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リストランテのおはなし

https://twitter.com/BacchusVinVino/status/1184358018655240192

という削除されたTwitterの投稿について
ああ、反論コメントがたくさんついて削除したのかな(雰囲気を気にして)と思っていたのですが、noteを書いている人がいたので私も思う所書いてみようと思います。

普段はエディタで下書きするのですが、今日は直接。
削除されてしまったので元投稿が読めないのですが、こちらで概要を説明してくれています。
https://note.mu/vino_cavolfiore/n/n98131f3f9bf5

 自分なりに分析すると想像含みですが、この投稿された方、リストランテの料理人さんですかね。たぶん、本当に言いたかった事が書けてないのではないかと思います。

 そしてお客さんにも指摘されてる以外に悪い所があって、席料の説明をされた時に「ああ、いいですよ」と言えば良かったのに「そんなにお腹すいてない」という言い方で反抗というか、要は値切りをしようとした所です。

 これはどう見てもお客さんが悪いのです。

 席料が不満なら店を出ることはできますから、店内の説明が不足していると思ったら私ならそうします。そうでなければ多少の出費であればお店に合わせます。席料なしで適当に食わせろという交渉はしないです。
(たぶん最低料金以上のオーダーに変えるでしょう。しかしここでお店の人が何度もひっかかる言い方をしていたら店を出るかもしれません)

 …という事を書けばよかったと思います。

 当然こんな態度取られたらお店側は不愉快だと思います。

 それを書かずにどうしたかと言うと、料理で修行したとか失礼だとか書いてしまっておられました。
 調べれば店のルールも分かるだろう、雰囲気で察する事もできるだろう、と書かれていました。これでは誤解されます。
 ご自身でも何が不愉快なのか分からなかったのでしょう。うまく言葉で説明できなかったのかもしれません。

 こういったお客は増えてると思います。不景気と言われますが、政権交代の少し前、だいたい消費者の買い渋りが始まった頃から聞くだけでも商品の盗難や客のマナーの低下、散々フロアを歩くけど買わない、商品を手に取って何度も見返して買わない(綺麗にパッケージされていてもしわだらけになり無残に変形するものもあります)。サービスは全て無料と思いこんでいてちょっとした追加料金(別代)に腹を立てたり絡んで値切る…。

 お店の人に落ち度があるとしたら、こういってはなんですがお高く止まった商売ばかりをされていて、接客最前線の商売の現実に無頓着だったのではないかと思います。他のお店がどんなに苦労しているかよくご存じないのでは…と思いました。そんな怒り方でした。

 悪いのはそういったお客ですが、怒るより先に現実にそういったお客はいると捉えて対策をする事です。例えば入口に注意書きがあればいいわけです(それでも質の悪いお客は来ると思います)。これは商売をやる以上避けられないリスクの一つなので、けしからんと怒っている時点で(それが全てになっている時点で)苦労が足りないのではないかと思います。

 以上のお断りをした上でなのですが、悪いのは客です。
 これは間違いありません。
 厳しい態度を取ることも必要だと思います。
 そこは勘違いしない方がいいと思います。

 お客も簡単に食事を済ませたかっただけなのかもしれないのでそこは邪気はありません。でも、わざわざリストランテな店構えの店内に踏み込んだ訳ですから、食事を楽しみたいと思って来られたのでしょう。

 悪いのは楽しむために入店したのに値切り交渉のような事をして自分で雰囲気を壊したことです。雰囲気が不要なら最初から簡単に食事するだけのお店に行った方がよほどくつろげたでしょう。そういった要求に応えるお店はたくさんある訳です。わざわざ場違いな所へ入って不満を表明するのは破綻していますし、無用な感情のやりとりをして他のお客や店の人まで不愉快にさせる必要はありません。
 こんな空気では食事後も早々に帰られたかもしれません。

 たぶん、この件の問題は互いにミスマッチした時の対応が悪かった事です。

 店にはこういったお客をどう扱うかの対策が経験不足なように見えます。当然値切りは許されません。他の従順なお客との間に不公平が生じます。そうなれば値切り得ですから社会的にどうかと思います。

 メニューもパスタはメインに出さない方がいいかもしれません。
 新しい多くのイタリア料理店はフランス料理などに比べてコスパが良いので広まった所があります。今はフランス料理が低価格化してきましたがこの傾向は依然あります。
 そういった客の(自分たちに都合のよい)「相場感」にも気がいってないと思います。恐らく思っているより厚かましいくらい自分都合に安いと思っている人はいます。そう考えて対策はしておくべきでしょう。

