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きゅーのつれづれ その13

春:

玄関ドアが開いて、カオリとミズノさんが飛び込むように入ってきた。
「いやー、寒いね」
ミズノさんが震えながら、言葉とあべこべに楽しそうに笑う。カオリは急いでストーブをつける。
「三月の終わりだっていうのに、まだ冬みたいですね」
「昨日はポカポカいい陽気だったのにねえ」 ミズノさんが買い物袋をごそごそすると、木の枝が出てきた。。
「カオリちゃん、これ桜だよ。折られて落ちてたからさ、拾ってきちゃった」
「あ、つぼみがついてる」
「活けておいたら咲くんじゃない」
花瓶がないからと、カオリは昨日食べた桃の缶に桜の枝をさした。
カオリがいれた熱いお茶で、にぎやかにお弁当の時間を過ごすと、ミズノさんは隣の部屋に帰っていった。ミズノさんが玄関で靴を履くとき、コートのポケットから大きな綿ぼこりが落ちた。外からの風に舞い上がって、ふわふわとカーペットの上に落ちようとして……と思ったら急に反り返ってストーブの上に乗った。
「熱い」
 綿ぼこりは小さな悲鳴をあげると、重力も風力も無視して飛び上がり、棚の上の、ぼくの目の前に降りた。
え?
びっくりしているぼくとブーコを、綿ぼこりはくるくると見比べて、「あら」とつぶやいた。「ごきげんよう」
よく見ると、ふわふわの奥に目があった。
「毛玉がしゃべったわ」と、貯金箱のブーコが言った。
「毛玉じゃありません」
「綿ぼこりだよね」
「綿ぼこりでもありません。わたくしは春です」
はる?
カオリが洗い物を終えてコタツに戻り、テレビのスイッチを入れた。天気予報をやっている。
『暦の上ではもう春ですが、冬型の気圧配置が戻り……』

「みなさんが季節と呼んでいる、あの春です。冬の尻尾につかまっていたのだけど、ついうっかり手を離してしまって。近くにいたあの人のポケットにとりあえずお邪魔しましたの」
「とても春って感じの見かけじゃないわね」
「だって、冬さんがこんな色の毛並みなんですもの。違う形にだってなれますのよ」
春はくるんと宙返りして、たんぽぽの花に形を変えた。色は灰色のままだったけど。そしてもう一度くるんと回ると、今度はタンポポの綿毛になった。
「こういう姿のほうが移動しやすいのです。こちらにいる間はずっと冬さんにくっついていないといけないから」
「どうしてなの?」
「あら。春はいつだって冬とセットですのよ。ご存じないの?」綿毛は愉快そうにふるふると揺れて、ぱちん、という音とともに、丸い魚に姿を変えた。
「先日、空でお会いしたのです。動きやすくていい形。気に入りましたわ」小さな可愛いマンボウだ。
「でも、冬さんはそろそろあちらへ帰る頃なので、わたくしがいなくなって困っているでしょう。一緒でないと帰れませんから、きっとすぐ探しに来ると思うの。それまで待たせて頂きますわ」

『……寒さはしばらく続きそうです』
えー。もう春なのに、とカオリが口をとがらせた。

部屋に春が来ているというのに、明け方はひどく冷え込んだ。天気予報どおり。カオリはしまい込んでいたマフラーを装備して出かけた。
「春なんだったらさ、春らしく暖かくしてよ」
「それは無理です」
春は、小マンボウに変身して天井あたりをすいすいと泳いでいる。
「わたくしを探して冬さんが慌てているんですわ。寒気をまき散らしているから寒いのです。わたくしが戻れば寒さも退きますわ。もう近くまで来ていると思うのですけれど」
その日は寒いうえに、日が暮れると風も増し、帰宅したカオリのほっぺは真っ赤だった。
「さむさむ。外はまるで嵐だよ、きゅーちゃん」
カオリはコートとマフラーを脱いで、ストーブの前にしゃがみ込む。
「春なのに、これじゃ桜も咲けないよね」
自分の言葉で思い出したのか、桜の水を替えに立つ。カオリの後ろで春は灰色の小鳥に姿を変え、桜の枝に止まると本物の鳥のように鳴き真似をした。ちちちちち。ぴょぴょぴょぴょ。
すると、桜のつぼみがむくむくとふくらんだ。ちゅんちゅんちゅん。春の鳴き声に引っ張られるように、今にも咲こうと花びらを持ち上げる。カオリはキッチンで湯豆腐の支度を始めた。
窓の外で風が唸る。
ひゅるるるる。うるるる。ぐるるるる。
唸りが低く近くなってきたと思うと、ぺしゃっと何かが窓ガラスに張り付いた。カオリが鍋の火を弱めてやって来る。
「ああ、迎えが来ましたわ」春が叫ぶと、羽ばたいて窓の前までやって来た。カオリが窓を開けるとぶわっと風が吹き込み、カオリの顔ほどもある大きな葉っぱが飛び込んでくる。その一瞬に春は窓枠を飛び越え、くるんと回って綿毛になった。
ざあっと風が鳴って、灰色の毛をした、冬の駆ける足が見えた。綿毛はふさふさした尻尾の毛に潜りこみ、「ごきげんよう!」とひと声残して冬と一緒に駆けていった。

「……くしゅん!」
カオリがひとつ、くしゃみをして、急いで窓を閉める。
「あっ、桜、咲いたよ」
振り向いたカオリの前には、春にせかされた桜の花がにこにこと花びらを広げている。
「ようやく春だね、きゅーちゃん」

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