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9/4。お下品センサー。

とある打ち合わせで、かもめんたるの岩崎う大さんにお会いした。何人か集まっている中でも一際もの静かで賢そうな佇まいで、目立っていた。最近単行本を出された方だし、劇作家のお仕事も数多くされているし、聡明でいらっしゃるのだろう、と勝手に想像した。帰り際に例の単行本、「マイデリケートゾーン」をいただいた。その場でサインとなぜか「キモオモシロイ漫画ですね」と言わされながら大量の汗をかいている私の似顔絵を描いてくれた。いやまだ読んでない。その場の反射で「あ、TLで話題になっていたやつですね…」と返したものの、帰宅して読み始めると私は岩崎う大さんのことを何一つ知らなかったということを知った。さすがに表紙とタイトルから「大家さんと僕」みたいな漫画は想像していないけれど、さすがにここまでの下ネタのオンパレードとも思っていなかった。「キモオモシロイ」なんて生易しいものじゃない、100歩譲って「キモオモシロえげつない」ぐらいだ。古典的な流れの下ネタには下ネタフィルターが作動してほとんど受け付けることも笑うこともないのだけれど、なんか変な流れ方でとめどなく、ちょろちょろとしつこく流れてくるようで、うまくフィルタリングできない。私としたことが、こんなネタで笑ってしまうなんて…と、よくわからないプライドを傷つけられたような顔をする。いや、そのプライドって本当に必要?っていうかそんなプライドあなたに本当にあったっけ?と問われているような気がする。いや、あるよ。私は乙女だし。

まあ全編くすくす笑い続けたし読後の謎のきもちのわるさに今朝は「やめてって言ってるでしょ!!!」と怒鳴る自分の寝言で飛び起きたわけですが(どんな夢を見ていたのかは覚えていない。)男性器にそっくりな亀の世話をしているひとのお話と、宇宙人のAVを撮影する話が好きでした。とりあえず、この漫画を描いた人が方向性はどうあれ天才なんだという事実は絶対なんだろうな。

なにを隠そうわたしには「お下品センサー」がある。下ネタ一切禁止、ドラマのキスシーンが始まる瞬間にチャンネルが回される、結婚するまで性行為なんてありえませんし男はみーんなオゲレツなオオカミですよと言われる家庭で育ったので、自ずと下ネタに対する危険意識が育ったのだ。教室内でなされる下ネタ混じりの会話には一切入らず(というか、何を話しているのか本当にわからないのは入れない)、よくあるエッチなひっかけがあるなぞなぞにも一度もひっかかったことがない(というか、そもそもそういう発想をしないように訓練されているのでひっかけの答えにたどり着かない)。私のお下品センサーは優秀で、意識するまでもなく結構な初期段階で怪しい単語や怪しい話の流れを察知してはシャットアウトする。そういう自分のセンサーの動向を冷静に見ている私がいるのも確かなことなのだけれど、なんかそういう、「全部俯瞰して見守る私」と「危険な状態(この場合は下ネタで笑ってしまうこと)から守る私」と「守られるピュアな私」が重なり合ってできているのが私という生き物全体の妙なのだと思う。私は、「下ネタがいまいちわからない私」というのを意識的に守っている。オゲレツなことは、たとえ不意に知ってしまっても寝たら忘れるので頭の中の辞書には記されない。これが冗談ではなくけっこうマジに機能してしまっているのだ。

「お下品センサー」のほかにも、いろいろなセンサーがある。あ、この人もしかしたら私のことを良いなと思っているかも。と察した時にこれ以上恋愛的な感覚に寄らないようにするための「恋の予感センサー」、ファンとして応援してくれている気持ちがお互いを男女の関係に持ち込みたくなるような気持ちにすり変わらないように見張る「ガチ恋センサー」、見始めた映画があんまり肌に合わなかった時いちはやくこの作品に期待するのをやめ別のもっと軽い視点から面白さを探すように切り替えるための「駄作センサー」。そのどれもが、「他人に求めすぎずに、できるだけ貞淑に生きて、一生愛せると思う人間が現れるまで無駄に自分や他人の心理を惑わせることなく、平和を愛し、対象によって愛情の種類を軽やかに切り替えながらなるべくすべてを愛して生きて行く」という長ったらしい私の掟みたいなものを守るために本当に役立っている。私は平和も、一定の心地よさと愛が流れる環境も、全部ひとつひとつ察知して手作業で作り続けていたいと願っている。用意された平和などないこの世界でも、私は私と私の好きな人たちが一緒にいるときくらい平和な場所に居たいって思う。これらのセンサーのおかげで、人生まだまだ短いけれど、なるべく他人に恋愛的な思わせぶりはすることなく、そして好きでもないものを褒め称えて好みが他人に誤解されるようなこともなく、自分の本当の好きだけを大事に守ってやってこれたのだと思っている。愛にはいろんなあり方があるけれど、病気のように麻薬のように貪り合うのは好きじゃないし、お互いの自意識を満たし合うことで繋がり合うのも疲れるからあんまり良くない。本当の、本当の愛は、しずかなものであると夢見ている。誰にも誇示しなくても、衰えることなくそこにあるもの。愛が、それ自身だけの力で、自立し得るということ。そしてそういうものは上記のセンサーに引っかかることはなく、物語のように弾けて終わることもなく、ずっと誰かが隠し持っていることができる。私はいつかだれか一人を愛するのなら、そういう愛を目印にしたい。今私のことを応援しているひとたちを見ていても、誰にも見せびらかさない愛の持ち方をできる人がたくさん、たくさん、田舎の星空みたいにチカチカと目についている。そういう景色を生きていきたい。派手な色で光らなくていい。ネオンサインで自分がいかに何かを愛しているか、愛されているか、言いふらしたりしなくていい。

今日も、会えなくても、静かな愛をお互い磨いていることで立派に背筋をのばしていようね。

「マイデリケートゾーン」からこんな話になるとは思わなかったけれど、まあ、みんな取り繕っている姿の裏側を見たらなんか変な虫が湧いていた、みたいな感覚にさせられる漫画だったので、おのずと自分の裏側でも見ようと、へんなことを考えたのだと思う。あと、部屋に透明なお尻の穴が発生する話も好きでした。愛とか平和には死ぬほど関係ない漫画だけれど、気になった方はぜひ読んでみましょうね。


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