悲願

桜鬼様主催の文芸誌『石蕗花』(狂い咲き)に寄稿させていただいた作品です。


 カーテンコールでスポットライトを浴びるたびに脳裏に浮かぶ顔がある。俺に向けられる客席の視線が、湧き上がる拍手が、称賛も非難もひっくるめたすべての言葉が、本当は向けられるべきであったかもしれない男の顔だ。彼の目に、いまの俺はどう見えるだろうかと考えてみたこともあった。けれど、それはあまりに傲慢な想像で、都合のいい推測が浮かべば浮かぶほど自分のことが情けなくなって考えるのをやめた。
 ひとの感情はすべてそのひとのものであり、他の人間の目を通せばそれは不可逆的に変質してしまうという至極あたりまえのことを、この世界にいるとふと忘れそうになることがある。台本を片手に正解を探してしまうその感情だ。その反面、舞台の上では何者にでもなれるという言葉を信じようとすればするほど、やはり他人がただ他人であることを強く実感するような気もしている。

 役者としての自分の転機を明確に覚えている。二十五歳の年だった。俺は夢を追うのだという決意を掲げ、定職を持たぬままに大学を卒業して三年、当初は輝かしかったその決意も徐々に錆びつき始めていた頃だ。所属していた劇団はお世辞にも大きな団体ではなく、定期公演をこなす以外はひたすらにオーディションに飛び込んではその結果を待ち続ける日々だった。とはいえ、胸を張って世間に代表作と言えるような役をもらったことこそなかったものの、競争の激しいこの世界の中で俺はまだ「生き残っている」ほうであったし、だからこそそれなりの熱意も持ち続けてはいた。
 そのときなんの巡りあわせか俺のもとに届いたのが、ある作品の端役兼、いくつかの役のアンダースタディとして舞台に参加してほしいというオファーだった。オファーが来た作品は著名な演出家が脚本から書き下ろした新作で、主演もかなり名の知れた俳優だった。俺の実績からすればどんな形であれ作品に関われること自体が光栄な話だし、アンダーを務める役のうちひとつは、メインキャスト級の役柄だった。オファーは二つ返事で受けた。俺にとっては、それだけで俺はまだやっていけるかもしれないという期待を抱くくらいの出来事だった。
 そのことは重々わかっていたうえで、俺がアンダーを務める中で、いちばん大きな役柄の本役を与えられた俳優の名前を聞いたとき、浮かんだ感情はあまり褒められたものではなかった。主演以外のメインキャストも、世間に名が知られているかどうかに関わらず役者としての実力は堅実なひとたちばかりだ。その中に並ぶ高原桐里(とうり)という名前は、俺にはひどく不自然に見えてしまっていた。
 桐里のことは知っていたし、出ていた舞台をいくつか見たこともある。たしか俺より二つほど歳上で、年齢のわりに役者としての活動歴はそれなりに長いが、いままであまり大きな舞台には立ってきていないはずだ。演技は下手ではないが飛び抜けて上手くもない。少なくとも、他のメインキャストたちに並ぶ実績や実力があるようには思えなかった。彼のなにが演出家の目に留まったのかはわからないが、この程度のやつがこんな大きな舞台に呼ばれるのか、という感想を無意識に抱いてしまった。かといって俺の方がこいつより上手いと大声で言えるほどの自信も俺にはなかった。大概情けない人間だ。

