96. 第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」
第3節「新社長岡田茂の新事業スタート」
東映社長として初めての正月を迎えた岡田は、年頭の挨拶で今年度の経営方針を発表しました。
そこで岡田は、従業員に向けて危機感を持つように促し、ボウリングをはじめ大川時代の事業を引き継ぎ拡大するだけでなく、新規事業の実現を促進し、より多角化することを方針として述べます。
また、傍系会社については、「資本と経営の分離」を掲げ、「当該会社の責任者に自主独立の姿勢で全責任をもってやって貰う」と述べ、それぞれの会社の実質責任者が語る経営方針が社内報に掲載されました。
この時点で大川から引き継いだ傍系会社とその責任者は、①東映化学工業社長・林光雄、②東映不動産専務・大山登、③東映エージエンシ-社長・坪井与、④東映貿易社長・鈴木敏夫、⑤東映観光サービス社長・西阪文雄、⑥東映フライヤーズ代表・田沢八十彦、⑦東映芸能専務・渡辺亮徳、⑧東映動画社長・高橋勇、⑨東映CM社長・山梨稔、⑩東映テレビ・プロダクション常務・本田勝、⑪東映京都テレビ・プロダクション常務・田口直也、⑫東映東京制作所常務・石田人士、⑬東映京都製作所常務・池田利次、⑭日本産業映画センター社長・堀保治、⑮東映タクシー社長・鈴木富之助、⑯東映フラワー専務・浜野博、の16社でした。
そして、岡田は有言実行、この年からこれまで大川が行った事業とは異なる、岡田路線の新規事業に積極的に取り組みました。
新規事業❶ 洋画輸入配給事業:東映洋画部
当時、邦画大手の東宝は東宝東和、松竹は松竹映配(後・松竹富士)と洋画配給の子会社を有しており、東映だけが洋画配給部門を持っていませんでした。後発の東映は、これまでに大手が手を付けていない成人向けの洋画を買い付け、興行界に打って出ます。
そこで、興行では松竹、東急レクリエーションのSTチェーンと提携し、サンドラ・ジュリアン主演成人映画の最新作など9作品を買い付け、1972年4月19日、記者会見を開き岡田の新規事業第1弾として洋画輸入配給業への進出を発表しました。
5月に洋画部を設立、第1回配給作品として7月に『性医学・幸福へのカルテ』をロードショウ公開します。
8月には、続く第2回配給作品を、9月からロードショウ公開すると発表しました。
続けて洋画部は、新たな作品を買い付けるために欧米を歴訪し、立体映画など話題性のある作品を購入します。
年明けの2月から公開した立体映画は大ヒットしました。
岡田新社長の新事業、まずは成人映画の洋画配給から始まりました。
その後、大きく発展する洋画配給事業の展開につきましては、また節を改めてご紹介いたします。
〇 全社的機構改革・事業部制の実施
6月、岡田は全社的な機構改革を実施しました。
東映全社を本部機構と事業部機構の二つに分け、事業部機構には、映画、テレビ、教育、観光不動産、スポーツの5事業部が置かれ、それぞれ独立性を持った利益責任単位として積極的に新規事業に取り組むよう指示します。
新規事業❷ 進学教室事業:東映教育事業部
そこで登場した岡田時代の新規事業第2弾は、一転、教育事業部による高校受験進学教室事業でした。
好評を得た東映進学教室は、冬期講習会も開催します。
翌1973年、教育事業部は会場を増やし、1学期、夏期講習、2学期、冬期講習、3学期と年間体制を組んで進学教室事業に取り組みました。
〇 新規レジャー事業開発子会社「東盛商事」設立
1972年11月、新規レジャー分野の開拓を目指し、岡田新社長初の新規事業会社として東盛商事株式会社を設立します。
業務内容には、①料理飲食店、喫茶店等の経営、②バー、パチンコ、麻雀荘等遊技場他各種風俗営業の経営、③旅館経営、④食料品、日用雑貨、書籍雑誌及び酒類、煙草、切手、印紙等販売、⑤不動産賃貸の5つの事業目的が掲げられました。
新規事業❸ パチンコ店事業:東盛商事
そして東盛商事初事業として、改築された新潟東映の1階にて、12月24日から新潟東映ゲームセンターとしてパチンコ店と雀球店を開店します。雀球、懐かしいですね。
