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25:生きるのがしんどい人へ 前編

これまで「苦しみから解放される方法」なんてものを長々と書いてきましたが、今回は「生きるのがしんどい人へ」について少し書いてまいります。

これも今までのおさらいだし、特に内容がガラリと変わるわけでもないですが、ネタがないから仕方ないね。

ちなみに、「生きるのがしんどい」というのはホスピス病棟にいるような状態ではなく、「ぼんやりとした不安」を抱えて生きている状態のことです。

※ただし、寒い、熱い、痛い等の身体的反応も、突き詰めれば「ただの身体的反応」なので、それなりに道理が分かれば、そう気付く。まぁ分かったり気付いたところで痛いものは痛いが、痛みに伴う心理的苦しみは減少する。

しんどいと認める

まず言いたいのは、「しんどい」という気持ちを無理に抑え込むのは最悪の一手で、しんどいなら「しんどい」とちゃんと認めましょう、ということ。

アル中の症状の一つに「否認」という、自分がアル中であることを認めないものがありますが、自分が「しんどい」ということを素直に認めないのもそれと同じです。

その上で、例えばしんどいと思いながら歩いている場合、「しんどい」という気持ちより歩いている身体の方に意識を向ければいいし、経済や勉強や仕事のことで悩んでいる場合、大抵は今起きているわけではなく、頭の中でリピートしているだけなので、それに気付けば良いわけです。

これはこれまで書いてきた「気付き」や「感情の直接体験」の通りです。

「理想」を掲げていないか

あと、そもそもの話、しんどかったら何か悪いのでしょうか?

しんどいならしんどいままで死ぬまで生きればいいだけの話なのに、「私はしんどく生きてはいけない」「私はハッピーに生きる必要がある」みたいなことを考えているから、さらにしんどくなるのではないでしょうか。

要は、「~なったらどうしよう」といった心配事を頭の中でリピートしているのと同時に、「私は~でなければならない」というような「理想」を頭の中で掲げていて、その理想が外の現状とズレており、しかもズレが直ることなんてないから、いつまで経ってもしんどさが抜けないのです。

そんな「理想」なんてものは頭の中だけの話なのに、なんでそんなものを現実に当てはめようとするのでしょうか?

この辺で書く意欲がガクンと下がったので、次回に続く。

応援、ありがとー