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腹痛は俺を勇者にするし、お前を魔王にする

腹痛いとさ、世界全てが敵に見えるじゃん。

たとえばさ、電車で腹痛いと隣のおっさんがLINEしてるのもすげえウザくなるし、目の前の学生がスマホを横にしてデイリーミッションをこなしてるのにも死んでほしくなる。

お前のライフラインも断ち切ってやりたいし、お前自身の連続ログインも今日で終わらせてやりたい。
こんなに俺はお腹痛めてんのにさ。なにやってんだよお前ら。どうかしてんだろ。どうにかしてくれ。

ともかくそんな敵意剥き出しな状態になる。
五感に与えられるものすべてが、この腹痛を引き起こし、強めているような気がするのだ。

この状態が「腹痛あるある」として共感されるかどうかは分からないけれど、一度クソをしたらこんな宇宙規模の憎しみも一緒に消えてなくなるのは分かるだろう。俺の小大腸は銀河系。

で、最近よく思ってるのは、この、憎しみばら撒きシステムは腹痛以外にもあるんじゃないかってこと。

たとえばさ、よく眠れてないとか、なんか調子出ない時に仕事とかで失敗したり、友だちに言いたくないこと言っちゃう時あるじゃん。
でさ、こういう時って「なんか身体が怠いから上手くいってないな」って考えられないくらい追い詰められるんだよ。

「身体が怠いなぁ」って理由は俺の頭の中にはなんも浮かばない。むしろそれ以外の原因なんかを探しはじめる。

「俺の対人スキルが低いからだ」「いや、俺の周りの馬鹿どもがとんだ間抜けだからだ」「なにあいつらつまんない冗談で笑ってんだよ。さっさと集中しろよ」「どうせほんとは面白くないくせに」「なんで俺は正しいのに、正しい俺なのに、あの馬鹿どもより上手くいかないのだろう」「俺、この人たちに嫌われてるのかな」「だからうまくいかないのかな」

ほら、腹痛い時と一緒じゃない?
腹痛いだけなんだけど、それがどうしようもないからさ、この痛みといかんともしがたさに応じるような、大きくて強い恨み節を周りに投げつける。

おんなじだ。身体が怠いことに対処できないから、対処できない自分のありさまに耐えられないから、どうにかこの耐えがたいものに理由をつけて溜飲を下げようとする。

理由が分かるとさ、事実はなんにも変わらないのに気持ちいいんだよね。
「事故」より「事件」のほうが、俺たちは好きなんだよ。事件にすれば誰かに責任を取らせることができるし、責任があるってことは、その事実はどうにか出来たはずのことになるから、相対化できるんだよね。ほんとはね、この痛みや怠さも、どうにかできたはずなんだ、いやどうにかしてくれよって叫んでるわけ。

んで、不思議なことに、いざ、調子が戻ってくると、そう、「クソをする」とさ、なぜ世界があんなにも退屈で、他人があまりに馬鹿に見えたのか分からなくなる。頭では分かるんだけど、実感が分からなくなる。
そりゃそうだよな。「腹痛いのはお前が隣でスマホいじってたからだよ」って正気じゃない。

でも、「調子が悪いのはお前が隣で…」だとそうは思えない。これは不思議だ。起きてることはおんなじに見えるのに。なんならそこで頭の中にやってくる「自己分析」やら「人間観察」はなんだか正解してる気がする。「結局人は寂しいだけなんだ。だからあんな面白くもないことで群がっているだけなんだ」みたいな「世を斬る言葉」が頻出する。

ここで耳を貸しちゃだめだ。だいたいそんな正しい言葉って、占い師やお金がともかく欲しい人の言葉と一緒。
言う側はどんな物事や人にも当てはまるから誰にでも言うし、聞く側は私にしか当てはまらないと思いたいから聞く耳を持つってだけ。

「正気じゃない」ってのはだから、無茶苦茶で支離滅裂な言葉だけじゃなくて、却って「正気しかない」ような、筋道しかないような言葉もそうなんだろうな。どっちも"生活感"がないんだよ。

で、俺はいまこの状態でさ、めっちゃ寝てたのよ。
食う、寝る、食う、寝る、食う…って流れで今日は生きてる。これからトレーニングをしてまた食って、の隙間の時間に備忘録として残したわけ。

なんか、どんな正論も聞きたくないし、どんな褒め言葉やエールも正面から受け取れないし、楽しそうにしてる人が憎いなって思う。こんな粗末な憎しみに苛まれる自分にもなんだか辟易してるんだよ。

どこか疲れててあまりまとまったことは書けてないけどさ、あなたも世界が途端にちっぽけで空っぽに見えて、そこにいる自分も他人もなにもかもがつまらなくなったら、こうやって書いてみたりして、落ち着いてみりゃいいよ。忘れられるから。

備忘録を作るのは、忘れてもいいという許可を自分に与えるためだ。

ほら、なんかそれっぽいこと、正しそうなこと書きたくなるんだよ。文章がまとまらないのもこれが理由だ。まったくどうしようもないね。

トレーニングして、寝ます。


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