映画館では正月第2弾映画として深作欣二監督菅原文太主演『仁義なき戦い』と鈴木則文監督池玲子・杉本美樹主演『女番長(スケバン)』が上映されることもあり、客筋にあった事業として期待されました。
1973年11月には東盛商事が経営を引き継いだ布施日活にて、2店目のパチンコ店を開業します。
〇 東映NN計画
岡田は、1973年2月の全体会議席上で「東映NN計画」(Toei Nationwide Network Program)という10年に渡る長期計画について語ります。
そこで、1)出版の全国ネットワーク作りから始め、2)全国の劇場の再開発とパチンコなどの風俗店の運営による有効活用、3)ミシン・メーカーなど家庭営業に強い会社と組んで8ミリフィルムの全国配給、について述べました。
新規事業❹ 出版事業:テレビ事業部
東映NN計画、まずは、出版事業として、テレビ事業部の企画編集した子供向け月刊テレビマンガ雑誌『テレビランド』が黒崎出版より出版、2月1日から発売を開始します。(11月号から徳間書店)
同じく5月には、テレビ事業部テレビ関連事業室が『テレビランド』に続き、徳間書店から隔週発行の劇画雑誌『コミック&コミック』を企画発刊しました。
新規事業❺ 消費者金融店事業:東盛商事
この年2月、大衆レジャー業を中心に新規事業に取り組む東盛商事は、2番目の事業として、消費者金融第1号店「トーエーローン」を銀座で開業しました。利息の社員割引があり、結構社員が借りたようです。
その後トーエーローンは、新橋、大阪、日本橋、横浜と店舗を拡大します。
〇 住宅・不動産事業:東映観光不動産部
この2月、新規事業ではありませんが、大川社長時代に東映の子会社東映不動産が中心に行ってきた住宅開発事業を、昨年6月に設置した観光不動産部にて始めるべく、東映自身でも宅地建物取引業の免許を取得しました。
ここから観光不動産部は、有休社有地を利用してマンションの建設販売や宅地造成、建売住宅の販売、仲介斡旋等ハウジング事業の積極的な展開を開始します。
新規事業❻ ゴルフ事業:東映化学・東映ゴルフ倶楽部
3月には、子会社の東映化学工業が東映グループ所有土地有効活用の一環として、現像所横の遊休地にゴルフ練習場を開設しました。ゴルフブームの先駆けてオープンした練習場は、バブルがはじけゴルフブームが下火になる1997年10月まで営業が続きます。
4月6日、新広島ホテルにおいて、新社長の岡田は、出身地である広島県に「広島東映ゴルフクラブ」を1975年にオープンする予定であることを発表、新規事業として本格的にゴルフ事業に乗り出しました。
12月には開設に向けて東映子会社株式会社東映ゴルフ倶楽部を設立、開業は少し遅れましたが、1978年10月、広島東映カントリークラブがオープンします。
新規事業❼ 葬祭事業:東盛商事
東映NN計画の中心実行部隊である東盛商事の指揮を執る本郷武郎社長は、社内報『とうえい』3月号にて、今後の構想を語っています。そこで、2月に設立した東盛商事子会社株式会社ヒュネラルサービスが、銀座と板橋に営業所を設け、4月から葬祭業の営業を開始することを発表しました。使用する祭壇、祭具は名古屋の業者から仕入れたそうです。
新規事業❽ 喫茶店事業:東盛商事
東映NN計画に沿って、東盛商事は続いて、1973年4月、映画館「名古屋SK東映劇場」の経営を開始、また、三越広島店7階のナショナルショウルームの一角に喫茶店「サウンド喫茶7」を開業します。
新規事業➒ ノベルティ受注販売事業:東映動画
新規展開を図る東映動画は、4月1日から、ノベルティ製品の受注販売業に進出しました。
そして、販売増を目指し、毎月、東映グループに向けてノベルティ商品の販売を行います。
こんな商品も扱っていたのかと今見ると新鮮です。
新規事業❿ 麻雀店事業:東盛商事
同じく4月、東盛商事は、再開発に向けて工事中の新宿東映劇場内に雀荘「麻雀クラブ東映」を開店することを発表します。
東盛商事は、パチンコ店、消費者金融に続き麻雀店と東映の社員が利用しそうなお店を次々と開発して行きました。
新規事業⓫ 会員制社交クラブ事業:東友