 一回目の稽古で初めて顔を合わせたとき、桐里は俺が挨拶をするより先にわざわざ自分から俺を探して声をかけてきた。屈託のない笑顔で「一緒に頑張ろう」と手を差し出してきた桐里には、悪い印象をもつ余地がひとつもなかった。キャスティングを聞いたときに覚えた感情へのうしろめたさもあって、すこしそれに気圧された。
 俺が本番で演じる予定の役は出番も台詞も多くはなく、稽古の時間のかなりの部分を俺は桐里の役――俺がアンダーを務める役の中で最も重たい役柄――の稽古に張り付いて過ごしていた。稽古が本格的に始まってからも、桐里の実力に関して抱く印象はそう大きく変わらなかった。メインキャストの多くはすでに知名度が高くてスケジュールも詰まっており、稽古に時間を割けずにアンダーに任せていることも珍しくなかった。桐里はほとんどの稽古に自分で参加していたが、それでも、稽古回数が少ないはずの他のキャストたちの方が呑み込みも早ければ完成度も高い。そのことは稽古場にいるだれの目にも明らかだった。
 桐里は稽古中、役の解釈や演技についてよく俺に意見を求めてきた。高原桐里という役者は天才でも秀才でもなかったが、実直で素直な人間ではあった。努力は惜しまないし、人の意見をまっすぐ聞くし、どれだけ厳しいことを言われても、稽古が終わればいつでも機嫌良く振舞っていて、周囲からは弟分のようにかわいがられていた。人から愛されるというのはそれだけで一種の才能ではあると思う。未熟な部分があるとて、周りに自然とそれを補完しようと思わせるのは誰にでもできることではない。
 桐里のそういう部分に惹かれるものがなかったといえば嘘になる。本役とアンダーという関係性でありながら俺のことをいつでも対等な役者として扱っていた桐里とは、稽古のあいまにいろいろな話をした。このメンツの中に放り込まれて不安じゃなかったのかと失礼なことを聞いたとき、桐里は「不安に決まってる」とそれを笑い飛ばした。
「オーディションもそんなに手ごたえなかったし、他のキャスト発表されたときはびっくりしたし。でも、決まったらあとはやれるだけやるしかないだろ」
 桐里のこういうところが人の目に留まるのだろう。ともすれば綺麗事と呼ばれるようなことを、彼は根っからの本心であるように口にできてしまう。
「俺、アンダーは何度かやってきたけど自分の役にアンダーが居るって初めてだったから、そっちもちょっと緊張してた。宗太で良かった」
「桐里さん、だれにでもそういうこと言うからな」
「ひどいな。でも、本当に助かってるんだよ」
 桐里は書き込みだらけでくたくたになった台本に手をやって笑った。読めるんですかそれ、と聞いたら「宗太の本だって似たようなものだろ」と言われた。

 桐里の衣装合わせに付いて行って、桐里が本番用の衣装を上から下まで着ているのを見たとき、率直に似合うなと思った。アンダーを打診されるだけあって俺は桐里と背格好はかなり近しいが、サイズ確認のために俺が同じ衣装を着せられたときにはどうにもしっくりこなかった。衣装を着た俺を見て、桐里が「いいじゃん」とのんきに笑う。「さすがに桐里さんのほうが似合うでしょ」と答えれば、桐里は面食らったように目を丸くした。
「なんですか、その反応」
「宗太に褒められると思ってなかった」
「なんで? 俺そんなに生意気に見えてました?」
 桐里は「生意気っていうか」としばらく言葉を探したあと、困ったように微笑んで、しかしまっすぐと俺の方に向き直った。
「だって、宗太俺のこと認めてないじゃん。役者として、って意味で」
 桐里の口からあまりに直截的な言葉が飛び出してきたことに思わず面食らって、すぐにはなにも返せなかった。この文脈での沈黙は肯定を意味する。台本に書いてあったらだれしもそう解釈する。事実、否定はできなかった。
「別にいいんだけどさ。自分の実力の問題でもあるし」
「いまのは、お世辞のつもりではなかったですけど」
「そう聞こえたからびっくりしたんだよ。本音かどうかくらいわかるって」
 桐里の視線から思わず目を逸らしたくなった。俺だって他人を見下せるような役者では到底ないし、身の程知らずの傲慢だと罵られても仕方がないが、桐里がそういう非難はしないであろうことも知っていた。
「宗太と稽古してると、たまに、宗太の方がこの役のことわかってるんじゃないかって思うときがあって怖くなるんだよな。それもあって」
「自信ないなら、いつでも譲ってもらっていいですよ」
「さすがに、それは嫌だな」
 桐里がそう即答する人間で良かったとは素直に思った。この世界で生き延びていくためにはきっとある種の矜持は必要不可欠で、桐里はそれを持っている側の人間だ。
「でも、俺は宗太のそういうところ嫌いじゃないよ。俺の方がちょっと年上だからって理由だけの尊敬なんか要らないし、宗太がそういうことするタイプじゃなくて良かったと思う」
「桐里さんのこと、たまにマジで怖いんですよね」
「なんでだよ。俺いまいいこと言っただろ」
 衣装を脱ぐ俺を見ながら桐里は肩を竦めた。桐里に何かが起こらなければ、俺がこの衣装に袖を通すことはもうないはずだ。そういう夢を見たことがないとは言わない。だけれど、それが現実になることを到底望めない程度には桐里のことを知ってしまったし、この衣装で舞台の上に立つのは桐里であるべきだといまでは思う。高原桐里というのは、俺の立場にだれがいたとしてもそう言わせてしまうだろうと確信できるような男だった。

