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128.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」

第13節「東映子供向けドラマ NET・テレ朝金曜19時30分枠編」

 東映は、1959年2月日本教育テレビNET)を開局する前、テレビドラマ制作のために東映テレビ・プロダクション(旧・テレビプロ)を設立し、京都撮影所京撮)にて『風小僧』、東京撮影所東撮)にて『捜査本部』を制作。『風小僧』は1958年12月2日から西日本放送、『捜査本部』は12月27日から東海テレビにて初めてテレビ放映されました。
 『風小僧』は、NET開局後、火曜19時枠にて1959年2月3日から12月29日まで4部全52回放映され大ヒットします。
 一方『捜査本部』は、1959年3月1日新日本放送から商号変更して開局した毎日放送MBS)をキー局に、MBS3月6日から始まり、NETでは同年4月3日から6月26日まで全13回金曜21時15分枠で放映されました。

1.日本教育テレビ(NET)金曜19時30分枠

 東映NET開局後、『風小僧』とは別に子供向け30分ドラマ日本歴史シリーズ』を制作MBSをキー局に東急電鉄スポンサーにて金曜19時30分枠1959年2月6日から放映され、その後こので数多くの子供向けドラマを制作して行きます。

① 子供向け京撮テレビ時代劇

 旧・テレビプロの『日本歴史シリーズ』では、京都撮影所京撮)で以下の作品を制作しました。
〇 『源義経南郷京之助主演(1959年2月6日 - 5月1日 全13回)源義経の少年時代を演じた北大路欣也のテレビデビュー作

『源義経』南郷京之助主演(1959年2月6日 - 5月1日 全13回)

〇 『新書太閤記石井一雄主演(1959年5月8日 - 7月31日 全13回

『新書太閤記』石井一雄主演(1959年5月8日 - 7月31日 全13回)

〇 『大楠公小柴幹治主演(1959年8月7日 - 11月6日 全14回

『大楠公』小柴幹治主演(1959年8月7日 - 11月6日 全14回)

〇 『幕末物語』(1959年11月13日 - 1960年5月6日 全26回

『幕末物語 井伊大老編』小柴幹治主演(1959年11月13日 - 12月18日 全6回)
『幕末物語 坂本龍馬編』和崎俊哉主演(1959年12月25日 - 1960年1月15日 全4回)
『幕末物語 高杉晋作編』五味勝之介主演(1960年1月22日 - 2月12日 全4回)
『幕末物語 高杉晋作編』小柴幹治主演(1960年2月19日 - 4月8日 全8回)

 『幕末物語』の途中、東映テレビプロ第二東映改編東京撮影所東撮)にて同名の東映テレビ・プロダクションテレビプロ)を新たに設立し、
〇 『幕末物語 勝海舟編平幹二郎主演(1960年4月15日 - 5月6日 全4回)から、東撮テレビプロで時代劇制作が引き継がれました。

 『日本歴史シリーズ』はこの後、金曜20時枠に移り、
〇 『徳川風雲録槇章太郎主演(1960年5月13日 - 8月5日 全13回
〇 『赤穂の人々高島新太郎主演(1960年8月12日 - 11月4日 全13回
まで続きます。

 一方、NET金曜19時30分枠では『日本歴史シリーズ』の後、NETスタジオにて東映が協力して制作した、北大路欣也主演『笛吹童子』(1960年5月6日 - 12月30日)が放送されます。このドラマには平山亨が助監督として参加しました。

② 亀石征一郎主演『空手三四郎』

 『笛吹童子』終了後、NET金曜19時30分枠には海外ドラマが続き、その中でも『ちびっこギャング』は人気を集めました。
 1965年9月テレビプロ制作、大正時代が舞台の陣出達朗原作、亀石征一郎主演『空手三四郎』(1965年9月3日 - 1966年2月25日 全26回)が久しぶりのこの枠で放映されます。

1965年9月発行 社内報『とうえい』第90号

 この後は再び海外ドラマが続き、1967年1月から東映動画制作『レインボー戦隊ロビン』(1967年1月6日 - 3月24日 全48回)が土曜20:00枠から移動。その後、『宇宙怪人ゴースト』『スーパースリー』『大魔王シャザーン』などの海外アニメが放映されます。 

③ 金子吉延主演『河童の三平 妖怪大作戦』

 1968年4月から始まった東映動画制作『サイボーグ009』(1968年4月5日 - 9月27日 全26回)の後、10月テレビプロ制作で始まり東映東京制作所制作所)が引き継いで制作した金子吉延主演『河童の三平 妖怪大作戦』(1968年10月4日 - 1969年3月28日 全26回)が放映され、人気を集めました。

