灯標/水平線

桜鬼様主催のアンソロジー Portray に寄稿した作品です。



 ――いってきます。と母に手を振ると、母は両手でこぶしを握って胸の前で下に振った。元気でね、と母音の発音が曖昧に掠れた声が言う。――お母さんもね。と返して玄関のドアを開けた。外は曇り空だった。じゃあね、と足を踏み出すと、母はすこしだけ寂しそうな顔をして微笑んだ。家の中が暖かかったからだろうか、スーツケースの持ち手がほのかに汗ばんだ。
 住宅街を抜けてJRの駅に向かうまでは、高校時代から毎日たどっている道だ。駐車場の角を曲がって、海のほうへとまっすぐ抜ける。ほんの数分も歩けば明石大橋の根っこが見える。今日は海岸に出ても島は見えないだろう。スーツケースの車輪がアスファルトに擦れてがりがりと音を立てる。その音と右手の重たさだけがいつもと違った。天気だって服装だって横をすれ違うひとだって本当は毎日違うというのに、いつもと違うことをわざわざ探してしまうことを、名残惜しさだとか感傷だとか呼ぶのだろうか。そんな陶酔に浸るには、今日は天気が悪かった。このあたりは夜から雨になるらしく、すれ違う八割くらいのひとたちは長傘を手に歩いていた。私は残りの二割だった。
 
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 駅に着いたとき、「カナエちゃん?」と後ろから名前を呼ばれた。見覚えのある顔を記憶から呼び戻すのにすこし時間がかかったけれど、小学校時代に仲良くしていたマキちゃんのお母さんだと気が付いた。十年以上経っていても、大人の顔立ちは根本的なところでは変わらないものだ。「お久しぶりです」と頭を下げると、マキちゃんのお母さんは「カナエちゃんはまだこっちにおるんやね」と言った。スーツケースを持った私が、どこか別の場所から実家に帰省してきたところだとは考えないようだった。
「私、いまからちょうど引っ越すとこなんです」と言うと、マキちゃんのお母さんは目を丸くした。
「あら、どうして。もしかして結婚とか?」
「仕事の都合で、別の職場に移ることになって」
「でも、そしたらカナエちゃん、お母さん心配やないの? 一緒に行かはるん?」
 マキちゃんのお母さんは、大げさな仕草で口元に手を当てて私の答えを待った。そう聞かれるだろうと思った。私だって、それはも何度も私自身に問うてきた。
「母はこっちに残ります。必要やったら通訳のひともお願いできるし、大丈夫ですよ」
 マキちゃんのお母さんは、やけど、と納得しかねるように呟いた。「新幹線の時間があるので」と言って軽く会釈をし、私はその視線から逃げ出した。彼女の姿が見えなくなったところまで来て、ふと、マキちゃんはいまどうしているんだっけと考えた。成人式に行かなかったから、みんなの近況をSNSくらいでしか知らない。それもあまり頻繁に見るわけではなかったけれど、マキちゃんの投稿はなんだか目についたような記憶があるのだ。結局のところ、その仔細は思い出せなかった。コートのポケットから引っ張り出したパスケースを押し当てて改札を通る。切れた定期が印字されたままのこのICカードが向こうでも使えるのか、そういえば調べていなかった。
 
