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死生観=夢物語

こんばんは。いきなり重たいタイトルですが身近な方が亡くなったとかそんなんではないです。我が家は産まれたばかりのデカイ命がスクスクスクスクと育っております。

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私は確か小学校三年生くらいだったかと思いますが突然強烈に死んだらどうなる?いつか必ず訪れると言う恐怖でお母さんに泣きついた事があります。

それから数十年経ちますが未だに突然この感覚に襲われたりしてました。(あまり充実してない時に起こりやすくて困っちゃう)

まぁ死というのは生きる上で必要な事でしょうし、切っても切れない事象ではあるんですが最近こんな風にも思うんです。

僕らはそもそも夢を見ていて、目覚めた先が今世なんでしょう。それを繰り返しているんだろうと。

普段私達が見る夢はとても儚くて殆ど忘れてしまう。けれど絶対に忘れない夢もある。夢=記憶とするならば過去生の事を思い出す事だってなんら不思議ではない。

むしろ自然。

私は全ての事象は無から始まったとは思わないので、無=在る は同じ事であると捉えると宇宙はそもそも在ったのでしょう。

この輪廻転生というか生命のサイクルも同様にそもそも在った。死は終わりではなくて覚める事かも知れないです。

そろそろどちらが現実で夢かなんて分からなくありませんか?

ヒトの身体って最終的には空気になるそうです。構成している物質は最終的には酸素や二酸化炭素になるそうです。

そうして目に見えなくなった私達の身体はまた植物に取り込まれ目に見えるようになる。

今、目に見えない記憶や感情といった「心」は身体という入れ物から水の中に補完され(身体の60%は水で出来ているのは既出かと思います)水蒸気となり空に昇り、雲に留まり、また雨として地上に降り注ぐ。

その思い出すかどうか分からないぐらい儚い記憶=夢はそれでも確実にまた生命として宿り、その夢を重ねていく

のだとしたらなんて神秘的で神々しくて美しいサイクルに在る事が出来ているのでしょう。

そんな風に思えるようになってきましたよってお話でした。

まぁ我が家のるぅちゃんの直近の記憶は肉フェスの主催者辺りの儚い夢を受け継いでるのでしょう。オムツはL。8キロある。生後二ヶ月です!

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