陰陽論3

分けることで考えるのは良しとして、陰陽に分けないといけない理由、もしくはそうなった理由は何なんだよ?   ということについてこれから考えたいと思います。

不思議なことを不思議なだけで済ませない努力をするために、気(氣)という概念を用いた話をしました。気は変化そのものや、変化を起こす力だったりします。とにかく、気の作用するところは自然のあらゆるところであり、止まることなく何らかの活動が生じています。

活動が起きるにはモノが必要になります。モノが変化し続けているのが、気に満ちたこの世界だと言えます。世界は 「 モノ 」と「変化する力」で出来ていることになります。

古代の人にとって、モノの中で一番大きな物は何でしょうか?

天、空って言いたくなりますが、違うんですな。

天空は大きいけど、モノではなかったのです。最大のモノは大地。天空は活動、変化の本態と言えそうです。太陽は特にその大元です。

太陽の光と熱は、それを受け取るモノがあって初めてその存在がわかります。光あってモノの無いところに陰は生じませんし、モノがあって光がなければ当然陰はありません。仰げる天の太陽が無くても、踏みしめる大地が無くても命は生まれてこなかったことは古代の人にもわかったことでしょう。

天人地は、変化そのものである時空と言い換えても良い「天」、どれだけ大きくても人の手足が届くところにある「地」、その間にいてこれらを認識している私達を意味していると考えることができます。これを陰陽論の骨子として、次に続きます。




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