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 小学校の授業参観のとき、手も挙げていないのに先生が私を指名したことがあった。先生は、宿題で書いてきた、教科書の物語に対する短い感想文を読み上げるように私に言った。母がグレーのジャケットと紺のスカートに身を包んで、少し居心地悪そうに教室の後ろに並んでいた。母はいまの私よりも年下のころに私を生んだから、他の保護者のひとたちと比べても年若いほうの部類ではあるはずだった。けれど、派手ではないまでも小ぎれいに整えられた服や髪形がしっくりきていた他のお母さんたちと並んでいると、彼女はどこか自信なさげで、若いというよりは幼いという印象が強かった。私は母を好きだったけれど、母が私の後ろにいて私を見ていることを思うと、なんとなく落ち着かなかった。
 私は席を立って、ごんぎつねの感想文を読み上げた。どんな内容だったかはあまり覚えていない。けれど、ごんがかわいそうだと思いました、だとか、独創性もなければあたりさわりもないことを書いていたのだろうと予想はつく。作文はあまり得意ではなかったし、よく赤ペンを入れられて返される側だった。人前で文章を読むのも好きではなかった。だから手を上げなかったのだ。なんで私を指名したのだろう、と不思議に思いながらも読み終わって席に着いたとき、先生が大袈裟に手を叩いたのをいまでもよく覚えている。私の前に読んだ子のときには、「よく書けていますね」の一言で済ませていたのにだ。
 先生の拍手につられて、二つ隣の席にいた、サユリちゃんという真面目で優しい女の子が真剣な顔で手のひらを打ち合わせた。それを皮切りにクラスのみんなや、後ろで見ていた他のお母さんやお父さんたちも次々と手を鳴らし始め、最終的には私は万雷の拍手に包まれていた。私はあまりの戸惑いに耐え切れず、縋るように母を振り返った。彼女は気恥ずかしそうな顔で身を縮こめて、それでも誇らしげに私を見ていた。目が合いそうになって慌てて膝の上に置いた手に視線を向ける。そのまま、私はだれとも目を合わせないようにしながら、拍手が鳴り止むのを息を止めて待っていた。
 私の次に指名されて読んだヤマモトくんの感想文は、私のものなんかよりずっと上手で感動的だった。彼はクラスでいちばん文章がうまかった。ヤマモトくんの立ち姿は堂々としていて、まっすぐ良く通る声で彼は自分の書いた文章を読んだ。周りのお母さんやお父さんたちは、感心したようにうなずきながらそれに聞き入っていた。先生は、「すばらしい感想文ですね」とにこやかに彼を褒めた。拍手は起こらなかった。
 
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 平日の昼間だということもあってか、駅はがらんどうだった。海沿いの町の冬は寒いというけれど、私は海のないところで春を待ったことがない。向かいのホームには何人かの人影があったけれど、話し声は聞こえなかった。次の快速まではあと十分。普通列車の到着を知らせるアナウンスが響いた。言葉を音で拾うのが億劫になる。
 生まれてはじめて知った言葉は音を持たなかった。そのせいか、音をともなった言葉がいつまでも苦手だ。頭の内側にある概念が、手指の動きにはなっても音にうまくならない。周りの人びとがひっきりなしに扱うその音たちは、私にとって波の音とさほど変わりがなかった。打ち寄せては引いて、満ちて乾いて、縋りつこうとすれば溺れるばかりで。とてもそのただなかに身を置くようなものではなかった。電車がホームに着く。音楽が流れてドアが開く。だれの足音も聞こえない。ドアが閉まる。走り出す。遠ざかる。腰を下ろしたホームのベンチはひどく冷たかった。
 駅のすぐ外に広がる海と吊り橋と、その上を行き交う車たちのことを考えた。何年もずっと見続けてきた景色だ。別の海を見ながら、この海を思い出す日がいつか来るのだろうか。こんな感傷はあまりに陳腐だと思ったけれど、その想像は現実感が乏しかった。片道切符だなんて呼ぶほど遠いところまで行くわけでもないというのに、百万回も言葉にされたような感情ですら、私は自分自身で持ったことがなかった。
 聞き慣れたメロディがまた流れ、三宮の方面へ向かう快速列車が姿を見せた。ベンチから立ち上がって、乗り場を示す足元のマークのところまで向かう。スーツケースの車輪が、黄色い点字ブロックに引っかかってバランスを崩した。それを立て直すのに手間取っているうちに、到着した電車が扉を開いた。慌ててキャリーハンドルを引っ込めて、本体の持ち手を掴み電車の中に押し込んだ。
 
