見出し画像

72. 第4章「行け行け東映・積極経営推進」

第10節「東映100年に向けて 次なる事業への取り組み⑦」

 今節では、ここまで大川博が取り組んだ新規事業についてご紹介してきました。今回は1971年8月に逝去した大川が、その年5月、最後に立ち上げた旅行代理店業の新会社(株)東映観光サービスを紹介いたします。

⑩旅行代理店事業:東映観光サービス

 第8節で東映のホテル事業についてお話しした際、1965年6月に東映銀座本社1階にホテル予約のための観光案内所を開設したことに触れました。

 当時の旅行代理業は、日本人及び外国人の国内並びに海外旅行のあっせんを行うことができる、運輸大臣認可登録が必要な「一般旅行あっせん業」と、日本人の国内旅行斡旋のみの、海陸運局長または都道府県知事の登録が必要な「邦人旅行あっせん業」の2種類の登録制度がありました。

 1971年、年頭挨拶にて大川は、海外観光旅行ブームに着目し、国際的旅行あっせん業を本格的に始めるため、定款の事業目的に旅行代理業を加え、運輸省に申請、認可を待っていると述べます。

1971年1月発行 社内報『とうえい』第154号

 そして、5月、(株)日本旅行前社長の西阪文雄を副社長に迎え、一般旅行代理店として株式会社東映観光サービスを設立、開業準備に入りました。 

1971年5月発行 社内報『とうえい』第157号

 8月に大川は逝去しましたが、9月には銀座1丁目に営業所を開設し、10月1日の開業を目指します。

1971年9月発行 社内報『とうえい』第160号
1971年9月発行 社内報『とうえい』第160号

 10月1日、東映観光サービスは西阪を代表に、東映の事業部で東映ホテル案内所所長だった佐藤勇や旅行代理店各社から人材を集め、営業を開始しました。

1971年10月発行 社内報『とうえい』第161号
1971年10月発行 社内報『とうえい』第161号
1971年10月発行 社内報『とうえい』第161号
1971年10月発行 社内報『とうえい』第161号
1971年10月発行 社内報『とうえい』第161号
1971年10月発行 社内報『とうえい』第161号
1971年10月発行 社内報『とうえい』第161号
1971年10月発行 社内報『とうえい』第161号

 旅行代理店としては後発の東映観光サービスは、東映グループに協力を仰ぎ、映画宣伝タイアップ旅行商品などを企画します。

1972年2月発行 社内報『とうえい』第163号
1973年8月発行 社内報『とうえい』第178号

 しかし、利幅も薄く、多くの大手旅行代理店が競合する業界で後発の東映観光サービスは苦戦。また、会社を立ち上げた大川の死去で東映内での後ろ盾もなくなり、1974年5月29日をもって東映観光サービス解散しました。

大川博が東映で取り組んだ新規事業 まとめ

 1951年4月、莫大な負債を抱えて映画会社東映が誕生した時、東急グループ総帥五島慶太の命を受け社長就任した大川博
 大川は、借金の返済と映画事業になんとか目処が付きはじめた1954年以降、経営の安定を目指して様々な新規事業に取り組みはじめます。
 その頃、ようやく終戦の混乱が落ち着き、一躍高度成長期を迎えて経済が発展、生活が安定すると人々に余裕が生まれ、娯楽産業が盛んになって来ていました。そこで、まずは娯楽や映像に関連する新しい事業からM&Aなどで参入していきます。
 映画の大ヒットで経営が安定し、100年後の東映を見据えた大川は、より安定した経営を目指して多角化を進め、娯楽事業だけでなく不動産事業など一般事業まで手を広げました。
 以下、大川が行った新規事業の数々をまとめてご紹介いたします。
 
 大川博が手掛けた新規参入事業
 
 球団経営事業     
 1954年  1月  1日 東映フライヤーズ:東急より経営受託
 1954年  2月10日 運営会社東映興業新規設立
 
1973年   1月  1日 日拓ホームに譲渡(現)北海道日本ハムファイターズ
 アニメ製作事業    
 1956年   7月31日 日動映画をM&A東映動画商号変更
(現)東映アニメーション
 テレビ放送事業    
 1957年11月  1日 日本教育テレビ新規設立
 1977年  4月  1日 全国朝日放送に商号変更

