花束の中の針

 わたしには言葉くらいしかましなところが無いのに、それさえも対面コミュニケーションの下手さに相殺されていまだにわたしの、本当のきれいなものを本当にきれいだとそれだけをただ話したい心が浮かばれない。今日発売された雑誌さえいざ読むとほんとうにろくなことを言っていなくて、わたしこれチェックとかなんで通しちゃったの!?と一人で青ざめているけれど、思い返せば取材のときも原稿チェックのときも、「初対面の相手の方に通じるような言葉の選び方をしなければいけない」「ここに関わった誰の印象もなるべく悪くなってしまわないようならば大丈夫だろう」とそんなことばかりを、たった数時間の取材から帰ってきて作品とわたしたった二人きりにさえなってしまえば本当にくそどうでもいいくだらない、毒にも薬にもならない世間体についておろおろと気遣っていたのだった。こうしてわたしはインタビューされたものが世に出るたびに、どうしてわたしはこんなにもダメなんだろう、わたしがもしも大事な、どこかの誰かにもしも届いたらほんの少しでも意味を発揮するかもしれない何かを胸の奥のずうっと木々の揺れる深い森の中からなんとかして見つけ出したとしたって、わたしの口先や態度の臆病さに簡単に邪魔されて、それはほとんどなかったことにされちゃうんだと思い、悲しくなっている。わたしにさえ、わたしを邪魔していい権利はないって信じているのに、どうして心と身体は一緒にしか生きられないんだろう。どっちも、あんまり納得いってないみたいな感じで、仕方なく、一緒にいる。わたしからわたしが自由に羽ばたいてゆけばいいのにな、と思うほど、この自己矛盾とも言うべきわたしという生き物の致命的な歪みを、いったい誰が、なんのためにこさえたのかと思い悩んで自滅する。なんのせいでも、誰のせいでも、なんのためでもないんだと思うよ。そう思っていないと、擦り切れそうだから、そう思うことにして、そして哀しみとも名づけがたい、他の誰にも知らせられないような諦めの中で愛している芸術を、ちょうど本の形をしている扉をあけるのだ。ほんとうに悲しいときにしか、本当のことが話せないんだから、誰にもわたしのことなんてわかるわけがないんだよ。誰かの前では、ほんとうに悲しい気持ちになんてなってはいけないって決まっている。いつも、自分以外のものが大体全部、思い思いに生きてすばらしく輝いているようで、そんな偏見はわたしの中の、わたしの孤独を最後まで美しいものとして体温がなくなる頃まで握っていたいと思っている幼い美学による当て付けなのだとわかっていて、それでも、羨ましがりながら、軽蔑しながら、そのどちらでもない人の表情を必死に想像して作ろうとしながら、歳を重ねてきた。愛を知らない頃には、自分のことさえわからないから、いつも自分が幸せなのかそうでもないのか、かわいそうなのかそうでもないのか、わがままなのかそうでもないのか、やさしいのかそうでもないのか、みんなと馴染めているのかそうでもないのか、ちゃんとしているのかそうでもないのか、いつか誰かを愛するのかどうかも、わからないでいた。こう言ってわかってもらえるかはわからないけれど、その全部をいつも半分、「わかったふり」をしていて、もう半分ほんとうにわからないままでいるのだった。四捨五入したら、何も知らないわたしが出来上がる。何も知らないままなのだから、これからどうなるかわからない。魔法みたいなことが起こって、一瞬で幸せなお姫様になるかもしれないし、そんなことが一切起こらなくても、何かを失ったわけではないのだから。

 そうしてわたしが本当の哀しい気持ちを、風や空気に溶かしてゆくことしか考えなくなった頃に、インターネットで読んだ漫画のページの中に驚くべきものを見つけた。わたしの本当の哀しい気持ちが、画面の中に映っていることは、ないはずだった。そう言うふうに生きているのだから。
 その漫画の中には好きにならずにはいられない女の子がいて、その子はわたしにとっては好きにならずにはいられないのに、この世界のうちではそんなにそうは思われてはいないように見えて、そしてまた好きにならずにはいられない男の子のことをせっかく見つけたのにページをめくるとその男の子さえ死んでしまうのだった。彼らの表情は肌を透かしてくるほんの些細な血圧の違いに、瞳孔をほんの少し開く0.何秒かの合間に、そんなふうにも動くんだね、と一本一本をなぞりたくなる眉の動きに、くちびるのはしの戸惑いに、様々な情報の中に宿る。誰かを好きになることは、その人が今日まで生きてきた日々に含まれる膨大な情報が、いったい何から作られているのかもわからない花束になってしまって、初めて目をちゃんと見るその一瞬に、その花束には針が仕込まれていたのだと知ってしまう、そういうよくわからない現象のことだ、と、思う。
 こういう、「◯◯ということは、」というわたしの話癖は、何も知らない人からするとほんとうに信じてしまいそうなくらいのちょうどよく回りくどい具合に調整されているので、無責任でたちが悪い。
そして、誰かを愛すると決めてしまうことは、花束の中の針に気が付きながらも、そのまま真っ直ぐ一度も速さを緩めることなく、その胸に沈みゆくことなのだ。わたしにとってはそうなのだから、君にとってもそうであってほしい。愛のことをやっと哀しみと呼ぶときに、生きていても死んでいてもいいからあなたがそこに居たらいい。ほんとうにそんなことが描かれているのかどうかはわからないし、いつもわたしはわたしの尺度でしかものがはかれなく、哀しいほどにその狂った尺度を愛してしまっているので、読んでいるうちに頭が自由に美学の中を泳いでいけるような芸術に出会うと、いつも限界まで黙ってしまう。好きだなあ、と思う。それ以上のことを言うことができなかった。できないままでいた方が、わたしの好きなものがあんまりバレてしまわないですむから、早く帰りたいと思っていた。