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「カナエちゃんって、なんか、言い方が変なんよね。セリフの。もっと普通に言ってくれたらええんやけど」
 高校の二年生だったとき、文化祭でやるクラス演劇の練習中に、演出担当のミナミちゃんはふと私にそう言った。私は、一言だけ台詞のある端役で、特別希望したわけでもなく、気付いたらただそこに割り振られていた。「桜が咲いたら見に来るよ」という一言だった。どういう文脈の中にその言葉があったのかは忘れてしまった。ただ、その一言を、冬の海岸沿いの国道を歩きながら言う役だった。
「訛っとるってこと?」
「うーん、なんやろ、発音? アクセントかな」
「ええ、わからへん……いまも変?」
「ううん、なんか、おっきい声出すときだけやと思うけど」
 首を傾げたミナミちゃんは、そのあと、私がその台詞を言うのを録音してくれた。機械越しに聞く自分の声は、思ったよりも音が低くて、音量は大きいわりに、音節と音節のあいだの発音が曖昧だった。母の声と同じだ、とそのとき思った。高校二年生にもなって、初めて気が付いた。いままで、私もこの声で生きていたのだ。一度意識してしまったら、どういう喋り方が普通なのか、どうしたらそうできるのかわからなくなって、そのあとうまく大きな声を出すことができなくなってしまった。
 ミナミちゃんは、私が彼女の指摘に傷ついて台詞が言えなくなってしまったのだと思ったようで、焦った顔で何度もフォローをしてくれたけれど、結局その役は他のひとに譲ることになった。役に未練があったわけではなかった。ただ、あの一言の台詞自体はすこし気に入っていた。「変なこと言ってごめん、余計言いづらくなるやんな」と言うミナミちゃんには、「気にしてへんよ」と返した。本番では体育館のキャットウォークから、大型のライトを使って舞台を照らす役目を仰せつかった。波の音をBGMにして歩く登場人物たちを、白いライトで追いかけた。上手から下手に向かって歩く、少しだけ下手側で足を止める。いまから台詞を言う、エミちゃんにライトを絞る。「桜が咲いたら見に来るよ」と、エミちゃんが言う。また歩き出す。ライトで追う。下手にはけると同時にフェードアウト。
 本番当日、エミちゃんの言ったその台詞は、波の音に混じって私にはよく聞き取れなかった。私は舞台の外にいた。波の音も、言葉も、声も、ぜんぶ同じに聞こえるくらい遠いところにいた。場面が変わる前に、ライトのフィルターを黄色に入れ替える。照らす。消す。とっくに波の音は消えていたはずなのに、どうしてか舞台が終わる最後まで、それは私の隣にあった。カーテンコールとともに客席から拍手が沸く。音が満ちる。しぶきがきらきらと舞う。私には向かない拍手だ。私はそれを一望できる場所から眺めていた。
 
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 重たいスーツケースとともに乗り込んだ快速電車の車内にもろくろく人はいなかった。朝晩のラッシュの時間は混み合うものの、この時間となればこんなものだろう。丸々空いた八人掛けの座席のいちばん端に腰を下ろして、スーツケースを転がらないように押さえ、背もたれに寄りかかる。
 向かいの席には、聾学校の制服を着た女の子が二人、並んで座っていた。登校にしては遅い時間な気もするが、なにか行事でもあるのだろうか。学校自体は数年前に名前が変わったはずだが、彼女たちは母の後輩だ。母は、この街で生まれてこの街の学校に通い、この街で私を生んだ。母の両親もそうだと聞いた。母は、私がここを出ることは諫めなかった。彼女がこの街を愛しているかどうかは知らない。あまり外に出る人ではなかった。スーパーと、薬局と、本屋を往復して、たまに橋の近くの公園で花の写真を撮って帰ってきていたくらいだ。――桜は須磨の方がきれいじゃない? と言ったこともあるけれど、母は垂水より東にはめったに足を伸ばさなかった。
 女の子たちは、声は出さずに会話をしていた。閑散とした車内で、彼女たちの大声はよく目についた。髪の短いほうの子が、一昨日読んだらしいマンガかなにかの話をしながら、喉を鳴らして楽しそうに笑っていた。髪の長いほうの子は、くるくると表情を変えながらそれを聞いていた。彼女たちはこんなにも堂々と話をしているというのに、私はどうにも盗み聞きをしているような気分だった。見なければいいのだというのはわかっていた。けれど、そこで言葉がやり交わされているのをわかっていて、あえて目を背けるというのもなんだか違うような気がした。
 髪の短いほうの子が、なにか短い単語を口に出した。私には聞き取れなかったその言葉は、隣の髪の長いほうの子には過不足なく伝わったようだった。たぶん、自分の隣に座っている友人の名前を呼んだのだろう。彼女たちのあいだにある言葉を、私は覗くことができたけれど、すべてがわかるわけではなかった。隙間から覗いているだけだった。
 「カナエ」と母が私を呼ぶ声を思い出す。私がいつの間にか自分の喉に写し取ってしまった母の声だ。母の声を恥ずかしいと思った時期が私にもあった。私のように育ってきた人間にとってはよくあることなのだという。母の声や、手指での会話が、他の人たちの目を引くのがむず痒かった。母と一緒に出掛けると、幼いころからいくどとなく周りの大人たちから通訳を請われることとなり、そのたび、「偉いね」と褒められるのにも違和感があった。音を持った言葉の中でうまく生きられないくせに、音のない世界の方に矜持を持つこともできなかった。私はどちらの側にいるときも、私はここにいるべき人間ではないと思っていた。
 いたたまれなかった授業参観を思い出す。母はどうしてあのとき、通訳のひとを連れてこなかったのだろう、といまになって思う。
 