 いつか書きたいと思っているのですが、自分が苦労したとか店の格があるといった話は他人に通じづらく、共感もしにくいものです。なぜなら他の人はその修行をしたりしていないし、お店の品位を保つために神経を張り巡らせて過ごしていないからです。その根底にあるのは良いサービスであらねばならないという「主観」でしょうから、行動や価値観の根拠となるその部分が一番理解されません。それを理解してもらうには身の上話をリアルに聞かせる必要があります。つまり、自分を説明するのがヘタな人は共感を呼べないのです。

 ですので、理解されにくい方向から話を展開したのはまずかったと思います。

 同時に料理は素晴らしい腕前なのでしょうが、表現力であるとか接客上のリスクにはどちらかというと力を割いて来られなかったのかもしれません。

 無理そうだと思ったら接客の上手いスタッフにお願いすることもできますし、他の商売の方とも交流して接客リスクについて情報収集することもできたのではないかと思うのです。そういった場でお客の話をすれば本音の気持ちがよりよく伝わったでしょう。他の人も同じ修行や店の空気作りの苦労をしているから共有しやすいですからね。

 いきなりTwitterに書くのであれば、やはり表現力が必要だと思います。
 特に自身に向き合い言いたいことの核心は何かを明確にすることが必要です。なかなか難しいとは思いますが。


2019/11/8 追記
 筆者の関心は「なぜ店員は不愉快になったのか」という点で、この記事もそこを掘り下げていますが、店側の目線・立場を取るという事自体に拒否反応のある方も多いようです。
 一度店側批難で盛り上がってしまったからかもしれません。先日も他の方のnoteで飲食店は高慢というコメントを見かけました。言いたいことは分かるのですが…そこは御本人が書きたかった内容ではないのです。(コメントされた方が言いたいことでしょう)

 この状態で理解は進まないと思います(読み手が理解を拒否していますから)が、私も書ききれていないと思ったので少し補足してみます。

 最初に書いておくと、お客側の事情としてこんなことはあったかもしれません(多分に想像です)。親子連れということでお子さんがまたどのくらいの年齢かも分かりません。夕食の話をしている親子が通りがかった店の前で、「ねぇ、ここでたべたい」と言われたとします。親はさほどに気は進まないものの、子供の希望を叶えるために入店しました。しかし一見して子供には贅沢なお店だと察します。子供が入ってみたかっただけなのは分かっているので簡単な食事をすれば満足するだろうとオーダーしたという状況です。これは私の空想の一つですが、さほどサービスに執着していない親の心理は説明できます。と同時に(仮にそうであったとして)あくまで親子の間の話(他人には分かりにくい)であってお店には関係のない事情であるという点も付け加えておきます。

 なぜ「そんなにお腹すいてない」という返事がまずかったのか、店員が不愉快になったのかがピンときていない人もいると思います。

 このお店は見る限り、豊富なメニューから時々に好みの皿をオーダーし、お酒を楽しみ、食事を楽しむ。
 単なる食事ではなく、興味と体験を与えてくれる料理やお酒の品揃えで飽きさせず大切な友人や家族・恋人などと楽しい時を過ごすための時間を提供するお店でしょう。
 お酒の仕入れにも気を配っているでしょうし、料理は定番のメニューはそれなりの修行で磨かれ、季節メニューや週月の皿は絶えず新規開発の研究をして水準以上に仕上げ続けているお店でしょう。がっかりな皿やアイディア倒れといったレベルの皿はないのだろうと思います。
 接客もその内容に応じて客に気を配り、食材や調理についてよく知っていないといけないでしょう。店独自の工夫や技術、生産者の並々ならぬ気配りなどお客に説明できなければなりませんから。その一皿の価値を余さず伝える事でただのお惣菜ではない貴重な(話題としても楽しめる)体験を味わっているという満足感が得られ、そこで始めて良い思い出になるからです。


 こういった「お店作り」にかける労力は大変なものだと思いますが、お客に料理に関する情報を与え、興味を引き出し、好みに応じて選んでもらうというのがメニューを尋ねる行為だと思います。
 そういったアシストをすることで店内での時間を、楽しく過ごして頂こうとするのが接客の第一目的でしょう。実際に、そういったお店のサービスによって楽しく過ごしている客がほとんどであると思われます。
 要するに店の価値を最大限お客に提供しようとして行ってるやりとりなのです。理由は客にメリットがあるからです。

