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きゅーのつれづれ その14

めざめ:


「きゅーちゃん」

カオリの声で、ぼくは目が覚める。目の前のカオリが手を伸ばしてぼくを抱く。
なんだか頭がぼんやりとしてる。ずいぶん長いこと眠っていたのかな。
部屋の隅ではストーブが赤く光っている。じゃあ今は冬なんだ。部屋の様子は最後に見たときと少し感じが変わっていて、本棚の上にいたはずのブーコがいない。
ブーコはどうしたの?
カオリに聞いても、ぼくの声はもちろん聞こえない。カオリはぼくを持ったまま窓を開けた。白い粒が上から下へと音のないリズムで流れていく。
「きっと明日の朝には積もってるね。休みでよかった」
カオリはハアッと窓ガラスに息を吹きかけて、そこに指で字を書いた。でもすぐにこすって消すと、
「さむさむ」
と窓を閉めて、ぼくをコタツの上に下ろした。
久しぶりのカオリはずいぶんおめかしをしている。カオリはコートをハンガーにかけると、冷蔵庫から牛乳を出してカップに注ぎ、レンジで温めた。シナモンを振ったホットミルクが好きなのは相変わらずだ。

戻ってきたカオリはテレビをつけてミルクをすすった。
「今日ね、歓送会だったんだ」
かんそうかい?
「かみなりさん、来週でいなくなっちゃうの」
か細いつぶやきに、ぼくは心配でたまらなくなった。かみなりさんて人とは会ったことがないけれど、カオリがこんなに寂しがるならきっといい人に違いない。なぐさめてほしくて、ぼくのことを思い出したんだ。だから打ち明け話が始まるのを待っているのに、カオリはそれきり何も言わない。見ているのかいないのか、ぼうっとテレビに目を向けているだけだった。

しばらくたってぼくは気がついた。カオリが黙りこんでいるだけじゃない。音が何にも聞こえない。テレビの音はもちろん、カオリがカップを置く音も、コタツのジーといううなり声もしない。すべての音が消えてしまったみたい。
(どうしてこんなに静かなの?)
ぼく自身が発した言葉もぼくに聞こえない。怖いくらいしいんとしている。どのくらいそうしていたのかわからなくて壁の時計を見ても、針が動いていなかった。さっきまで流れていたテレビの画面も、アナウンサーが口を開けたままの格好で止まってる。カーテンの間からのぞく窓は、半分が雪にふさがれていた。
ええ? 雪ってこんなに早く積もっちゃうの?
びっくりしている間にも雪は積もり続けて、窓はぜんぶ真っ白に埋まった。埋まってるはずなのに、サッシのすき間からは細い氷の筋が流れこんでる。部屋に入りこもうとしてるんだ。壁を這う氷の線は触手のように細く長く伸びてきた。カオリはコタツに突っ伏して寝てしまっている。異常を知らせなきゃ、とぼくは動いた。ぼくの体はもろいから、変な倒れ方をすると割れてしまう。だからコタツの上をすべるようにして、そっとカオリの手をつついてみた。カオリはかすかに身じろぎしたけれど、起きてはくれない。氷の触手は壁から床に進んで、ヒーターのそばまで来るとぴゅっとその手を引っこめた。熱いのが嫌いらしい。コタツは温かいはずだから、カオリは大丈夫だろうか。
それでも氷は方向を変えて、音もなくじわじわと近づいてくる。やつの這った場所はぱりんと音がしそうな薄い氷の膜ができている。触手がコタツに近づくと、カオリがぶるっと震えた。きっと寒いんだ。カオリを起こさなきゃ。ぼくの言葉が届かないことはわかっているけど、できる限りの声で叫んだ。
カオリ。カオリ。起きてよ。ブーコ、どこなの。カオリを起こして。誰でもいいから。
そのとたん、ぶるぶると空気が震えた。カオリに触れる寸前で触手の動きが止まった。
カオリがむくりと頭を上げた。カーディガンのポケットをまさぐって、携帯電話を取り出した。
携帯の画面を見て、カオリはぱっと顔を輝かせた。それにじっと見入るカオリの背中から、やつはそろそろと退却を始めた。
「きゅーちゃん!」
カオリが明るい声を発すると、壁を覆っていた氷はぱりんと割れて、氷の手は一瞬にして部屋から消えた。
「かみなりさんがメールくれたよ」
このひと言で、冷えきっていた部屋はぱあっと暖かくなった。コタツの中でゴトンと音がしたのでコタツ布団をめくってみると、陶器のブタが転がっていた。ブーコ、ここにいたのか、と呼びかけたけどブーコはまだ目を覚ましていない。
「あれっ、貯金箱こんなところにあったんだ」
カオリは陶器のブタを拾うと、本棚に置いた。それから財布を持ってくると小銭を何枚か落とした。ちゃりん、ちゃりん、と楽しい音が響いた。カオリがブーコの名を呼んだ。
「空っぽにしちゃったけど、また頑張って貯めるからね、ブーコ」
ブーコははっと背筋をのばした。目を覚ましたんだ。やあ、おかえり。ブーコ。ぼくと目が合ったブーコは赤いほっぺをなお赤くして鼻を鳴らした。

ブフフフー。


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