 だからこそ、その夢が叶ってしまったと知ったとき、俺はどういう感情で舞台と桐里に向き合えば良いのかひとつもわからなかった。朝一番にスタッフから連絡が来て、桐里が深夜に事故に遭ったと聞かされたのは、本番まで残り一週間という時期だった。
 前の日の夜、桐里が遅くまで稽古場に残っていたことは知っていた。終電はいいんですかと聞いた俺に、桐里は「タクシーで帰るから大丈夫」と答えていた。そのタクシーの運転手が居眠り運転で歩道に突っ込むという大事故を起こしたのだという。深夜帯だったこともあり他の車や歩行者を巻き込むことはなかったうえ、運転手も桐里も命に別状はないとのことだったが、桐里の怪我は軽傷では済まないらしい。複数のアンダーを立てるだけあって、公演は予定されているだけで二か月と比較的長丁場だが、おそらく大千秋楽にも間に合わないだろうとのことだった。そういうことはほんとうにあるのか、とどこか他人事のように思った。
 桐里が面会を許されていなかった数日の間は本当に眠る暇もないほどの慌ただしさだった。桐里が戻ってくることはないと思え、という指示のもと、俺は本番で桐里の役を演ることになってしまったし、俺がもともと演るはずだった役は別のアンダーに割り当てられた。アンダーとして一緒に稽古をしてきたとはいえ、本当に俺が舞台に立つとなるといままでのままというわけにもいかない。本公演までまったく時間がないまま、あらゆるキャストやスタッフに付き合ってもらいながら無我夢中で稽古を重ね、正直桐里の容体を心配する余裕すらないくらいだった。演出家から「なんとか初日から出来そうだな」の言葉が出た瞬間、そのまま気絶するかと思うくらい全身から力が抜けたのを覚えている。
 見舞いが許されたあと、俺は本番前に桐里に会いに行くかどうかを悩んでいた。桐里の舞台への思いはだれより俺が知っていると思うし、それに賭けた努力を観てきた。俺にはいちばん会いたくないのではないだろうかと躊躇していた。優柔不断な俺を見透かすかのように、「できれば直接会いたい」と連絡してきたのは桐里の方だった。
「ごめんな、忙しいのに」と、大部屋のベッドの上で桐里は俺を出迎えた。
 桐里のベッドの周りには、友人や仕事仲間から届けられたのであろう見舞いの品がいくつも並べられていた。片脚片腕と首を固定された状態でベッドに背を凭れている桐里を目の当たりにしたとき、なにも言葉が出てこなかった。俺がなにを言っても他人事だ。どんな表情をしていたか自覚がなかったが、桐里は俺の顔を見て「もうちょっとマシな顔で入って来いよ」と笑った。
「あれは、俺も不注意だったよ」
 事故の話になったとき、桐里は目を伏せて言った。
「あの日は正直疲れててさ。すごい眠くて。うとうとしてたから、運転おかしいのに気付いてなかった。事故のことがなくても、タクシーで寝るの危機感なさすぎ」
 桐里さんが悪いことはないでしょ、だとか当たり前のことしか言えなかった。桐里は「ありがとう」と言ったけれど、こんなやりとりは俺以外とも飽きるほどしてきたはずだ。
「宗太のことは信頼してるから、舞台のことはあんまり心配してないよ。大変な思いさせて悪いなと思うけど、俺のことはあんまり気にしすぎないで、宗太の役として演って来いよ」
 俺に向かってその言葉をすらすらと言えるようになるまで、桐里の中でどれだけの葛藤があったのかは想像もつかない。与えられた役を演じるときのように、それを自分のものであるかのように思い描くことなど到底できない。桐里の感情は桐里のもので、それを俺がこねくり回すことなど許されないと思った。桐里が、いま俺の前で簡単な言葉で表せるような強い感情を表さないのだとしたら、俺はそれをそのまま受け止めなければならないと思った。
「俺は桐里さんの稽古をずっと観てたし、桐里さんとずっと役のこと話してたから、俺が演っても、桐里さんの作ってきたものが、消えるわけじゃないと思う」
「うん。そうだといいな。ありがとう」
 どう話しても安っぽい慰めにしかならない。こんなにも自分の表現を無力に感じたこともなかった。桐里に、何かが届けばよいと思うことすらもはや傲慢だ。
「いい舞台になったらさ、再演とかあるかもしれないし。そしたら、今度はちゃんと自分で演ってくださいよ」
 その言葉に嘘はなかった。本心から言ったつもりだった。桐里は「そうだな」と目を細めて笑った。

