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【報酬未払いで逃げた取締役】中村が中村を追う1話

はじまりは、2019年。年明けから、私が携わる月刊雑誌が隔月発行になると通達があった。その頃、編集長の体調も芳しくなく、雑誌スタッフは業務委託契約のフリーランスばかり。統率力がやや欠けたフリーランスの塊は、それでも編集長が無事に戻れるよう奮起した。

翌号から編集長も復帰し、雑誌もボリュームを増やして再スタートした。さらに、新しい企画もスタートした。その企画は、アイドルのプライベート写真を別冊ふろくしてつけるというものだった。

企画趣旨としては、毎号グループひとりひとりをクローズアップした冊子を作り、最終的には書籍化したいという。すでに双方合意の元で企画がスタートしていた。私は編集長に呼ばれて、アイドルグループ事務所の取締役とマネージャーでミーティングをすることになった。

ふろくは毎号アイドルひとりひとりを切り取った「別冊○○(名前が入る)」ような類似冊子をイメージする方向で決まった。グループの個々にアンケートを実施し、趣味や特技以外にもこういう撮影をしてみたい、撮影風景、衣装、シチュエーションなど、本人の要望もふんだんに盛り込んだ。

彼らメンバーは、まだ15〜18歳。私からすれば、子どものような存在だ。しかし、彼らのキラキラ輝いた純真な目に、私の穢れた心洗われた。ファンの心を揺さぶるような、待望の推しの一冊を作るぞ!と、私は息巻いていた。

別冊は、本誌の企画とは別のスケジュールで進めなければいけなかった。別冊ふろくは全10冊。10人分のメンバー紹介を兼ねた冊子となる。そして、その10冊分をまとめて一冊の写真集にするところまで、企画は決定していた。

私は、先1年の全体スケジュールを作成した。別冊ふろく以外にも、本誌ページも作らなくてはいけないため、何よりも進行が一番大切なのだ。全体のスケジュールと書籍化が決まった段階で、突然「マンガ化」の話が浮上してきた。

別冊ふろくを32ページにして、後半部分にアイドルグループのこれまでの軌跡をマンガにしよう、というのだ。結局、マンガ化の話もGOが出て別冊で掲載することが決まり、写真集とマンガ連載という形の推しふろくが決定した。

私はマンガの編集経験はなかったが、アイドルグループの経歴やストーリーを調べて、マネージャーと相談し叩き台を作った。マンガプロットを確認する担当にもなった。マンパワー不足だったけれど、案件としては規模が大きく、やりがいもあった。こんな案件が決まるくらいだから、雑誌も安定していると思えた。

初回の一冊目は、アイドルグループのリーダーからスタートした。彼はさすがリーダーらしく、飲み込みも早く、ハキハキしていて、撮影もスムーズだった。スケジュールが押さえられそうもないメンバー2人の撮影も同時に撮り終えた。

1話目のマンガのストーリーもいっしょに確認してもらい、すべて滞りなく進んだ。おかげで再起をかけた3月5日発売号の別冊ふろくは好評で、SNSの口コミも上々だった。

雑誌は隔月刊のため、本来ならばフリーランスとして1か月間仕事が空くはずなのだが、私は別冊ふろくを製作するために、3月の校了開けからすぐに撮影とマンガを進行していた。次の本誌の撮影がスタートする4月までに、別冊を入稿段階まで持っていけるようにしておきたかったからだ。

そして3月下旬から4月頭にかけて、本誌の撮影。GWをはさむため、校了はいつもより前倒しのとなり、4月20日頃に無事校了となった。2号分慌ただしく駆け抜けたので、GW中は仕事を休んだ。そして、5月5日発売号が無事に発行された矢先だった。

編集長から「次号の製作はちょっと待って」と言われたのだ。突如、舞い降りてきた不安要素。そして、不安を決定づけたのが5月15日の入金日。3月5日発売号の報酬は、振り込まれていなかった

翌日、もう一度銀行口座を確認してみるが、やっぱり入金されてない。私は、編集部に連絡した。すると、スタッフは「経理に確認して折り返します」という。仕方なく、私は折り返しの電話を待つほかなかった。


グレーゾーンの知的障害者の家族のコミュニティや生活のあり方などをもっと広めたいと思っています。人にいえずに悩んでいる「言葉にしたい人」「不安」を吐き出せるような場所を作りたいです