愛という名の怪物

きけばきくほど、十八歳の、夢みがちな、しかもまだ自分の美しさをそれと知らない、指先にまだ稚なさの残ったピアノの音である。私はそのおさらいがいつまでもつづけられることをねがった。願事は叶えられた。私の心の中にこのピアノの音はそれから五年後の今日までつづいたのである。何度私はそれを錯覚だと信じようとしたことか。何度私の理性がこの錯覚を嘲ったことか。何度私の弱さが私の自己欺瞞を笑ったことか。それにもかかわらず、ピアノの音は私を支配し、もし宿命という言葉から厭味な持味が省かれうるとすれば、この音は正しく私にとって宿命的なものとなった。
ー三島由紀夫「仮面の告白」

幸福。そこがあらゆる運動が向かう対象であり、終着点である。

今日は1日中とにかく眠さに取り憑かれて過ごすのだろう。仮病を使って福祉就労の仕事を休み、喫茶店で興味の向くままに本の活字を眺めた。本のタイトルは「カフカとの対話」だ。昨日読んだ「変身」について理解を深めたかったが、結局はほぼ時間の空費に終わった。実証主義についてまず勉強しなければと、図書館まで行ったが、あいにく休館日だった。全くの無駄足だった。歩きながら私は苛ついていた。そのまま家路には足が向かなかった。駅前の喫茶店へハシゴすることにした。心の中は冷えた鉄のように冷んやりしていたが、体は湯気が立ちそうなほど火照っていた。

洟水をペーパーで拭いながら、私はアイスコーヒーを飲んだ。私の体をさっきから燃やしていたものの正体を知った。それは嫉妬だった。嫉妬という感情には熱感が伴うのだ。そのあと不意に私は空耳を聞いた。「好きだ」という声が私の耳介に届いた。その声が勲章の様にいつ迄も私の胸に残り続けた。

私は喫茶店を後にした。そしたら斜面からリンゴが一つコロコロと転がってきたのだった。リンゴは私の足元で静止した。私はリンゴを拾い上げて、ベンチの上にチョコンと置いてみた。不安定な台座の上で起立したリンゴを見ていると、誰かの視線を感じて振り返った。母親と息子らしき2人組がこちらに視線を向けていた。子供がベンチの上のリンゴを指差していた。私は子供が苦手だったので、はにかんだ笑顔をしながらリンゴを手渡した。私は小さくなっていくその姿を確認してから次の予定を立てた。

イートインスペースのあるコンビニに立ち寄ってカップ麺を食べることにした。大学生の溜まり場のような場所だ。私の体に貼ったバリアが周囲の関心が私に降り注ぐのを防いでいた。どの品にしようか思い悩んでいたら、私の頭にまた幻聴が響いた。「恩恵!恩恵!」とそれはこだました。私は担々麺を買って、お湯を入れて3分間待った。出来上がった麺を舌まで運ぶと、ピリっとした辛さが心地よく刺激を与えた。おっといけない。調味油を入れ忘れていたのに、二口目を運ぶ前に気づいた。入れると白濁色だったスープに仄かな橙色が添加された。うっすらとした色の赤土のような風貌をしていた。スープを最後まで啜り終えると、カップを倒してしまった。スープの飛沫がテーブルを白く汚した。人間として取り交わしていた条約を全部反故にしてしまったと感じている時に、突発的にこぼしてしまった。夜の帷が降りた。そのことに気づいた者はいないように見えた。テーブルの上の白濁とした水滴が真珠のように思えた。流れていたポップスの歌が急になり止んだ。まだ眠さが残っていたので、帰ってゆっくりとホラー映画でも観ようと思った。

終わり

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