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逆走

下町の狭い交差点を抜けると道路が少し広くなった。50mほど先の左側に3台ほど路上駐車の車が並んでいる。駐車する車のテールランプは点いておらず、ミラーもたたまれているから、中に人はいないだろう。でも、見えないところから人が出てくることもある。1mほど距離をとるのが法規だが、もう少し大きく距離をとり中央車線をまたいでやり過ごそう。




その先は踏切で、赤いランプが左右交互に点滅している。前の車に続いて車を停めた。
そのときだ。白い自転車に乗り制服に身を包んだ警察官が近寄ってきて窓をノックしたのだ。彼は踏切横で、ぼくの車が狭い交差点から出てきて踏切で停車するまで、ずっとこちらを見ていた。警察官の視線に、何なんだろうと訝しく思っていた矢先だった。云われる通り車を寄せ停車すると、彼は云った。




「ずっと見ていましたが、駐車する車をよける際反対車線に出すぎでした。いくらなんでもあれでは逆走です。逆走は重大な交通違反ですよ? わかってます?」
「え、逆走? いやいや、ちょっと待ってください。あれが逆走ですか? 駐車している車から1m以上距離をとればあれぐらいはみ出ますよ? どうして逆走なんですか?」
「反対車線に出すぎなんです。気持ち内側を通るべきでした。」




そんなわけあるかいっ! 取り締まりに「気持ち」などという曖昧な言葉を使う警察官に自信のなさを見て取った。当該道路の幅からすれば駐車する車が車線の半分以上を占めており、大きく反対車線にはみ出ずに通過することは困難である。そもそも原因は違法駐車にあり、そちらを取り締まらないのはなぜか。
反論すると次第に警察官の腰がひけてきたのを感じた。今回は自分の判断で大目にみてやる、などと言い訳をして警察官はそそくさといなくなってしまった。何なんだ、アレ。



思うに、彼は上司から何を取り締まるかの指示を受けていたのだろう。状況の原因は明らかに違法駐車にあるのであるにもかかわらず、逆走に狙いを定めて取り締まった。彼の過ちは、上司の指示に盲目的に従ってしまったことにある。交通安全のために自分の頭で状況を分析して行動したのではないのだ。取り締まりの目的が何であるのかを見失っていた。制服を着て一般人にものを云えば、おとなしく切符を切られるに違いないなどとタカをくくっていたのかもしれない。




日本社会は上司に弱い。権力や権威に弱い。反発を覚えながらも、自分でものごとの良し悪しを考え選択の責任をとることが苦しいから、お上のせいにして付き従う癖があるように感じる。国家公務員であればなおさらなのかもしれない。ガッチリ組織が作り上げられたなかで自分の正しいと信じる意見を通すことは困難なのだろう。でも、人生が終わりに近づくとき、「ああ、もっと上司のいう事をしっかり聞いていればよかったな」などと思うのだろうか。



そうは云ってもね、現実はそんなもんよ。どこからか誰かの声が聴こえた。

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