 恋愛はいつもどうでもよく、少年漫画が大好きなので、その中にあるひとさじの恋愛要素も読み飛ばすような子供だった。恋愛のことなんかくそどうでもよく、そして愛のことだけがこの世で唯一どうでもよくないことだった。愛のことを、わたしが誰よりもわかっていたいと、それさえ出来ればわたしはわたしをしている意味がやっとあるのだと、心の底から思っていた10代の終わり。そして今も何一つ変わらない。ただ生きていた道の途中で、午後三時の斜めから刺す陽のような光で、わたしともわたしより上位のわたしともわからない何かが、わたしが生まれた理由を教えてくれた。わたしを臆病な子供にしたお母さんも、諦めの早い子供にさせたお父さんも知らない、わたしだけが受信した哀しみを、そのまま愛と呼んで生きていこうと思うのだった。
 あの漫画の主人公の女の子は優しいけれど、それを優しさと呼ぼうとすると、自分のことを褒めようとしているようで苦しい気持ちになる。君に幸せになって欲しいのに、君の優しさは、君を不幸にしてしまうかもしれないから。他人が、愛する人の人生を選んであげられたらいいのに、と思う。ここは優しい人が大事にされる世界じゃない。君がそんなに優しく臆病に、厳しく勇敢になってしまったのも、君を苦しめた誰かのせいかもしれないから、だからわたしは誰かの優しさを見るたびに、喜びでも哀しみでもない、へんな顔をしてしまう。鼻の奥がツンとしたときみたいな。そして、その子が愛によって超えた限界突破、くるりと回ってそのまま不幸せと幸せのゾーンを延々と回り続けるオリジナルの哀しい優しさに、自分のさみしさを救われてしまうわたしがいるのだった。これはわたしのさみしさなのに、やさしい人が、やさしい人に、好きだなあ、と思っているひとコマで、なぜか慰められてしまう。それは同時に、哀しいひとが、哀しい人に、好きだなあ、と思っているひとコマでもあった。
 ただ、誰のことも傷つけないことと、誰のことも憎まないことを、最低限それだけでもなるべくしないようにしようと祈りながら生きているだけで、どうしてこんなに色々なことを間違えてしまうのだろう。あの女の子と男の子は、間違えていないのに、誰のことも踏みにじらないようにと生きているのに、どうしてそんなやさしい留意を知っていながらも、神様はふたりを幸せにはしてくれないんだろう。幸せはそれぞれの胸の中にしかないから、君が幸せといえばそれは幸せに他ならないのだけれど、もっともっと、やさしい君が誰かのために自分を犠牲にするような癖をすっかり忘れてしまうくらい、幸せにしてくれたっていいのに。

 わたしはずっと自分のことをわかってしまわないように生きてきたゆえにわかっていなかったのだから、もしかしたらわたしが哀しんでいることや、わたしが傷ついていることや、わたしが苦しんでいることは、すれ違った芸術や音楽の数々が、少しずつ教えてきてくれたのかもしれない。クラスメイトにも家族にもお姉ちゃんにもばれないように、わたしがぎりぎりわかる周波数で、耳打ちするように内緒で。そして、ある程度大人になったって、そういうことをしてくれる作品のことはわかる。友だちという言葉の意味は、みんなが使っているものではしっくりこないから、わたしが勝手に変えた。誰にも教えたくない友だちみたいな作品が、いくつか星のように特別に、わたしの本当の心をひとかけらずつ見つけていってくれた。そっと真夜中に行われることだから、誰にも邪魔されることはない。コミュニケーションも、活字を読むこともてんで駄目なわたしだから、映画と音楽とそして漫画が好きだった。わたしの心と、相対するあなた(作品)の間に、邪魔なフィルターを一枚も通さないで入られたならば、あなたの愛は、全部見つけてあげられる。そして涙がこぼれたときに、誰にも内緒でわたしの心を攫っていって。それが私と君が友だちになるための契約なのだから。もう物心がついた時点でへんな方角を向いてしまっていたわたしだけれど、君が紙に印刷されて、何年も形の保たれる本になって、少年漫画だらけのわたしの本棚にそっと差し込まれたままでいてくれるのだから、わたしきっとこの方角を向いたままで、天を射るようにまっすぐに、なるべく高く、長くと傷つきながら生きていようと思うんだよ。




 

ありがとうございます!助かります!