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スパチャを舐めてかかるVtuber

こんにちは、都知事です。


常々、Vtuberを推す時は見返りを求めず、応援したい気持ちだけを送ろう、反応がなくても推しを恨んではいけない、という考えを伝えていた私ですが、「それはあんまりでは」という事がありました。


先日、とあるVtuberの配信でスパチャを投げ、他の人も何人かスパチャをしていたのですが、それに対する反応は「金、サンキュー!」でした。


…は?

さすがにそれはないやろお前…と、少し驚き、そのまま配信を閉じました。


なんというか、久しぶりに配信をしたから応援したい気持ちでいたのですが、一気に冷めました。


目が覚めたと言うべきでしょうか。

ネタとはいえこんな対応をされると、自分の投げた額やその気持ちが本当にバカバカしく思えます。

月末の支払いや生活費、欲しいものやゲームにも課金したい気持ちを抑えて投げた1万2000円、これほどまでに報われない金の使い方をしたのは初めてです。

所詮、Vtuberも人であるのだな、喉元過ぎれば熱さを忘れる。スパチャを貰えるのが当たり前になり、感謝すらしなくなる。

私が1日8時間働いてようやく稼げる金額を、彼女は鼻で笑いながら握りつぶしたのです。


元々貧困で生活が苦しく、そんな状態から脱する為に始めたというVtuber活動。

しかし、先日の彼女には初めに掲げていたような目標も、夢も、応援してもらえる事の喜びも、持ち合わせていないように思えました。

彼女のおかげで私は色々な経験が出来ました。人を純粋に応援したい気持ち、友人に絵の依頼をしてサムネに使って貰えた嬉しさ、反応してもらえる喜び。

私は彼女が本当に好きでした。異性ではなく、ただ応援して夢を叶えて欲しい、大事な娘のように思っていました。

一時期、私の発言や反応が彼女を苦しめているらしいことを知り、それからは頑張って欲しいと思いつつ反応する事は控え、見守っていました。

その結果がこれなのでしょうか。私はこれで良かったのでしょうか。

どう思っても、恐らく人が人を変えることは出来るはずもない。


彼女にはいくら使ったか分かりませんが、もう私の事を思い出すこともないでしょう。悲しいですが、それでいいのです。

投げられた額に応じて特別扱いなどするものではありません。それは分かっているつもりです。

ただ、「金が貰えて当たり前」という、そんな態度が端から感じられてしまった、それが大変悲しい。ただ悲しい。


人を癒すことが出来るのも人ですが、人を傷つけるのも、また人。


このような終わらない喜びと悲しみのスパイラルの中、我々はどのように生きるべきなのでしょうか。


ありがとう、さようなら。私の推し。


ではまた。


追伸

Vtuberとは存在感があって目立ちやすいだけで、その実、インターネット上の人物に変わりありません。

何かあってもすぐ転生できる、故に人付き合いが雑になることもある。

もちろん全ての人がそうだとは言いませんが、Vtuber=SNSの人と種類は同じ、と考えた方がいいのかもしれません。


Vtuberは、目立つ。だから、人目もお金も集めやすい。


「こんな奴に金なんて投げなきゃ良かった」と思う気持ちと同時に、「他にも応援したい人は沢山いる」という気持ちに気付く事が出来ました。


私がお金や時間を使うべきは、驕り高ぶるVtuberではなく、創作活動で日頃から作品を提供してくれるクリエイターや、よく絡んでくれる友人、そして日々顔を合わせて頑張っている仕事仲間なのかも知れません。


必死に掴むことの出来ない魅惑の煙を掴もうとしていたような気分です。これに気付かせてくれた推しにはやはり感謝が湧いてきます。


なんとも言えない、複雑な気分ですが。

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