グダグダの10万円給付、言い出しっぺの公明党は”無傷”?

 18歳以下への10万円給付は迷走に迷走を重ねた挙げ句、結局は「10万円一括現金給付も可」という形で決着しました。しかし、あとの事務処理はぜんぶ自治体任せとは、なんともお粗末な幕引きです。

 一方では、クーポンごり押しの考えを時間はかかったとはいえ事実上撤回した岸田首相の方針転換は、良くも悪くも、これまでの安倍・菅内閣では考えられなかったことです。野党側からは、こうした朝令暮改も辞さない岸田政権の姿勢に「批判の攻め口を失いかねない」との弱気な声も聞こえてきます。

 結果として、経済効果を重視していた政府が、自治体の首長や世論、野党から沸き起こった「現金給付」の大合唱に押し切られ、めでたしめでたしとなったわけですが、ちょっと待ってください。事の発端からの経緯を思い出してみましょう。筋の通らない、おかしな事だらけだったのではないでしょうか。

 すべての始まりは、言わずもがな、10月の衆院選で公明党が選挙公約に掲げたことです。子供たちの未来のために等々、公明党はもっともらしい理由を言っていましたが、誰がどう見ても、100%「票」目当てのバラマキ公約です。あまりの露骨さに失笑した記憶があります。ところが、選挙結果は戦前の予想を覆し、自公の勝利、特に、議席減の危機にあった公明党は逆に議席増にまで盛り返しました。愚民は金で釣れ、してやったりとはこのことです。

 その後、自公の協議を通じて出てきたのが、5万円現金・5万円クーポン案です。所得制限の課題もありました。自民党にしてみれば、公明党の公約だからゼロ回答とはいかない、せめてバラマキ批判を回避し経済効果を少しでも高めるためにクーポン導入で妥協を図ったというところでしょうか。

 

 

 


 その後の経緯はご存じの通りです。今誰が困っていて誰に税金を投入すべきかという根本の議論がすっぽり抜け落ちたまま、10万円だけが一人歩きしていきました。もらえるものはもらっておけばいいんじゃないの、という世論がいつのまにか形成され、その後、膨大な事務経費や、なぜ18歳以下なのか、世帯収入での不公平感など、個別の問題が次々と噴出。当然、その度ごとに矢面に立たされたのは岸田内閣です。そもそもの言い出しっぺである公明党はダンマリを決め込み、まったく表に出てこない。あとは自民党さんよろしく、手柄は総取りさせてもらいますからね、と言わんばかりです。

 公明党は、現世利益追求の党です。少数の議席ながらキャスティングボードを握って政権に食い込み、具体的な成果をゲットしてこれを喧伝することで党の存立を確保する。この基本姿勢は国政でも都政でも、まったく変わるところがありません。

 今回の10万円給付騒動で改めてわかったことは、そもそも論がいとも簡単に忘れ去られ、議論がどんどん枝葉末節に入り込み、安易な人気取りに収れんしていく日本の政治風土のあり方そのものだと私は考えますが、その裏に、公明党の「御利益最優先」の体質が隠されていることを見逃してはいけないと思います。


 

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