてカルト人気を集めています。
土方巽が波濤を背景に舞踏する姿は、悪夢のような圧倒的印象を与えるアートパフォーマンスであり、孤島で繰り広げられる世界は今は亡き土方の暗黒舞踏ワールドでした。
商業主義を標榜し刺激映画を要求した岡田が、意図せず生み出した芸術作品、それが石井輝男の異常性愛シリーズでした。
⑦ 天尾企画『温泉芸者』夏の定番シリーズに
岡田が発案し、タイトルはすべて自らが命名した『温泉芸者』は、第2作から異常性愛シリーズで多忙な石井が離れ、第6作まで毎年続く、夏の定番人気シリーズとなります。
翌夏の第2作『温泉ポン引き女中』は前作に引き続き橘ますみの主演で、石井の好色映画に反対を唱えた助監督の荒井美三雄が逆に監督に抜擢され、1969年6月に公開されました。
暗黒舞踏・土方巽も出演したこの映画もヒットし、翌1969年夏8月には第3弾、中島貞夫が東映第13回ニューフェイスの新人女屋(おなや)実和子主演で監督した『温泉こんにゃく芸者』が公開されました。
⑧ 天尾完次「ポルノ」創出・『温泉芸者シリーズ』鈴木則文監督起用
第4作『温泉みみず芸者』からは、助監督時代に加藤泰や内田吐夢の薫陶を受け、藤純子『緋牡丹博徒』シリーズ全作の脚本を担当して緋牡丹お竜のキャラクターを生み出した鬼才、天尾の企画『忍びの卍』で監督を務めた鈴木則文(のりぶみ)が、好色映画路線に本格参入します。
この作品は、鈴木の尽力で地元の協力を得て、「たこつぼ」がキーワードの『温泉たこつぼ芸者』として撮影が進んでいました。
そこに突然岡田が思いついた『温泉みみず芸者』へのタイトル変更が行われてしまい、「みみず」が全く触れられない不思議な作品になりました。
主演の池玲子は、プロデューサーの天尾と鈴木が週刊誌のグラビアで見つけスカウトした新人で、天尾は、無名の池と妹役の杉本美樹を売り出すため、ポルノグラフィーという単語を短くした3文字の「ポルノ」という言葉を創ります。
そして二人を「大型ポルノ女優」と呼び、「衝撃のポルノ女優 池玲子」を誕生させました。
この「ポルノ」という造語は、すぐに日活が「ロマンポルノ」として大きく打ち出したことで一般社会に広がって行きます。
この映画には文教省教育課の役人役で作家の団鬼六、田中小実昌、胡桃沢耕史が出演、またノンクレジットで菅原文太が特別出演しました。
田中は第1作と第3作、胡桃沢は第1作、第2作にも出演しています。
池と杉本のがんばりで、勢いに陰りが見えていた温泉芸者シリーズも再び人気が復活しました。
名和宏演じる無限精流・竿師段平一門との対決は次作も続きます。
翌1972年夏の『温泉スッポン芸者』では、池が突然ヌード拒否歌手転向を宣言したため、杉本美樹が主演しました。
今作では、団鬼六、田中小実昌に加え漫画家の福地泡介も出演しています。また、作家の笹沢佐保がヤクザの組長役、その部下役に中島貞夫監督と菅原文太が出演しました。
これは、菅原主演、中島監督の映画『木枯し紋次郎』の打ち合わせに笹沢が京都に来ていることを知った天尾が、夜、クラブにて直接出演の交渉して了解を得て実現し、締め切りに追われている人気流行作家である笹沢のスケジュールが取れないため、即、翌朝のロケ現場である西陣京極にて撮影されたものでした。
杉本は、この後すぐに女優復帰した池とともに東映ポルノ映画シリーズを代表する女優として活躍します。
ただ、翌1973年7月公開の鷹森立一監督『温泉おさな芸者』は東撮で出演者も変わって製作され、9月に天尾が東撮企画部長に転進したこともあって、この作品で温泉芸者シリーズは終了しました。
夏の定番となった『温泉芸者シリーズ』は、もう一つの夏の定番シリーズである『東映まんがまつり』と告知する時期が重なり、映画館の現場は苦労していました。
トップ写真:『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』土方巽・由美てる子