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きゅーのつれづれ その18

雨降らし:

 ガラガラ、ドーン。

近くに雷が落ちた。
ブーコは話に夢中で、この大きな音にも気付かないのか、ふうっとため息をついただけだった。
「お姫さまは見つかったの? タンタラントさん」
「それがね。実は見つかったんだ」
「わあ」
ブーコの喜びようとは反対に、当のタントランタランさんは浮かない顔だった。

玄関ドアが乱暴に開いた。カオリが帰ってきたんだ。
ドアからの風にはたかれて、ぬれたカーテンがばさばさと水を落とした
「あー! 窓開けっ放しだった!」
悲鳴をあげて部屋に駆け上がるカオリのあとから、ミズノさんも入ってきた。
「カオリちゃん、卵と牛乳、しまっとくよ」
勝手知ったるふうに冷蔵庫を開けるミズノさんに向かって、タントランタランさんが叫んだ。
「姫。雨降らしの姫」
ミズノさんはスーパーの袋を床に置くと、ゆっくりとこちらを振り向いた。
その目はぼくらのほうを向いて、確かにタントランタランさんの上に止まったように思えたのだけど、ミズノさんはそのままキッチンの作業に戻った。ふたりで素麺を作って食べるらしい。窓のまわりをふき終わったカオリは、卵の薄焼きを作り始めた。
「食器出しておくね」
ミズノさんはいつものようにテーブルの用意を始めた。
「あのように知らないふりをされるんだ」
タントランタランさんは辛そうだった。
ふいに、お箸を並べていたミズノさんがくるりとこちらを向いた。ぼくらのほうへやって来ると、タントランタランさんに小さな声で、でもはっきりと言った。
「アメフラシってね、こっちじゃヌルッとした海の生きものの名前なの。その呼び方やめてちょうだい」
タントランタランさんは目を丸くした。ぼくも驚いた。ミズノさんはタントランタランさんが見えるんだ。
「では、雲の姫」
タントランタランさんは膝をついた。「お迎えにまいりました。どうか国にお戻りくださいませんか」
「いやよ」ミズノさんはにべもなく言った。「絶対いや」
「どうして帰ってあげないの?」ブーコが無邪気に聞いた。ミズノさんは本棚の方は見ずに、困った顔をした。
「飽きたのよ」
ミズノさんの返事に、タントランタランさんはぽかんと口を開けた。
「来る日も来る日も雨ばかり。そりゃ最初の頃は面白がれたわよ。私は雲の上に生まれたから、青空と太陽しか知らなかったもの。だから彼とも気が合ったのよね。でも何百年も同じ天気じゃうんざり。青空を見たくてたまらなくなったの。星空も月の満ち欠けも」
「ですが、姫と一緒に雨雲も去ってしまいました」
タントランタランさんは訴えた。
「あれから雨の国には一滴の雨も降りません。土地は干からびてしまっているのです」
「雨の国から雨雲が去ったのはどうしてだかわたしは知らない。わたしが連れてきたわけじゃないもの。だから仮にわたしが戻ったとしても、また雨が降るとは限らない」
キッチンで換気扇の回る音がする。ミズノさんはカオリがいるのを確かめてから、閉めてあった窓をほんの少し開けた。
「ここじゃ、晴れたり降ったり曇ったり、毎日空は違うわよ。ずっと降りっぱなしなんてことはない。いつかはやむものよ」
「しかし」
タントランタランさんはなんとか言葉をふりしぼった。
「民は姫を恋しがっています。それでも帰って来てはいただけませんか」
ミズノさんは首をふった。タントランタランさんは深くうなだれた。
「わたしがいなくたって、雨の国は雨の国よ」

キッチンでカオリが呼んでいる。
「お素麺、二わでいいですか?」
いいよ、とミズノさんが答える。
「みんなによろしくね。誰にもさよならしてこなかったから」
ミズノさんはタントランタランさんに背を向けて、キッチンへ行ってしまった。
「タンタラントさん、どうしたの?」
うなだれたままのタントランタランさんに、ブーコが声をかけた。たぶん、よく話がわかっていないんだ。タントランタランさんは顔をあげて、ブーコに笑ってみせた。
「なんでもないよ。さて、雷もやんだようだし、私は帰ろう」
「帰っちゃうの?どこに?」
「雨の国に」
タントランタランさんはレインコートのフードを深くかぶって、同じ色の手ぶくろをはめた。遠目に見たら完璧なアマガエルだ。
「じゃあきみたち、さようなら」
タントランタランさんは窓のすき間に立つと手を振った。
「お幸せに。雲の姫」
最後にそう言うと、タントランタランさんはアマガエルのポーズで窓から飛び降りた。
歌うような声の余韻がのこる。
たん、とっららん、たらん、と蛇口から落ちるしずくが鳴った。

テーブルのほうを見ると、こっちを見ているミズノさんと目が合った。ミズノさんはカオリに隠れて、こっそり人差し指を口の前に立てた。


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