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夜番

私が鳥の国に住むわけは、母に連れられて来たからだ。
母が鳥の国へ着いたとき、私はまだ生まれたばかりの赤ん坊だった。しがらみが多いと鳥の国に入れないはずなのに、どうして母が受け入れられたのかはわからない。彼らは、たぶん、幼いうちから鳥として育てれば私も鳥になると考えたのだろう。残念ながら私はヒトの成分を保ちすぎたまま大きくなってしまった。鳥になれないまま、母のように鳥の国に馴染めもしないまま。

ヒトの国にもどりたい?
離ればなれになるとき、母がこう聞いた。
そんなこと。
ヒトの国の記憶はまったくない。ヒトのことばも喋れない。鳥の国では鳥のことばしか使ってはいけないから、母は私にヒトのことばを教えなかった。今さらヒトの国に返されて、私はどうすればヒトになれるの。
母はうつむき、ごめんなさい、と言った。

料理上手だった母は引き抜かれ、鳥の王の料理番をまかされている。鳥の王は浮き島に住んでいるので、母とはもう何年も会っていない。私は母の助手をしていたのだが、浮き島について行くことは許されなかった。
残された私にはこれといった技能もないので、ハンターの仕事に回された。聞こえはいが食料の調達係だ。虫を捕獲する役。いかにも下働きだ。虫は殺してしまっては食料にならないので、生け捕りにしないといけない。命がけとまで行かないまでも、これがかなりの重労働だ。母が言うには、鳥の国とヒトの世界では縮尺が違っていて、ヒトの世界では鳥も虫も私が持てるほど小さかったと。ここでもそうだったなら、虫を捕まえるのにこれほど重装備で、全身土まみれになることもないだろうに。
私が捕まえた虫は浮き島へ運ばれ王の食卓に上る。ハンターにはヒトのほうが重宝がられた。鳥たちのなかには本能に負けてつまみ食いするものもいるから。
逃げようとする虫を力ずくでまとめて背負い、運搬係のもとまで運ぶ。母のように空高くとはいかないまでも、自分の背丈の倍くらいは飛ぶことはできる。まったく飛べない種類の鳥たちもいるから、わずかでも優越感を味わえるときだ。浮き島への中継地点である塔に着き、背中の荷を降ろす。運搬係は身体の大きな鷲が担当する。肉食だけれど自制心がある鳥だからだ。

「どうだ、飛び具合は」
この大鷲は母の知り合いで、私が幼い頃から見知っている。私が飛べるように手ほどきをしてくれたのも彼だ。
「ここまで飛ぶので精一杯」私の答えは何年も前から変わらない。
「お前はまだまだ若い。これからでも高く飛べるようになる。お前の母親なぞ、あの年から始めて浮き島に行ったのだからな」
鷲はいつものように私を励ます。そうだね、そうなるといいけど。

今日の仕事はこれで終わりだ。飛べない鳥のための梯子を使って塔に登り、窓にもたれかかって夕焼けを待つ。西の空いっぱいを鳥たちが染め上げ。色を重ねて今日を終える祭り。
鳥たちを指揮して夕焼けを作っているのは、鳥になったヒトなんだよ。母からそう聞いた時は期待に胸を膨らましたものだが、いま、私の胸に迫るのは夕焼けの向こうにあるものだ。すべてを黒いヴェールで覆いつくす、夜をつかさどるものたち。

大鷲に聞いたことがある。
ヒトに戻っても空は飛べる?
いいや。ヒトは飛ばない。鳥の国を捨てたらもう鳥ではない。
ならヒトには戻るまい。そのとききっぱりとそう決めた。

昼間の鳥たちはねぐらに帰り、交替に夜の鳥たちの時間が来る。私のいるこの塔も暗闇と静寂に包まれる。闇が夕焼けの名残を残さず食いつぶし、空の浮き島も眠りについた。母も、浮き島のどこかで夢を見ている頃だろうか。
鳥でもヒトでもない私は、いくつもの時間をまたがって生きる。昼と夕べ。夕べから夜。夜のヴェールはあまりに厚く濃く、見張っていないと二度と取り払われることはない。そんな思いに憑かれて眠れない。だから私は毎夜見張りの番に立つ。塔の上からたったひとり、鳥たちの夜を見守っている。

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