あたりまえだと思わずに
ときどき、何か生活に変化があると「こんな日がくるとは」と考えてしまう。あたりまえと思っていたものが、ありがたいものだったと気づかされる。
そういえば、生まれて初めての入院が思いがけず長期になったとき「もう、普通のものなんか食べられないのかも」と思った。外食も、珈琲も、菓子も無理で、ひとりで味気ないものを、少しずつ食べるのだろうと。本気で思った。
東日本大震災のときは、洗濯物を外に干すか、どうしようかと迷った。目に見えないもので空気が汚れているらしい可能性は、初めてのことだったから、何をどう考えたらいいのか、わからなかった。
いろいろなことで考えこんだ。迷った。
でも、ひとりではなかった。
震災のときなどは、そのへんの店でも会話が生まれた。「揺れましたねー」やら、店の人から「今日は卵が入荷してますが、足りてますか」やら、年寄り世代になるまでの東京人にはあまり多くないことだろうが、知らない人と会話した。人がいることに、それだけで安心した。
そしてネットでも、何年も付き合いがなかったような人たちが、自然と集まって近況を語り合った。
ひとりでなければ、乗り越えられる。
明日も、あさっても、青い空が見られると信じている。
家にいることの多い人間ですが、ちょっとしたことでも手を抜かず、現地を見たり、取材のようなことをしたいと思っています。よろしくお願いします。