13. スクールライフ 2
自分では、突き抜けるような大志を抱いたことが無かった。
昨日は、母校の生徒がハーバード大学に進学を決めたというニュースが
とても嬉しかった。
家族で行ったカナダ旅行で触れた文化や言葉の違いなどが
彼の視点を大きく広げたということをインタビューで伝えていた。
海外で他の文化、他の言語、他の人たちと触れる事がどれほど価値のある事かは、実際に体験してみないと分からない。
どんな年齢になっても良いと思うが、若い新鮮な感受性がある場合は
相当な影響があると思う。
だから、海外留学、あるいは海外赴任中は、なるべく地元のふれあいを
作ってほしいと思う。海外で日本人として暮らすのは大変だが、やっぱりその土地で文化や、習慣に触れてこそ得るものがあると思う。
明治の偉人達は、文化の違いを混乱ではなく発展の為という目的意識をもってどんな苦労をしたのだろうか?
私の祖父も私がまだ幼少の頃に亡くなってしまったし、記憶にある祖母にそんな質問をする年齢でも無かったが、祖父もまた20代で、ヨーロッパ中を視察研修していた。
今は亡き私の父も、マーチン・ルーサー・キングが I have a dream の有名な演説
https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/2368/#enlist
をした年に1年間のニューヨークで社費留学第一期生という事で大志を抱いていたのだ。
亡き父は、私が東京で一人暮らしをしている時は、必ず英語で電話をかけてきて、友人が私の所に遊びに来ている時など、かなり恥ずかしい思いをしていたのは気にせず、英語で話してはガチャンと用件を伝えて切るという毎週末だったが、
私たち子供達には視野を広くと、ずっと思っていたのだろう。
そんなじいちゃんと話をするのを楽しみに日本に行く2週間前に私の父は、やはり違う夢を持つ私の息子を残して逝ってしまったのだ。