『河童の三平 妖怪大作戦』金子吉延主演(1968年10月4日 - 1969年3月28日 全26回)©水木プロ・東映

 しかし人気が高くとも、この時代はマーチャンダイジングなどの副収入がなかったことで制作費を補えず赤字が続き、局側は放映の延長を希望しましたが、26回で終了します。

 後番組の東映動画制作『もーれつア太郎』(1969年4月4日 - 1970年12月25日 全90回)も続いて好評を博し、当時子供だった人々の思い出に残る作品となります。
 金曜19時30分枠は『もーれつア太郎』終了後、外国映画を放映する『洋画特別席』(1971年1月8日 - 1972年7月21日)となり、この枠での子供番組はしばらく休止となりました。

 子供番組は、1971年4月NET土曜19時30分枠で始まった制作所制作『仮面ライダー』(1971年4月3日 - 1973年2月10日 全98回)の大ヒットで変身ブームが起こり、各局で数多くの特撮番組が作られることとなります。

 1972年7月に『洋画特別席』が終了したこの枠も、東宝が制作した川内康範原作の特撮番組水谷邦久主演『愛の戦士 レインボ-マン』(1972年10月6日 - 1973年9月28日)が放映されヒットしました。
 そのため、続けて東宝制作で川内康範原作の大浜詩郎主演『ダイアモンド・アイ』(1973年10月5日 - 1974年3月29日)が放映されます。変身ブームが去ったこともあり、このヒーローは変身しないしない「献身ヒーロー」と称しました。
 後継番組は、日活制作の岡崎徹主演『電撃!!ストラダ5』(1974年4月5日 - 6月28日)でした。
 13回で終了すると、NET制作のドキュメンタリー番組『生きている大自然』(1974年7月5日 - 9月27日)が放映されます。

④ 『がんばれ!!ロボコン』大ヒット

 1974年10月、『生きている大自然』が土曜18時に枠が移ると、テレビプロ制作で、1966年NTV系放映の東映東京制作所制作『丸出だめ夫』(森田拳次原作)以来となるロボット特撮ホームコメディ石森章太郎原作、奥中惇夫他監督『がんばれ!!ロボコン』(1974年10月4日 - 1977年3月25日 全118話)が始まりました。

1974年8月発行 社内報『とうえい』第187号

 『仮面ライダー』など数々の子供向け特撮ドラマを生み出してきた京撮助監督出身の平山亨が企画し、円谷プロで『ウルトラセブン』や『怪奇大作戦』で健筆をふるい『帰ってきたウルトラマン』ではメインライターを務めた上原正三がメインとなり脚本を執筆します。
 ちなみに、原作石森、企画平山、脚本上原のトリオはこの後NET土曜19時30分枠の『仮面ライダー アマゾン』に続く新番組『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975年4月5日-1977年3月26日 全84話)も担当しました。

 ロボットランドから人間社会に修行にやってきた半人前ロボットのロボコンが立派なA級ロボットに成長することを目指して奮闘努力して行く根性物語、すなわちスポ根物語ではないロボ根物語は、子供たちの共感を呼び大人気となります。

『がんばれ!!ロボコン』(1974年10月4日 - 1977年3月25日 全118話) ©石森プロ・東映

 失敗ばかりのロボコンにガンツ先生がつける成績の得点は、翌日土曜日朝の小学校の大きな話題でした。
 水木一郎が歌う主題歌も人気を呼び、ロビンちゃんなど個性豊かなロボットたちとロボコンが繰り広げるハートフルなコメディは、29.2%(第66話)の最高視聴率を獲得。放映は2年半全118話124回)におよび、登場した同級生のロボットは22体にのぼります。

『がんばれ!!ロボコン』ロビンちゃんとロボコン ©石森プロ・東映

 1975年4月のシフトチェンジで、近畿地区では毎日放送から朝日放送に放映局が変わりました。
 そして、1977年4月日本教育テレビNET)がテレビ朝日ANB)に社名が変わるタイミングで人気番組『がんばれ!!ロボコン』は終了します。

『がんばれ!!ロボコン』ロボコン ©石森プロ・東映

2.テレビ朝日系金曜19時30分枠の番組

⑤ 『ロボット110番』

 NETからANBに変わった金曜19時30分枠では、前作と同じロボットが主人公の特撮ホームコメディ、石森原作『ロボット110番』(1977年4月8日 - 12月30日 全37回)が始まりました。

