華金 その3 俺は金曜日だけどお前はどうだ

今日は金曜日だよ。
きみが間違ってる。

今は土曜日のしかも夜だと言うかもしれないが、
しかし誰が何と言おうと、今日こそが金曜日なのだ。きみが自分に嘘をついてるだけだ。


皆のいう土曜日、俺のいう金曜日である今日の、
トレーニング後の夕方から人間としての1日が始まる。昼の残り香、夜の門口、夕方は永遠の今だ。

夏という新鮮な季節が始まろうとしているからなのか、服が欲しくなった。
今ある服が洗濯のしすぎか何かで縮んでしまったので、俺が着ると変態趣味のデブに見えるから欲しくなったとも言える。

さて、こだわりがない感じが、かっこつけてないそのかっこよさが却ってファッショナブルだ、という論を胸中に抱える俺が向かう場所は一つしかない。

それはしまむら=AVAILだ。そしてそこでペヤングのTシャツを買う。

何が書いてあるか分からないクソダサい英字Tシャツと、町内会で献身的に活躍するジジイが着てそうなワイシャツなんかがある場所。
あるいは駆け出しのPJ(Papa-katsu Joshi)ファッション(うっすいピンクの清楚系)や地雷系ファッション、を揃えることのできる場所。
ー諸賢の皆の「しまむらのイメージ」はそんなところではないだろうか。

正しい。まことに正しい。やはり、しまむらにはこのようなものがある。
だからこそ、俺はここにオシャレを見るのだ。

このように目的地は決まっている。
だが、俺は一足飛びでここに向かわない。

なぜなら、俺はただ服を買いたいわけではないからだ。

おそらく、皆もそうじゃないかと思うのだが、何かを買う時は、「もうこれしかないな」と思わせるものを買いたいわけだ。一目惚れしかしたくないのだ。
だから、わざわざウィンドウショッピングなんてするのだろう。たまさかの出逢い、運命的な、しくまれた出逢いだけが本物なのだ。

つまり俺は、服を通してストーリを味わっている。

ふらふら歩いては「これじゃないんだよなぁ」と言うためだけに店に入る。値段も見るしサイズも見る。店員のセールストークもノリノリで聞く。
それでも買うわけではない。

しだいに歩き疲れて脳みそが"正常な"判断を失って、件の目的だけが削ぎ落とされたように残るその時を待つ。
理性あるところに運命などやってこない。
理性を失ってはじめて、偶然の存在を信じ直すことができると大人である俺たちは知っているのではないか。

だから、衝動に負ける"その時"を招くためにひたすら歩く。歩きまくる。しまむらを通り越して海沿いの百貨店を、我が物顔で。

そもそも「これしかない」とは、なんだろうか?

一目惚れする時、たくさんのものがある中で「これ」だけが輪郭を持っている。One of themということだ。事実そうだろう。

だが本当にそうだろうか。俺は冷静に、比較検討して「これ」をたくさんの中から選んだのだろうか?
ほんとうのところ、「他に目もくれないこと」を一目惚れというのではないか。他など何もないということもまた、一目惚れなのではないか。

だから、いざ惚れた後に選んだ理由を答えようとしてもどこか頼りない。
「なんか色合いが良くね?」「この丈が絶妙だよね」なんて言ってみるけれど、同じようなものに食いつくわけでもない。
そもそも色合いや丈に注目してしまっている時点で一目惚れは始まってしまっているわけで。
ほんとに知りたいのは、「どうして注目が始まったのか」の答えなのに、それは何も分からない。誰に聞いても自問しても、やまびこのように反復するばかり。

そんなことを頭の中で考え、時々聞こえないくらいの、ほぼ呼吸のような音量で声に出しながら百貨店を後にする。

冒険は最終章。階段を駆け上がりしまむら=AVAILの文字が見える。

俺はついに買った。






ジャイアンのなりきりTシャツを。

人は、知っていることを確認するために冒険をする。
だけど、ほんとうはなんにも知らなかったのだと気付くのが常だ。


俺は、ほんとうは、ジャイアンになりたかったのだ。


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