 公演を走り抜けていたあいだの記憶と感情はどこか曖昧だった。桐里は降板がさほど話題になるほどの役者でもなかったから、俳優の交代が発表されたときも、多くの観客にとっては知らない役者が知らない役者に代わっただけのことだっただろう。二か月の公演のあいだには特に大きな事故も事件もなく、舞台はほぼ前評判通りの高評価で幕を閉じた。俺の役者人生の中では一段飛ばしで大きな舞台だったがなんとかやりきったと思う。桐里と一緒に着たときには俺にはあまり似合わないと思っていた衣装も、いつの間にか最初からそういうものであったかのように馴染んでしまっていた。
 大千秋楽のカーテンコールでスポットライトを浴びたとき、自分がどういう感情でこの場に立っているのかがわからなくて、ほんの一瞬足元が揺らいだ。努力はしたと思う。その努力が他人の不幸を養分にして芽吹いたとしても、それを誇ることは正しいのだろうか。だれもそれを責めないであろうことはわかっていた。俺が幸運で、桐里が不幸だっただけだ。突き詰めればほんとうにそれだけのことなのだ。
 大千秋楽のあと、SNSで投稿した公演のお礼と報告には、本当にありきたりな形で桐里の名前を含めた。なにかを言いたい気持ちはあったが、なにを言うべきなのかがどうしてもわからなかった。数十分後に、その投稿に桐里からの返信が付いた。いつもの桐里の口調で、いつもの調子で、要約すればただありがとうと伝えるだけの文章だった。
 桐里のリプライに簡単な返事をしたその流れで、俺はSNSの検索欄に自分の名前を打ち込んでいた。公演名、苗字、下の名前、演じた登場人物の名前。多くは、俺が代役であることを知ってのコメントだったが、その中に、数は多くないもののいくつか俺の演技そのものに対しての言及があって手が止まった。良い評価一辺倒というわけでもなく、メインキャストの中では見劣りするといった手厳しいコメントも目にはついたが、それでも俺の名前が世間で語られているというその事実が鮮烈だった。つい数十分前に届いた桐里からの返信よりも、そちらのほうがよほど自分の感情を動かしていると気付いたときにはかなり落ち込んだ。それでも、結局大きな舞台をやり遂げたという高揚はなかったことにはできなかった。自分ひとりの力ではないことも、絶賛されるほどの完成度でもなかったこともわかっている。それでも、桐里の不幸は俺にとって間違いなく幸運だった。そのことをどうしたって否定はできなかった。

 桐里とは、結局公演が終わったあとまで連絡を取るような仲にはならなかった。フォローしていたSNSアカウントの投稿は目に入れば読んでいたが、退院してから数か月後のたわいもない報告を最後に更新は止まり、千秋楽から半年ほど経った頃に桐里は高原桐里の名前で運営していた一切のアカウントを消した。所属していた劇団のウェブサイトからもいつのまにか名前が消えていた。それから先、桐里が板に乗るのを目にすることはなかった。どういう決断をしたのか、あるいはなにかが出来なくなったのか、この先なにをしていくのか、俺は彼のそれからのことをなにひとつ知らない。
 二年後に件の舞台が再演された際、あの役に呼ばれたのは俺だった。演出家が桐里に声をかけたのかどうかは結局知らない。その頃にはもう、俳優としての高原桐里のことを覚えている人間など数えるほどしかいなかっただろう。キャスティングが発表になった日、日課のエゴサをしていたときに、だれかひとりくらい、俺じゃなくて桐里に演じてほしかったと言っていないだろうかとふと思った。その投稿を実際に見てしまったときに覚える感情が、安堵なのか嫉妬なのかはもはや知るよしもなかった。名も知られぬ俳優が演じる役が、不慮の事故で同じく知名度のない俳優に変わったと知らされたところで、世間の記憶などそんなものだ。
 全員が全員続投というわけでもなかったが、再演に集まったメインキャストは八割方当時の人選のままだった。最初の頃は、だれかがふと思い出したように桐里の名前を話題に出すこともあったが、稽古が進むにつれて次第とそれもなくなっていた。どんな事情があったとて、去った者は次第に忘れられていく。桐里はこの世界を去って、俺はいまでも残っている。それだけがただ残酷なまでに正しい事実だった。
 演出家が俺のことを俺の役の名前で呼ぶ。俺が解釈がなっていないと叱られるのを、若いアンダースタディが横で見ながら必死に台本にメモを取っている。それはそのまま俺の日常の一部だった。なにかを投影することも、想起させることもなく。

 カーテンコールのスポットライトを浴びるたびに脳裏に浮かぶ顔があった。いつのまにか、それを思い出すことも減ってきていた。


2023.04.11 初出 (『石蕗花』狂い咲き )

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