1977年3月発行 社内報『とうえい』第200号

 今作主人公のロボットはガンちゃん野沢雅子が声優を務めます。
 前作『がんばれ‼ロボコン』と同じく、原作石森、企画平山、メイン脚本上原のトリオの『ロボット110番』は全37回続き、平均視聴率は前作には及びませんが11.8%とまずまずの成績でした。
 『ロボット110番』の終了で特撮ロボットホームコメディはこの枠から無くなりますが、1981年10月からフジテレビ日曜朝9時ロボット8ちゃん』(1981年10月4日 -1982年9月26日 全52回)で復活します。
 この番組からフジテレビ東映不思議コメディーシリーズが始まりました。

⑥ 『がんばれ! レッドビッキーズ』ヒット

 『ロボット110番』のテレ朝金曜19時30分枠後番組として林寛子主演の少年野球をテーマにしたスポ根ドラマ『がんばれ! レッドビッキーズ』(1978年1月6日 - 12月29日 全48回)が始まります。

『がんばれ! レッドビッキーズ』林寛子主演(1978年1月6日 - 12月29日 全48回) ©石森プロ・東映

 この作品の企画は、部長に昇進したためノンクレジットとなった平山とクレジットの阿部征司が担当、、ハリウッド映画『がんばれ!ベアーズ』のヒットを参考に、原作石森、メイン脚本上原、メイン監督奥中と『がんばれ!ロボコン』のメンバーで企画を練り、テレビプロが制作しました。

1978年1月発行 社内報『とうえい』第210号

 このドラマはヒットし1年間続きます。

⑦ 『燃えろアタック』続けてヒット

 終了後の翌1978年1月からは、バレーボールを舞台にした荒木由美子主演のスポ根ドラマ 『燃えろアタック』(1979年1月5日 - 1980年7月11日 全71回)が始まりました。

『燃えろアタック』荒木由美子主演(1979年1月5日 - 1980年7月11日 全71回) ©石森プロ・東映

 主人公がインターハイ、国体からモスクワオリンピック出場を目指して奮闘するこの作品も、前作の『がんばれ! レッドビッキーズ』と同じメインメンバーで企画、テレビプロにて制作されます。

1979年1月発行 社内報『とうえい』第222号

 この作品もヒットし、1年半続きました。

⑧ 『それゆけ!レッドビッキーズ』もヒット 

 『燃えろアタック』の後は、再び「レッドビッキーズ」が戻ってきます。
 1980年8月から『それゆけ!レッドビッキーズ』(1980年8月29日 - 1982年3月28日 全77回)が始まりました。

1980年8月発行 社内報『とうえい』第241号

 林に代わって斉藤とも子第1回から第26回まで主役を務めます。

『それゆけ!レッドビッキーズ』主演の斉藤とも子(1980年8月29日 - 1981年3月6日 全26回)

 斎藤のスケジュールの都合で第27回からは小林由紀子に代わりました。

『それゆけ!レッドビッキーズ』主演の小林由紀子(1981年3月13日 - 1982年3月28日 全51回)

 また、放映が始まってから第52話までの1年間はテレビ朝日ANB)がキー局でしたが、好評につき半年の延期が決まり、その後は朝日放送ABC)が引き継ぎ制作局となり、『それゆけ!レッドビッキーズ』の放映は日曜19時に変わります。

『それゆけ!レッドビッキーズ』主演の小林由紀子とレッドビッキーズ

 テレビ朝日金曜19時30分枠では1981年3月から東映動画制作にて金曜19時枠で放映が始まった『ハロー!サンディベル』(1981年3月6日 - 1982年2月26日 全47回)が、10月2日第28回から金曜19時30分枠に移りました。

1981年3月発行 社内報『とうえい』第248号

⑨ テレビ朝日金曜19時30分枠『宇宙刑事シリーズ』に 

 『ハロー!サンディベル』の後、1982年3月から『宇宙刑事ギャバン』(1982年3月5日 - 1983年2月25日 全44回)が始まり、『メタルヒーローシリーズ』となって行きます。
  そしてテレビ朝日金曜19時30分枠は、この後の『巨獣特捜ジャスピオン』(1985年3月15日 - 1986年3月24日 全46回)の第34回1985年12月27日)まで続きました。
 このメタルヒーロー作品の第35回以降は月曜19時枠に移ります。
 『メタルヒーローシリーズ』につきましては改めて別回にてご紹介いたします。

 日本教育テレビ時代から続くテレビ朝日金曜19時30分枠からは、東映の子供向けドラマがんばれ‼ロボコン』など多くの名作が生まれました。

トップ写真:『がんばれ‼ロボコン』ロボコンと大山家の人々:左からはじめ(兄)、パパ(大野しげひさ)、まこと(弟)、ロボコン、ママ(加藤みどり)、みどり(姉)©石森プロ・東映