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実家の猫が死にました

こんにちは、都知事です。

私が高校生の頃に家族になった猫の一匹、タケルくんが昨日亡くなりました。

彼は幼い頃からしっかり者で、自分勝手で神経質な兄、ヤマトよりも温厚で穏やかで、気配りの出来る賢い子でした。

今日は彼の生涯を思い出し整理するべく筆を取ります。

訃報の連絡が来たのは午後2時半過ぎ。
私は花火大会の警備現場で忙しく走り回っている最中でした。

移動中に少し手が空いた為、iPhoneを手に取ると母からLINEが。

珍しい、なにか買い物でもして欲しいのか、それとも食事のお誘いか、と何となしにメッセージを開くと、「タケルが亡くなった」という内容でした。

正直、予感はしていました。
若い頃は元気溌剌、天真爛漫で家中を駆け巡り、全身筋肉モリモリで存在感のあったタケル。

しかし、ここ2年ほどですっかりやせ細り、骨が浮いて見えるようになり、ここ最近では足を引きずってようやく数メートル移動する、という衰弱ぶりでした。

年齢も15歳を超えているし、仕方ない…とは思いつつも、その時が来るのが怖くて恐ろしくて、Twitterに流れてきた最高齢27歳の猫を見て「うちの子も大丈夫だろう」「長生きしてくれるだろう」と現実逃避とも思える考えをしていました。

そんな中で訪れた訃報。「来たか…」と思いながらも、そこまで取り乱すこともなく、母には「了解。」と返しました。

「今は仕事中だ、自分に与えられた役割を果たさなければならない」
「部下もお客様も自分を待っている」

そう言い聞かせましたが、数十分もすると、とにかくタケルに会いたい、顔が見たい、そんな気持ちが溢れてきました。

「タケルの顔を写真で送ってくれませんか」

母は遺体を撮影する事に拒否感を覚えたようですが、既に実家に駆け付けていた妹が代わりに送ってくれました。

写っていたのは目を開けたまま横たわるタケルの姿。写真では死んでいるかどうかなんて分かりません。

「会いたい、触れたい、今までの感謝を伝えたい、存在自体が尊く、我々に残したものは大き過ぎるという事への感謝を、とにかく伝えたい」

私は誰かに聞いて欲しくてたまらず、現場に居た次長に話しました。

「実家の猫が亡くなりました」

「そっか……つらいね。老衰?」

「ええ、15歳で、往生でした」

「…じゃあ、今夜の花火は弔いの花火だね、猫ちゃんの為に1万5千発打ち上がるよ」

「…届くでしょうか」

「届くよ、きっと」

私はこの言葉にどれだけ心を救われたか分かりません。「それなら与えられた役割を果たす事がタケルへの弔いになるかもしれない、今は仕事に集中して、お客さんに喜んでもらう事だけ考えよう」と気持ちを切り替え、業務に臨みました。

その後、仕事を終え、夜道をバイクで飛ばします。

なんとも落ち着かず、何度も車線変更して追い越したり、アクセルを開いて、とにかく早く会いたい思いで実家へ向かいました。

しかし、そんな事をしても結局到着したのは予定通りの時間。到着した私は鍵を開け、バタバタと母の部屋へ飛び込みました。

タケルはいつものように母の横で寝ていました。

「もしかして、母が勘違いして、早とちりしたのでは」と期待しましたが、そんなことは無く、タケルはビクともせず、ただ空を見つめ、横たわるだけでした。

「あぁ…」

本当に逝ってしまったのか…

そう思いながら身体に触れると、毛並みはふわふわなのに、とても冷たい。

タケルが冷たい事など生まれてこの方一度もありませんでした。常に温かく、ふわふわで、もちもちとした子で、私が家に帰るとすぐに傍に来て身体を撫でさせてくれる、そんな人思いの優しい子でした。

妹は大粒の涙を流しながら悲しんでいましたが、私は不思議と悲しみよりも感謝の気持ちが強く現れました。

タケルへの感謝、タケルの死を悲しんでくれる妹への感謝、そしてタケルを今日まで幸せに生かしてくれた父母への感謝。

そして、普段は姿を見せないのに、少し離れた所からタケルを見守る兄猫のヤマト。

ヤマトは弟が死んだ事をどう感じているのだろうか…2匹は幼い頃から一緒で、性格は真逆ながら血を分けた兄弟でした。

そして、タケルをライバル視して、しょっちゅうちょっかいをかけては返り討ちに会っていたこす狡い後輩猫のムサシ。

ムサシはタケルの前に座り込む私の所へやって来て身体を撫でさせてくれました。

タケルの代わりをしてくれたのかもしれません。そんなに気が利く子じゃなかったのに(笑)。

悲しみと感謝が交差する中で、家族全員集まって思い出話をしました。

タケルが一番しっかり者だったこと、ヤマトにムサシはあちこちに粗相をしたにも関わらず、タケルは一度もした事がなかった事、タケルが旅立つ朝、初めて粗相をしているのを発見した事、自ら母のベッドの下へ潜り込み、死に場所にそこを選んだ事…

タケルは優しい子だから、母が心配だったのかも知れません。
母の部屋には息子である私も、妹も、父も集まるので、私達を守る為にその場所を選んでくれたのかもしれません。

人目につかない場所は他にも沢山あるのに、敢えてそこを選んだのは…考えられる理由を上げるとキリがありません。

理由がいくらでも出てくるほど、彼は強く優しい子でした。

もうその姿を見られないと思うと涙が込み上げて来ますが、重たく苦しく不便な身体をようやく卒業できたこと、あらゆる痛みや暑さ寒さからも解放されたことは、家族として喜ばしく感じます。

ただ…そうは思っていても、合理的な考えで自分を納得させようとすればするほど、悲しい心がバネのように反発して自分を打ち叩くのは何故でしょうか。

今頃は葬儀屋さんに運ばれ、火葬されている最中でしょう。

骨が残るかどうかは妹と元姉に任せているので分かりません。

ただ、愛しいタケルの骨となった姿も見届けたかった、自らの手で拾い上げたかった、と思うのは私の内に潜む汚い欲求でしょうか。

とんでもなく綺麗な心のタケルと、とんでもなく汚い私。

また会える事を信じ、せめて人のお役に立つことで自らの身を少しでも綺麗にしたい。
人の役に立つ事でさえ理由が必要な私はなんて醜いのか…

ペットロスという言葉が目立つようになりしばらく経ちますが、これ程辛く苦しいものはありません。

亡くなったタケルの事よりも、タケルを失った可哀想な人間側という視点に勝手にフォーカスしてしまう自分にも嫌気が差します。

自己嫌悪は卒業したと思っていたのに、心に着せた鎧は簡単に剥がれてしまう事もあるようです。

本日はここで筆を置くこととします。
ではまた。

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