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 高校を卒業したあと、私は自転車で通える距離の会社に就職した。高校が斡旋してくれた会社だったから、就活というほどのこともなくあっさりと決まった。私は採用担当のひとに母のことを話さなかったけれど、向こうはなぜか知っていた。高校の先生から聞いたのだろう。「若いのに立派だね」と、中年の人事部長は微笑んだ。母と二人で暮らしていることのなにが立派だというのだろう、と思ったけれど、「ありがとうございます」と返した。
 就職して三年働くあいだに、先輩の女性社員が三人、結婚して会社を辞めた。そういうものなのか、とぼんやりと思った。私は恋愛にはあまり縁がなかった。自分の数年後を想像したときに、彼女たちと同じ道を歩んでいることが思い浮かべられなかった。仲の良かった先輩にそう言ってみたら、「みんなそんなものだよ」と笑って言われた。その先輩は、新しくできた横浜の支部に転属になった。付き合って長い恋人がいるとは聞いていたけれど、その後どうなったのかはいまだに聞いていない。
「カナエちゃんはどうなりたいの」と、その先輩はかつて私に聞いた。私は答えられなかった。
 この街に母と二人で暮らして、この街の会社に勤めて、家と会社を往復して。その日々が続いた先に自分がなにを求めているかなんて、自分がいちばんわからなかった。会社の中では毎日言葉が飛び交っていた。私はその波を掴むのに毎日必死だった。言われたことが出来ないほうではなかったと思うけれど、やりたいです、と言うのは苦手だった。大きな声をあげる勇気がなかった。私の声は――母の声は、お互い以外には届かないかもしれない、とどこかで思っていた。届けなければいけない、と本気で思うほどに、やりたいことも欲しいものもなかった。他のみんながそういうものを持つようになった時期に、私はどうやって、なにを考えて生きていたんだろうか。波の音が思考をさえぎってくる。
 今年になって、また神戸の支部から何人かを横浜に送ることになったとき、人事部長が私を呼び出した。先輩が、私のことが欲しいと言っているのだと聞いた。手話通訳でも必要なんですかと問うたら、人事部長は「別にそういうんではなくて」と答えた。
「まあ、きみはお母さんのこともあるからあれやけど……」
 そのとき、「大丈夫です、行きます」と考えるまえに言葉が口をついた。母を疎んでいたわけではない。けれど、私がいないとどうしようもないと断言できるほど母を信頼していなかったわけでもないし、ただ、私はこの閉塞に嫌気がさしていた。どこにいても、どの言葉を使っていてもここは自分の居る場所ではないような気がしていた。そういうものは自分で探さなければいけないのだということをわかっていて、私にはそのやり方がわからなかった。
 言葉が口をつく、という経験はそういえば初めてだった。頭の中にあった言葉が、そのときばかりはすんなり声となって外に出た。そういうこともあるのだ、と後になってはっとした。
 
