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「アート」という概念との出会い

昨年の終わりからここ10年を入れ替えるように、新しい生き方の創造が始まっていて、自分を客観視する余白のようなものもできました。トップ画像の赤土の蝋燭は、一昨年のクリスマスに彼に贈ったもの(暖炉が欲しい私たちが、暖炉の火を見るようにゆったりできたらいいなという願いを込めて)でしたが、すっかり火を灯すタイミングを逃していました。

そして昨年のクリスマスの夜に、横に眠るその人のイビキに寝付けない私は、ふとこのキャンドルに火を灯すことにしました。

その灯火と、照らし明かされていく赤土の模様を見ながら、激変していく日々のなかで犠牲にしてしまっていた小さな自分が密かに満たされていくのを感じました。

ああ、ここが、空いてしまっていたんだね。

クリスマスというよりは、「冬至」を感覚的にお祝いしたかった私。

冬の闇が極に至り、陽の光が増えていく、太陽が地球の真東から登り、真西に沈んでいく「印」のような時を感じ、お祝いしたかったんだなぁと思っていました。


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さて、前置きが長くなってしまいましたが、環境が変わり、私の感性を「独特」だと表現していただく機会が増え、以前よりも増えた余白から自分を眺めてみたときに、

17.8歳くらいのころに「アート」という概念に出会えた(知った)ことが、どうやら大分わたしのいろいろなややこしいこれまでの道のりの定義付けを助けてくれているなと感じました。

わたしは落ちこぼれながらも美術大学を卒業しているので、社会に出てから出会うさまざまな分野の友人などに「そういう環境で育ったの?」「ご両親も芸術家なの?」と聞かれるようなことが度々ありました。

子供の頃から絵を描くことは好きでしたが、何か大きな目標があったわけではなく、生まれ育った田畑だらけののどかな環境も気に入っていたので、「ここに居ながら畑仕事なんかして、FAXで(そんな時代!)絵を送って仕事ができたらいいなあ」なんて考える程度の小学生でした。

多感ではあったと思うのですが(今で言うHSPの特徴が強い)特に多く芸術と関わる機会があったわけではありません。ただ、百姓の家というのは

・何かしら雑多にいろんなものが置かれている

・さまざまな道具がすぐに手に入る(おじいちゃんが色々作る人でした)

ため、アイデアを形にしやすいというか、おもいついたことを実行しやすい、子供にとっては有難い環境だったとは思います。

「アート」という概念に出逢わせてくださったのは、地元の小さな美術学校の学長先生でした。そこは子供の絵画教室から、美大受験のための対策講座、大人の趣味の絵画講座までを同じ教室で行っているこじんまりとしたアトリエで、先に通っていた友人が声をかけてくれたのをきっかけに、体験教室に飛び込んでみたのでした。

長くなったので続きます☆


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