見出し画像

カラスの特別

カラスは特別。
まだヒトであった頃からそう思っていた。ゴミ捨て場で、破れたゴミ袋を前に野良猫と話しているのを目撃した時から、怪しんではいたのだ。カラスの知能が高いことは人間も承知しているけれど、それ以上の力をカラスは隠しているのだと。

鳥の国へ来て知ったのは、カラスはやはりヒトの言葉がわかるということだ。わかるどころか、器用な者はヒトの言葉を操ることだってできた。
私のような、もとヒトであった鳥にはヒトの言葉を喋ることは許されない。それは鳥の国を去ることを意味する。なのにこの真っ黒いマントを羽織った大きな鳥は、その私の前でヒトの言葉を使ってみせたりする。意地悪だ。鳥のくせにヒト並に意地悪だ。

私が鳥の国へ来たときに門番だったのがこのハシブトガラスだった。
鳥になりたがるヒトを大勢見ていて、鳥としての素質があるかどうか見極められるのだと言う。
「おまえは間違ってヒトに生まれついた鳥だな。ひと目でわかった」
つまりは私を気に入ったということらしい。その証拠に、数年たった今でも私の仕事場にちょくちょく顔を出す。染料の工房などに用はないのに。
工房で、私は夏からずっとクチナシの実を煮出している。あまりに同じことをやり続けているので体が黄色く染まってきたような気がする。火の前で、飛行練習に行くことばかりを考えていた。飛ぶのは得意なほうだけれど(もとヒトにしては上手いとカラスは褒めた)、もっと高くまで飛べるようになりたい。どのヒトよりも、鳥らしくなりたい。

「また油を売りに来て」工房長のアオサギが首を伸ばしてカラスを叱る。「自分の仕事に戻んなさいよ」
「交替時間まで空いてるんだ」
まったくもう、とアオサギは首を引っこめた。私は新しいクチナシの実を鍋に放り込む。
「そういえば、あんた知ってる? あの噂」
「なんの噂ですか?」
「王様よ。鳥の王がもとヒトだって噂」
「そんなわけがあるもんか」
カラスはクチバシを高く振りあげてせせら笑った。
「でも、考えてみれば怪しいだろ?」アオサギは続ける。
「この子みたいに、ヒトだけが鳥になれるのは何故だい? 王様が浮き島にこもっているのも、ヒトの姿を見せないためじゃないかって」
「火の扱いが上手いからだろうよ」とカラスが割って入った。
「鳥の王は特別な存在だって思わせたくて、そんな噂を流してるのさ」
「物知り顔だね。王様に会ったことでもあるのかい」
「まあね」カラスはふふんと笑った。
私とアオサギは顔を見合わせた。アオサギの黄色い目はどこを見ているのか、いまだにわからないが。
「浮き島に行ったことあるの?」
「ちょいと用事があってね」カラスは自慢げに話す。「遠目ではっきりとはわからなかったが、少なくともヒトじゃなかった」
「なんだかあやふやだねえ」アオサギは疑わしげに言った。「ほんとの話だかどうだか」
「そろそろ交替時間だから行く」
カラスはアオサギの長いくちばしを避けるようにして出ていった。アオサギはこちらに首を向けて聞いた。
「あいつと番い(つがい)になるつもり?」
「いいえ」
「言い寄られてないの?」
「まだ」と私は答えた。「そうなると思いますか?」
「見ればわかる」とアオサギは言った。
「あたしはヒトのあんたより目がいいからね」

元々ヒトであった者が鳥と番いになると、城から卵をひとつ与えられる。たいていは親鳥と同じ、サギにはサギの、鳩には鳩の卵が渡されるが、ときたま違う鳥種の卵のことがある。目が良いと言うわりに、鳥たちは卵の違いにあまり気付かない。孵したあとで妙だなと思っても、その辺は頓着しないでしっかり子育てをする。卵の取り違えは係のうっかりなのか、親鳥と同じ鳥種を手配できなかったのか、理由は定かでない。片親がもとヒトならば、どんな雛でも構わないと考えられているのかも知れない。ハシブトガラスが嫌いなわけではないけれど、卵を抱くということに実感が湧かなかった。
私はまだ鳥になりきっていない。

風が強くて、練習にはもってこいの日だった。仕事が終わって、練習場所にしているヒノキの大木へ行くとカラスがやって来た。満足に飛べない頃、彼の手ほどきでコツをつかめるようになったのだった。
「高度が上がると怖がって力んでしまってる」
 今日もカラスに指導を受ける。
「おまえはもう鳥なんだから、ヒトだったことは思い出すな」
そうは言っても、生まれた時から染みついてる恐怖は簡単に落ちない。心まで完全に鳥になるのは無理なのだろうか。
「あきらめるのはまだ早い。もとヒトだって、女王になれるかも知れんだろ?」
え、と私は上の枝からカラスを見おろした。
「鳥の王は、ヒトじゃないって言ってたよね?」
「鳥さ」カラスは答えた。
「そうなれたらいいだろうって話さ」
そう言うとカラスは、早く飛べよと私を急かした。まるで誤魔化すように。
ほうらね。カラスは、いつも秘密を隠している。
強い風にヒノキの葉が揺れて、私は枝を蹴って羽ばたいた。上昇気流に乗って上の空へ向かう。せり上がってこようとする恐怖に蓋をして、怖くないと自分に言い聞かせる。
空は怖くない。高いところは怖くない。私は鳥なのだから。完全な鳥になれるのだから。私が本当に怖いのは、もとのヒトに戻ってしまうことだ。
 
緑の丘が遠くなる。
もう少し。
あと少し。
ぎりぎりまで耐えて旋回すして、高みからヒノキの大木を探す。そこから見守っているはずのカラスの姿は、私の目にはもう見えなかった。


前のページ次のページ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?