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 聾学校の二人は、私が乗った次の駅で席を立った。そのとき、髪の長いほうの子のコートのポケットからなにかが滑り落ちた。彼女たちはそのことには気付かずに、ドアの前まで歩いて行ってしまった。私がスーツケースを引きずってそれを拾いに行ったときには二人はもう電車を降りようとしているところだった。落し物は、少女アニメのキャラクターの絵がついたパスケースで、いちばん上に入っていたICOCAにはこの駅までの定期が印字されていた。彼女たちは補聴器をつけていたから、大きな声で呼びかければ気付いてもらえたかもしれなかったけれど、とっさにそうできなくて、私も二人を追いかけて電車を降りた。
 改札に向かって並んで歩く二人を引き留めてパスケースを見せると、それを落とした方の女の子が目を丸くした。私の手からパスケースを受け取った彼女は、「ありがとうございます」ときれいな発音で口にして頭を下げた。ほんの少しだけ迷ったけれど、電車の中に落としていたよ、と手を動かすと、彼女たちは再び目を丸くした。なぜ迷ったのだろうとは自分でも思った。これはこの子たちの言葉で、母の言葉で、どうして、私の言葉ではないと私は思っているのだろう。二人はすこしだけ悩んだようにお互いに顔を見合わせたけれど、髪の短いほうの子が、おそるおそると言ったふうに、――同じ学校のひとですか。と私に聞いた。違うけど、と首を振ると、彼女たちはやはりぽかんとした表情を浮かべて私を見た。
――私のお母さんが、あなたたちと同じ学校に通っていたんだ。
 見ず知らずの大人にそんなことを言われたって困るかもしれないとも思ったけれど、彼女たちは存外素直に笑顔を浮かべてくれた。勉強頑張ってね、と別れるとき、今度は二人は右手で左手の甲を切る仕草をして、「ありがとうございます」ともう一度声を出して言った。私が「さようなら」と出した声は少し掠れた。あの子たちのほうが多分上手に声を使っていた。
 
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 そのままホームに戻って次の電車を待ってもよかったのだけれど、なんとなく歩きたい気分になって改札の外に出た。海が見たくなったのだ。お金はすこしもったいないけれど、一駅分だけ歩こうと海岸沿いの国道へ向かう。空は白くて、ところどころで灰色の雲が濃い。海を眺めるのにいい天気ではなかったものの、毎日見ていたと思えばこれでも十分だ。新幹線の切符はほんとうは自由席で買っていたから、時間はいくらでもあった。
 川が海へと開けるところにかかった橋を渡ると、そこから海岸沿いに出られる。テトラポッドの上の舗装された道をスーツケースを引いて歩く。潮風が耳元でひゅるりと音を立てる。昼間でも息が白んだ。小さな漁港に帰ってくる船が見えた。波と風の音のあいだを縫うように、スーツケースの車輪がコンクリートの地面を鳴らした。霧がかった曇り空と光を帯びない灰色の海は、水平線のところでぼんやりと混ざり合っていた。どちらがどちらなのかがわからなかった。
 水平線に辿りつく前に見えなくなった船を目で追いながら、ああそうだ、マキちゃんは横浜の大学に行ったのだ、とふと思い出した。国立なら神大でいいのに、と不思議に思ったのだった。私は大学のことをよく知らなかったけれど、どうやら難しさはそれほど変わらないらしかった。十八歳の彼女はわざわざ選んでこの地を離れた。その理由をすこし聞いてみたいと思った。彼女はまだそこに住んでいるのだろうか。私のことを覚えているだろうか。マキちゃんくらい頭が良かったら、自分がどこに立っているかということを、迷うこともないのだろうか。
 白い海の真ん中には、暗礁を示す灯標がかすみを帯びながら佇んでいた。その前で足を止める。白い海と灰色の空と、黒く陰った漁船の陰の間、灯標の黄色だけが色彩を持った景色だった。はっきりとした輪郭が見えるわけではなかった。ただ、そこにあることだけが見えたから、視線が奪われる。それだけが世界のすべてであるように錯覚するほどだった。そう感じてしまうことが必ずしも間違いだとも私には思えなかった。
 海は凪いでいた。マフラーの隙間から海風が首を撫でた。スーツケースを引く手が痛む。手袋をこの中に入れたままにしてしまった。指が上手に動かない。空気が冷たいから、声もきっとうまく出ないだろう。あの日言えなかった一言の台詞を、私がこの街に残していく術はどちらもなかった。あの言葉を取り戻さなければいけないだろうか。そうだとしても、いまでなくてもいいと思った。次の春じゃなくても、いつか。
 振り返ると、橋は白くかすむ海か空か、そのどちらかに半ばから飲み込まれていた。もう一駅分だけ、この海を見ながら歩こうと思ってマフラーを巻きなおした。


2019.05.06 初出(Portray)


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