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残響

鳥の道で、誰かが呼んでいる。
鳥の王が姿を消してから、そんな噂が鳥たちの間でささやかれていた。影の鳥を葬った王が、自らも傷つき倒れて苦しんでいる声だと。
あたしに言わせりゃただの風の音だ。昔から変わらない、この季節に吹く大風のせいだ。ているのは鳥たちばかりで、もとヒトであるあたしたちには彼らの恐怖がわからない。最後まで鳥になりきれない理由はそこにあるのだろうか。風を怖がる心か、王の声を聞き取る耳か、心と耳をつなげる何かか。

鳥の王がひっそりと交代したことが知らされた。前王の最期について鳥たちは察していたし、新しい王が誰だろうと気にとめなかった。王が存在することこそが重要だった。浮き島の王座が埋まっていれば鳥の国は保たれる。それ以上も以下もない。
ここでは駅番と運搬係の両方が交代になった。滞在者の古株だったあたしが駅番の役目を継ぐよう命じられた。もうこいつはヒトには戻らないと判断されたのだろう。
新しい運搬係のほうはまだ若い雌だったが、ろくに引き継ぎを受けていなかった。
「この前までハンターだったので」
と彼女は言い訳した。
「突然配置換えを言われたんです。前の運搬係がヒトの国に帰ったということで」
「そうだよ」
何も聞かされていないらしい。
「前の駅番と一緒に帰ったんだよ。おかげであたしたちがこうして駆り出されたってわけ」
運搬係は驚かなかった。連れだって鳥の国を出る者はめずらしいのに。

駅は、ヒトの国に戻るための準備をする場所だ。鳥でいることをあきらめた者たちのたまり場だ。脱落者と呼ばれるもとヒトに食糧を運び管理するのが運搬係の仕事だが、駅番たちが去ったのが王の失踪と同じ時期だったせいで、混乱した浮き島としばらく連絡が途絶えていた。あたしたちは虫やら木の実を食べていれば平気だった。ただいささか張り切って貯め込みすぎた。このところの雨で傷みかけているから、急いで土に埋めてしまわないと。
番小屋を片付けながら、やるべき仕事を教えてやる。新米の運搬係は覚えが早かった。無口でろくに返事もしないが、こちらの指示を読むのが早い。
「滞在者の確認は、適当でいいよ。はっきりした数はあたしも把握してないんだ。ヒトに戻る用意ができないまま、いつの間にかいなくなってる奴もいるしね」
「ヒトに戻る用意ってどんなことですか」
説明しても、理解してもらえない質問だ。
「涙を落とすこと」
運搬係は首をかしげた。そうら。鳥でいる間はわかるはずないことなんだ。
「ヒトであった頃を思い出せたら、目からしずくがぽたぽたと垂れるんだってさ。あたしにやれって言わないでよ。それができたらあたしだってとっくにヒトに戻ってるんだからね」
鳥の国の一番端っこに位置するこの場所は、ヒトの国の見えない気配が訪れるという。鳥となって失った記憶が気配に呼ばれて浮かび上がるのだと、前の駅番が話していた。彼女の涙なら見たことがある。目から突然水が滲み出て、それが顔をつたって土の上にぽたぽたと落ちた。駅番はもう鳥ではなくなっていた。あたしの目には、正体のわからない異質な生きものに映った。
「私には絶対に無理です。私はヒトではないですから」
「そりゃいまは鳥だもの」
そうではなく、と彼女は続けた。
「私は鳥の国で生まれたので、ヒトの国の記憶はないんです」
だからヒトには戻れない、彼女は静かにそう言った。

駅の滞在者はそれぞれ好きな場所で過ごしている。木の洞や大樹の葉の中。天気のいい日には、柳の天幕に集まっていることもある。巨大な柳の下の枝を刈り、てっぺんから伸びる長い枝だけを編んで作った天幕は、夏場に涼むにもってこいの場所となる。ここは好きだ。とても落ち着く。運搬係も気に入った様子で、柳の葉から漏れる光に見とれている。
葉の掠れる音がして誰かが入ってきた。最近来たばかりの雄だ。あたしが顔を向けると、せっつくように言った。
「いったいいつになったらヒトの国に帰れるんだ」
「言ったでしょ。泣けるまでって」
「そんなこと、鳥の道を行く間になんとかなるだろ」
ずいぶん気がはやっている。
「苦労して鳥になんかなるんじゃなかった。俺には合ってない。そう感じてる時点でもう人間だろ?」
鳥になってからそう長くないのだろう。ヒトであった記憶もうっすら残っているのかもしれない。だからこそ、むやみに戻ろうとするのは危ない。鳥の道で迷って、出られなくなる。迷い出したらわからなくなる。自分がヒトだか鳥だか、選べなくなる。
「ヒトに戻るのは簡単じゃないんだよ」
「あんたみたいに、ずっと脱落者のままでいたくない」
「ご挨拶だね」
だが同感だ。長く駅にいすぎて、ほんとうにヒトの国に帰りたいのかすらもわからなくなった。だから脱落者でいるのはやめて駅番になったのだ。
「焦らなくても、たぶんすぐに帰れるようになるよ」
なだめるあたしに背を向けて、彼は不満そうに天幕を出て行った。駅に着いて数日は誰もが不安でたまらない。あたしもそうだった。しばらくすれば落ち着くはずだ。
運搬係は妙な顔つきをしていた。さっきのやり取りで何か気に障ることでもあったろうか。どうかしたのかと聞くと、彼女は震える声でささやいた。
「鳥の王が」
「え?」
「鳥の道から、呻き声が聞こえる。きっと王の」
あたしは耳を澄ませた。遠くで風のうねりが聞こえる。木々をきしませ、重く沈みこむ風の音。これが前王の呻き声? 鳥たちがおびえる音が、彼女の耳にも届いているというの。あたしは身を縮めている運搬係をまじまじと見つめた。
この子は、芯から鳥なのだ。あたしが鳥になりきれない、その答えをこの子は持っている。
運搬係はまだ震えていて、かわいそうになったあたしは彼女にからだを寄せた。風の音が鳥たちを脅かしていても、降ってくる木漏れ日は柔らかい。互いの温もりが心地よく、うとうとと眠くなってくる。不吉な音は遠ざかったのか、彼女はやがて寝息をたて始めた。もうすぐ夕暮れだから起こしてやらなければならないけれど、彼女が目を覚ますのを待つことにした。ヒトに帰れない者同士で、もう少し並んでいたかった。

〈完〉

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