(現)テレビ朝日ホールディングス
 テレビドラマ製作事業 
 1958年  7月  1日 (旧)東映テレビ・プロダクション新規設立
 1959年11月  2日 第二東映に商号変更
 1959年11月  2日 東映テレビ・プロダクション
新規設立       
⑤ 俳優養成事業
     
 1958年  7月  1日 東映児童演劇研修所新規設立
 1994年  4月  1日 東映アカデミーに名称変更
 2011年   3月31日 東映アカデミー 解散
 ニュース映像制作事業 
 1958年11月13日 朝日テレビニュース社新規設立
(現)テレビ朝日映像
 広告代理・CM制作事業 
 1959年  6月  9日 旺映社をM&A東映シーエムシネマ商号変更
 1959年  8月  5日 東映商事
商号変更
 1969年10月  1日 東映エージエンシ-
商号変更、事業分割して東映シーエム新規設立
⑧ フィルム現像業        
 1959年  5月28日 日本色彩映画をM&A
 1960年  5月30日 東映化学工業
商号変更
(現)東映ラボ・テック 
⑨ タクシー事業     
 1960年  9月  9日 日本電波塔より東京タワータクシー経営受託 
 1972年   5月31日 東京タワー交通 解散
 1961年12月26日 西京極タクシー
新規設立
 1962年  1月22日 東映タクシー
商号変更
 1980年   6月10日 洛東タクシーに譲渡
⑩ 大規模商業施設事業
  
 1960年10月  3日 小倉東映会館新規設立
 2005年   3月31日 解散
 ホテル事業      
 1960年11月  2日 湯沢観光ホテルをM&A湯沢東映観光ホテルに名称変更
(現)湯沢東映ホテル
⑫ プラスチック加工事業 
 1961年  9月  4日 群馬の工場をM&A東映プラスチック工業商号変更
 1970年  4月    積水化学工業に譲渡(現)東都積水
⑬ 不動産開発事業    

 1961年  9月18日 東映不動産新規設立
    2006年11月28日 東映に吸収
⑭ 企業PR映画制作事業    

 1961年  9月27日 日本産業映画センターM&A
 2004年  5月31日 解散
⑮ レンタルフラワー事業 
 1962年  9月 20日 新潟県の山下農園と提携、東映フラワー新規設立
 1972年  8月  1日 東映インテリアに商号変更
(現)東映建工
⑯ 輸出入貿易事業    

 1963年  3月  1日 東映貿易新規設立(東映商事から独立)
 2012年   9月30日 解散
 ボウリング事業    
 1963年10月  1日 東映ボウリングセンター新規設立
 1975年 10月 31日 ボウリング事業完全撤退
⑱ 俳優マネージメント事業

 1965年10月16日 東映芸能新規設立
 1983年  5月 27日 東映ビデオに吸収合併
⑲ ビデオ事業      
 1970年  6月10日 東映ビデオ新規設立
 
(現)東映ビデオ
⑳ 旅行代理店事業    
 1971年  5月24日 東映観光サービス新規設立
 1974年   5月31日 解散

 東映本体での映画興行業、劇場開発賃貸管理、海外映画販売、教育映画、不動産開発に加え、東映アニメーション、テレビ朝日、東映テレビ・プロダクション、東映エージエンシ-、東映CM、東映ラボテック、東映ホテルグループ、東映建工、東映ビデオなど、東映グループを支える主要事業のほとんどは50年以上前に大川が映画製作配給業以外に取り組んだ新規事業です。
 小林一三、五島慶太から本業を支えるための多角経営を学んだ大川は、映画会社東映でそれを実践しました。
 第二東映事業、プラスチック加工事業、ボウリング事業など失敗に終わった事業もあります。
 しかし、世の中の変革期に積極的投資を行いM&Aで新たな事業を切り開いた大川博は70年以上続く東映の土台を築いた開拓者でした。