見出し画像

小さい秋

筆が進まないので散歩に出かけた。「小さい秋」という文章のために秋の気配を探し始める時点で、もう何か躓いている気がする。
たしかに気温はぐっと下がって、日が暮れると虫の音も聞こえる。見上げる空もいくぶん高い気もする。これが秋の気配といえばそうなのだろう。そんなありきたりで誰でも思いつく秋ではなく、これはとハッとさせられるようなものを探しているのだ。
だいたい季節の移り変わりを楽しむなどという優美な風習はもう失われつつあるのではないか。この国はどうやら亜熱帯へと向かっているようで、春も秋も一足飛びで過ぎてしまう。そういえば年々紅葉の知らせも遅くなりつつある。
秋はどこだ。

秋ですとも。と野花に詳しい知人は、あそこに何々が、こっちの草は何々だと教えてくれる。メモを取りながら聞いていても名前が覚えられない。年のせいだ。そもそも他人に説明してもらわないと実感できないものに秋の代名詞を託すのは無理がある。肝心なのは気配なのだ。秋そのものではなく。

けはいけはいと唱えているうち、見知らぬ通りに入り込んでいた。いつも曲がる角をまっすぐ進んでしまったか。まあそのほうが目ぼしいものが見つかるかもしれぬ。

一見代わりばえしない住宅地だが、木造の平屋や、石塀のある立派な屋敷が並んでいる。庭も綺麗に整えてあって、目に楽しい。花壇の草花だけでなく植木の種類も豊富で、どこも手をかけた庭ばかりだ。近くで蝉の声がして、耳を澄ますと目の前の家から聞こえてくるのだった。その窓に立てかけてあるよしずには、まだ朝顔の蔓がからまっている。ヒマワリもまだ元気よく上を向いている。なんだまだまだ夏なんじゃないか。気が抜けてつい隣の庭に目をやると、あまりの違いに驚いて足が止まった。
ススキに秋桜、紅葉柿栗赤とんぼ。これは秋の見本市だな。それにしても、先ほど蝉が鳴いていたというのに、家によってこんなに草木の成長が違うものなのか。私は首をかしげた。すると、

「まいどー」

とつぜん頭上で甲高い声が響き、びくっとする。「ご入用のものは?」

声の主は九官鳥だった。細いイチョウの木から身を乗り出して、橙色のクチバシをこちらに向けている。
「秋のアイテムよりどりみどりだよっ。早くしないとなくなるよっ」
私は呆気にとられた。ここは本当に店なのか。呼ばれるままに足を踏み入れてみる。
「秋物お探しなんでしょっ。チョー早期割引でおまけしとくよっ」
なんだ。季節を感じるのに代金を払うのか。
「気候変動の激しい昨今、ただぼーっとして季節感を味わおうなんて甘いよ」
黒い鳥がぽんぽん発する口上に、納得できないながらも頷いてしまうのは何故なのだ。
何かを踏みつけそうになり、拾うと蝉の抜け殻だった。
「これも?」秋のアイテムというより、夏の終わりといったところか。
九官鳥は体を細くして私の手を覗きこみ、
「あーそりゃ隣の庭のだね。今年は夏が勝手にさっさと店じまいしちゃってさ。さばききれなかった品物が溢れて困ってんだ」
「ふうん」
「持ってってもいいよ」
「いや結構」小学生じゃあるまいし。
抜け殻を花壇に投げ、ぐるりと庭を見回した。どれもこれも意外性のあるものはないな。と、隅のほうに列をなして咲く花に目を奪われた。
私は曼珠沙華の前にかがみ込んだ。生家のそばの畦に咲き誇る風景が思い出されたのだ。毒があるから取ってきちゃいけないって言われていたな。あの頃は美しいとは感じなかったが。

「ヒガンバナだね、お代をおくれ」
はたとポケットを探る。小銭入れを開けるがいくらも入っていない。硬貨のほかには地下鉄の回数券が数枚あるだけだ。
「それをおくれよ」
「え?」
「こう見えても鉄道好きなのさ」
九官鳥はぱたぱたと降りてくると回数券をくわえて持ち去った。鳥のくせに電車に乗るのだろうか。
「まいどありー」
九官鳥は高らかに歌うと屋根の向こうへ飛んで行った。

私は一輪の曼珠沙華を手に、庭を出た。冬と春の庭も近くにあるのかもしれなかったが、きっとまだ店開きしていないのであろう。よそはどれも似たような庭だった。そのうち道が行き止まりになったので引き返そうと振りかえり、私は目を見張った。さっきまでの住宅街はあとかたもなく消え去り、黄色く色づいた稲穂の海が広がっていた。そこは子どもの頃に遊び場だった神社の石段だった。私は赤い花を握ったまま、古びた鳥居の下に立っていた。畦を真っ赤に染めた曼珠沙華が、ただ黙って風に揺れていた。


〈終〉


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?