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退屈だ

コロナ禍でTVなどの家電品やSNSのゲームなどの販売額が過去最高だという。
自宅で過ごす時間が増え、持てあます時間をそういった娯楽に費やしているのだそうだ。ついでにいうとインターネット通販なども絶好調。TV通販も絶好調。
これを聞くだけで、現代日本人はどれだけ人生に向き合っていないのかがわかってしまう。




きっと、退屈なんですね。
退屈だから、新しい情報、新しいゲーム、新しい商品などを外へ外へと求めてゆく。どこまでもどこまでも。今や新しい商品はマーケティングを通して自動的にやってくる時代だから、目新しいものには事欠かない。そうやって他所からやってくる情報や、商品としてもたらされる刺激に反応するだけの人生。やっている本人になぜそれをやるのかを聞いてみても、きっと楽しいからだと応えるのだろう。本人は楽しくてやっていると思っている。




それでは、なぜ、すぐに飽きて次のゲームを求めるのだろうか。楽しければ一生かけてでも出来るはずだ。一生をそのゲームに費やすことができるはずだ。楽しいとはそういうことだろう。でも現実はそうではない。つまりは、楽しくなんかないのだ。楽しさとは何たるかを知らないのだ。




ずっとやってても飽きないこと。
それは決して他人から、他所から、商品から与えられるものではない。与えられたものに、人は飽きる。
内なる声から発せられた楽しみ、内面から出てくる心躍る喜び。楽しさや喜びは己の内にこそ存在する。そのことに本当に気がつくと、目の前の日々が、一瞬が、何気ない出来事が、いとおしく感じるはずだ。過ぎてゆく時間が、日差しが、風が、草木が、空が、雲が、香りが、鳥のさえずりや虫の声が、いとおしく思えるようになるはずだ。感じるようになるはずだ。




何もない時間。何もしない時間。自分だけの豊穣の刻。
そんな風に過ごせるようになれば、
「退屈なんじゃない? ねえ、なんか面白いこと、ない?」
なんてことを誰かに云わなくなるだろう。



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