見出し画像

きゅーのつれづれ その11

おおつごもり:

夜風ががたがた窓を鳴らす。
げほごほげほ。
答えるようにカオリが咳き込み、ヤカンが合いの手の笛を吹く。
カオリは粉末のしょうが湯をカップに入れてお湯を注ぎ、十秒くらいふーふーしてからすすった。
「味もにおいもしない……」
固まりかけた粘土みたいな声でつぶやく。
朝から寝込んでたから、これが今日の第一声だ。パジャマの上にはんてんを着ていても、まだ寒そうに手首をさすっている。
カオリは鼻をすすりながらテレビをつけた。どのチャンネルも騒がしい番組ばかりで、カオリはため息をついてすぐにスイッチを切った。音が消えた部屋は、ここだけまるごと穴に落ちたみたいに静かだ。窓の外からも音はしない。隣のミナミさんも昨日からお出かけだと言っていた。
げふごふごほ。
ぶーっ。
カオリが鼻をかむたびに、ベッドの下のゴミ箱から、「とりーとりー」ってコーラスが聞こえる。もう二カ月くらい部屋に居座ってて、忘れたころにこの歌を聞いてああまだいたのか、って思い出す。
もっともカオリには聞こえないから、鼻かみを茶化されているとは気付いていない。
くしゅん。ずびびびび。
とりーとりー。
咳したり鼻をかんだり忙しい。寝てればいいのに、雑誌をパラパラめくったり携帯をいじったり。でも浮かない顔のままだ。
「こんな日に風邪ひくなんて。やっぱり家に帰ればよかったかな。でも……」
カオリはため息をついてまた咳き込んだ。
「それだと新年会には行けないし。せっかく誘ってもらったのに。それに、かみなりさんも来るのに……」
カオリはそこで言葉を切ると、うつむいてしばらく動かなかった。うっすら涙がにじんでいる。なに。だれ。どうしたの。
ずーっ。ずびびび。
「やっぱり今からでも家に帰ろうかな……」
カオリがちり紙をごみ箱に投げ入れて、またテレビのスイッチを入れる。ごみ箱でわさわさ動く気配がする。怒っているらしい。
テレビのさっきまでの賑やかさとは打って変わって、静かな映像から染みこむような鐘の音が流れた。
ごおーん。
ごおーん。
何の音楽もせりふもなく、鐘の音ばかりの繰り返し。退屈だなと思ったけれど、カオリはテーブルに肘をついて聞き入っている。

ごおーん。
ごおーん。
ざぶん。

鐘の合間に、波の音がする。
海から聞こえてくるのかな。

ごおーん。
ざぶーん。
ごおーん。
ざぶーん。

だんだん近づいてくるような。
音も大きくなってくような。
鐘の音に追いつき追い越しするような。

ざぶざぶーん。

波の音がすぐ後ろにまで迫っている、その気配を感じた時にはもう、部屋の半分を影が覆っていた。僕やカオリを飲み込んで、影はざぶざぶと前へと進んでいく。かすかに聞こえる鐘のリズムに合わせたステップを踏みながら。ふと見ると、影の端っこ、かぎ爪のような部分に、あの二匹が並んでぶら下がっている。

とりーとりー。
ざぶざぶ。
とりーとりー。
ざぶーん。

きゃっきゃっとはしゃぎながら、二匹は影に乗って廊下側の壁を通り抜けていってしまった。カオリが鼻をかむ以外、部屋はがらんと静かになった。さっきの影が曇りをさらってくれたように、部屋の空気がひんやりと清々しい。
「明けましておめでとう。きゅーちゃん」
カオリがテレビを消して立ち上がった。もう泣きべそ顔ではなかったので、ほっとした。

前のページ次のページ



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?