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19:苦しみから抜け出す方法 第3の基本 苦しむ

前回、「救いはあるね」と書きましたが、今回はその「救い」について。

その「救い」とは何かというと、苦しみから解放される方法の第3の基本である「苦しむ」であります。

「苦しむ」とは何か?

「は?」「『苦しみから解放される方法が苦しむ』って、何タイプミスしてんだ?」「ん?今何でもするって言ったよね?」などという声が聞こえてきそうですが、「苦しむ」ことこそが、苦しみから解放される方法の一つであることは間違いなく、断じてタイプミスではありません。

ではこの「苦しむ」とは何かというと、不安、心配、後悔、否定や拒絶といった、あなたが普段されていることです。

具体的にいうと、腰を捻って苦しんでいるとき、物理的な痛みについては薬を塗る、病院へ行くなどして対処すれば良く、「何でこんなことが起きたんだ」「いつまでこの痛みが続くんだ」「俺の腰は一体どうなってしまうんだ」「無理な体勢なんてとらなきゃよかった」といった、物理的痛みに対する頭の中の様々な物語が「苦しみ」であり、これは思い当たる節が充分にあるでしょう。

そして、その「苦しみ」こそが、苦しみから解放されるキッカケとなるのであります。

どういうことかというと、言葉で説明しても無駄で、気付いたり実感できないと全くの無意味なのですが、でも言葉で説明するしかないので説明すると、苦しんで苦しんで、もうこれ以上苦しみを堪能したくなくなると、「もう苦しみは沢山だ!」となり、エゴにヒビが入る、「思考=自分」というつながりに亀裂が入るわけです。

つまり、苦しむことで、思考の檻、思考の火だるま状態に隙間ができて脱出できるわけであります。(私だけかもしれないけど、実は痛みといった物理的なものについても、逃れようとすると余計酷くなるので、むしろ向き合って受容した方がマシになる)

「冗談じゃない!俺はこれまで散々苦しんできたけど、苦しみは全然変わってない!そんなの嘘っぱちだ!」という声が聞こえてきそうですが、それには原因があるのでございます。

苦しみに向き合える人は少ない

その原因とは、こういう界隈の人たちに共通することですが、「もう苦しみは沢山だ!」となっても、引き寄せの法則に手を出したり、下らないインチキメソッドをやったり、さらにはインディゴチルドレンやクリスタルチルドレンなんてものを自称したりと、苦しみや「今」に背を向けて「その場しのぎの一時的な方法」に手を染める人が殆どだからであります。

こういう界隈と縁のないカタギ?の人だと、当noteの最初に書き連ねた私のように、ゲームやったり酒やクスリを飲んだり変な動画鑑賞したりでしょうか。あとは「悩みや不安が消える方法」なんていった効果ないビジネス本も読んだりするかも。

ただ、インチキチルドレンやクリ卜リスチルドレンを自称するなんて、幼稚園児の鬼滅の刃ごっこで子供達が「ぼくはたんじろうだ」「ぼくはぜんいつだ」「おれわいのすけだ」と言ってるのと同じ、いや、幼稚園児達の方が劣等感を誤魔化すためでなく純粋に楽しみのためだけになり切ってる分、鬼滅の刃ごっこよりもタチの悪い「ごっこ遊び」であるし、

引き寄せでは幸せになれないというのは、最近出た『ザ・グレイテストシークレット』という本の中で『ザ・シークレット』の著者ロンダバーンが白状しているのでお分かりでしょう。

前に書いた記事:下らない感想文『ザ・グレイテストシークレット』

そんな有様であるのを分かった上で、引き寄せでも○×チルドレンごっこでもオポノポノでもオチン千ンでも、やりたい人はおやりあそばせればよろしいのですが、

何が問題(別に問題でもないが)かというと、そういうことしても全然面白くないのはもちろんのこと、そういうのにのめり込む人たちって、苦しみ、ひいては「今」から逃れるためにやっている、ということ。

そして、苦しみや「今」から逃れようとすればするほど、さらなる苦しみが生まれることに気付いていない、ということであります。

※そういう意味でいえば、まだゲームやったり酒やクスリ飲んだり変な動画見てる方がマシやね。こちらはやりたいからやってるので。

かつての私も、「今」ではない良い気分になろう「今」ではない自分になろうと、引き寄せやったり下らないインチキメソッドやったりしていたので、全く偉そうなことは言えないのですが、そこに気付かない限りは苦しみ続けてしまうのです。

要するに、「『苦しみ』との対峙」「『苦しみ』の受容」に直行する人はほぼおらず、皆無駄な悪あがきをしているから、そこからさらなる苦しみが生まれ、あいも変わらず苦しみ続けているのであります。

苦しみは気付きの度合いの指標である

じゃあ一体何をすればいいんだという話ですが、いきなり「苦しみと向き合いましょう」「苦しみを受容しましょう」なんていっても無理でしょうから、

「嫌だ!俺は絶対に苦しみたくない!」「私が苦しんでいいはずがない!!何かの間違いだ!!」

まずは自分の中に、こういう思考があることに気付きましょう。これは紛れもなく頭の中の声、エゴの声であります。

私は苦しんではいけない」、このカン違いこそが苦しみに対する抵抗を生み、さらなる苦しみを生み出しているのです。

「そんな思考なんて私の中にない!」と言う人が殆どでしょうが、それが本当ならば、あなたは既に苦しみから解放されていなければなりません。

そして、できれば、今ある苦しみを受容して迎え入れましょう。
上の腰痛の例だと、腰の激痛、痛みへの抵抗、不便さ、痛みや将来への不安、後悔など、ありとあらゆる苦しみ(もしくは苦しみの素)を「よく来たわね、いらっしゃい」と招き入れてみましょう。

その結果どうなるかは、あなたが、実際にやってみてから分かることです。

一つ言えることは、前々回で私が書いたけど、気付けば気付くほど、この世のあらゆる「形」に対する重要度が下がってくる、「こんなけ゛ーむにまし゛になっちゃってと゛うするの」という感じになるということで、苦しみは気付きの度合いの指標であるといえる、ということです。

そういう全てを迎え入れ、受容したあとで、なおも引き寄せやクリスタルキングチルドレンごっこやオポノポノぉ^~(ワイハな挨拶)をやりたいならやればよろしいんじゃないでしょうか。私は他のことするけど。

大体クリスタルキングチルドレンって何だよ。

あと、だからといって「よーし、エゴの声に気付いて苦しみと向き合って苦しみを克服するぞ!」「何でもかんでも迎え入れて『いつか』苦しみから解放されるぞ!」なんてやると、エゴは大喜びして何も変わらない、というのはこれまで書いてきた通り。ただ気付いて全部そのままにしておけばよろしい。

以上、

  • 苦しみに抵抗し、苦しみをどうこうしようとする限り、苦しみは続く。

  • 苦しみを歓迎して苦しむと、何かに気付いて変わる。

  • 変わるのは「いつか」ではない。

ということで、今回はここまで。

次回に続くけど、何を書こうか考え中。


応援、ありがとー