4月27日に、東映、朝日麦酒、住友不動産、住友クレジットサービスの4社が出資して設立した株式会社東友は、5月16日銀座の並木通りカリオカビル4階5階にメンバーズクラブ「東友クラブ」をオープンし、社交クラブ経営にも着手します。
銀座で格安の値段のお店で、4階は落ち着いたムードのサパークラブ、5階はブリティッシュな男っぽさの漂う純クラブ風のボトルクラブが開設されました。
このクラブは、1989年8月に閉店するまで16年以上の長きにわたり営業が続きます。
新規事業⓬ 家庭用8ミリフィルム販売事業:東映ビデオ
岡田社長が東映NN計画の3番目に語った8ミリフィルムの家庭配給につきましては、東映ビデオが名作無声映画をビデオパッケージと共に全国で発売することになりました。
10月には、富士写真フィルムとの提携を発表し、11月の社内報で特集記事が組まれます。『緋牡丹博徒』を始め『マジンガーZ』など全20作品の8ミリフィルム商品がラインナップされ、12月から全国のカメラ店及びデパートなどで販売が開始されました。
一般家庭へビデオが拡大することを鑑みて大川博が設立した東映ビデオですが、当時はVHSやβが登場する前で、ハードメーカー各社の規格もバラバラ、性能も悪く、ビデオパッケージの家庭への普及はまだまだでした。
その折、1970年に開催された大阪万博を記録した、一般家庭向けに販売された8ミリフィルムが大ヒットします。
そこで東映ビデオは、ビデオが一般的になるまでの収入を得るため、また、来たるべきホームビデオ時代に備えて販売流通網を確保することも視野に、カメラ店などへの販売ルートを有する富士フィルムと提携して、まずはビデオよりは普及が進んでいる8ミリフィルムの家庭用販売に乗り出して行ったのでした。
そして、売れ行きは好調に推移し、新商品も発売されます。
新規事業⓭ 輸入絵画販売事業:東映国際部
東映国際部は新規事業として、パリの新鋭画家の油絵105点を直輸入し、まずは7月19、20日、本社8階会議室にて展示即売会を開催します。60点の販売に対し、54点売却という幸先の良いスタートを切りました。
その後、全国の関連事業室を通じて輸入絵画の販売を行います。
新規事業⓮ 野菜サラダとサンドウィッチの店:東盛商事
1973年11月、東盛商事は三越横浜店にて野菜サラダとサンドウィッチの店「ヴエラ」を開店しました。
新規事業⓯ 海外少年サーカス団招聘事業:東映芸能
1973年4月、東映芸能は日本教育テレビ(NET)と共同で、翌年春にスペインから少年サーカス団「ロス・ムチャチョス」を招聘することを発表します。
1974年4月20日から5月3日まで千駄ヶ谷の東京体育館にて公演が実施され、先立つ19日に開催されたプレミアショウには当時の美智子妃殿下、礼宮様、紀宮様がご観覧されました。
東京公演後も、北海道、東北、関西、中国、九州など全国を縦断して8月末まで公演が行われます。
このように、岡田茂は、社長就任して年が明けてから、各部、各子会社に檄を飛ばし、積極的に岡田路線の新規事業を立ち上げました。
そこで成功すれば、日本国中に事業を広げる東映NN計画を考え、まずは実行に移したのでした。
岡田が新たに立ち上げた事業
➊ 洋画輸入配給事業:東映洋画部
➋ 進学教室事業:東映教育事業部
➌ パチンコ店事業:東盛商事
➍ 出版事業:東映テレビ事業部
➎ 消費者金融事業:東盛商事
➏ ゴルフ事業:東映化学・東映ゴルフ俱楽部
➐ 葬祭事業:東盛商事
➑ ノベルティ受注販売業:東映動画
➒ 喫茶店事業:東盛商事
➓ 麻雀店事業:東盛商事
⓫ 会員制社交クラブ店事業:東友
⓬ 家庭用8ミリフィルム販売事業:東映ビデオ
⓭ 輸入絵画販売事業:東映国際部
⓮ 野菜サラダとサンドウィッチの店事業:東盛商事
⓯ 海外少年サーカス団招聘事業:東映芸能
など、岡田の周りに身近にある大衆的な事業が中心でした。
それ以外にも、東映各部それぞれ大なり小なり新規事業に取り組んでおり、1974年5月の段階での取り組み一覧が社内報に記載されています。
両撮影所では、その一部を一般に開放し、青空市場を開催しました。