 「そんなにお腹すいてない」の一言がまずいと思うのは、「店づくり」の積み上げた苦労を一笑に付してしまっているからです。
 接客一つに集約されている苦労があり、店の水準にもなっています。それを「そんなものはどうでもいいんだ、なんでもないことじゃないか」とあしらわれてしまったらどういう気持ちになるでしょう。
 悪気はなかったにせよ、間接的に店や料理人・店員を職業的・人物的に否定してしまうことになります。相手の一日の作業の大半を無価値なもののように扱うことには礼儀上もかなりの問題があります。
 たぶんこんな態度で味わっても料理の本当の美味しさは分からないでしょう。料理人がどれだけ手間をかけているかその有難みを感じられないのですから。

 料理を味わうためには接客での情報が入口になります。店を知るのも接客からです。店からすると最重要ポイントです。

 サービスは求めていない、簡単に食事ができればいいんだ、適当に腹が膨れればいい、といった要求に応えるだけのお店ではない事は明らかなので(最低限必要な)店の案内を何でもないことのようにはぐらかす、正面から拒絶する態度をあからさまにするのはどうでしょう、ということです。
 
 店側からすると様々なメニューを紹介するのは当たり前で、通常のお客はそういった対応を求めて来店しています。
 そういったサービスが不要なのになぜこの店に来たんだという事になると思います。わざわざ自分が不要なサービスを提供する店に入って、品質以下のサービスを要求し、自分のやり方で(他店流の)オーダーを通し事を進めようという態度に見えてしまいます。当然店の都合・空気はあえてか天然なのか無視しています。もしかすると照れ隠しもあったのかもしれませんが、どちらにせよとぼけて返答しています。

 料金説明は当然、会計でモメないためですが、支払い金額に直結する応答について了解ではなくちょっと的外れな返答ではぐらかすというのも本末転倒で、モメないための確認をモメかねない(あるいはモメる)曖昧な返答にしているのです。これでいらいらしない方がおかしいのですが、文章で書くと「それだけの事じゃないか」という話になってしまうのです。

 ネットや法律論では「怒った方が悪い」と短絡的な善悪で人を裁くのを楽しむ傾向があるようですが、怒らせるだけの事はしています。

 そもそも勝ち負けの問題ではありません。こんなやりとりをして接客が雑になれば損をするのは客だからです。出てくる料理の価値は半分もなくなるかもしれません。

 私が言いたいのも最終的に客側優先の選択で良心的な業者や店舗が潰れて行っているのではないか?という事です。
 はっきり言えば今、消費者はイジケています。不景気ですから。不本意な事にその不満をぶつけられているのは政治家ではなく消費の現場なのです。

 記事:通り魔を作らない社会があるとしたら 参照ください

 ここには客側優先の「既得権意識」が強く働いていると思います。
 加えて「庶民の階層意識上部への反発」も誘導してしまったと思いますが(そういった記事の得意な方がコメントしていました※庶民派の話題を扱うジャーナリストの人でしたが2020/1/12時点ではコメント削除されていました)、この二つをエネルギーとした数々の批判が話を歪めてしまっているように思います。

 私も高級店にうっかり入りかけ、過剰に最低金額をアピールされた事があります。ランチタイムで相場感を外れてはいましたが、別の店員が簡単な食事を案内してくれ、エコノミー席に案内されました(私たちだけでした)。料理は美味しかったです。ボリュームもありました。最初の店員の態度はどうかと思いましたが特にお店と揉める事なく食事自体は楽しくできました。今、こういったお店のほとんどは入口に注意書きするかコースメニューを用意していると思います。ちょっと入ってみたい、という好奇心は誰にでもあるからです。店側の経験不足は既に指摘しているので追記では重ねません。

 レストランが高慢と言われるとそうかもしれませんが、内容的・お値段的には居酒屋で飲むのとさほどの落差はないかもしれません。高級居酒屋と比べるとむしろ安いかもしれません。つまり高価=高慢=サービスではないと思います。(常に階層的反発を伴う)庶民感覚かどうか多分に雰囲気に騙されている所があるかと思います。

 以上です。書いておいてどうかと思いますが、食事のガイド文を書くみたいで疲れました(笑) 本職でも何でもないので精一杯です。前段のお客の(もしかして)エピソードを挿入したのもお客の側に立つにせよこういった納得を伴う説明は必要だろうということです(もちろん確証はない空想と断った上でです)。どちらにせよ自分と異なる人を理解するのはたいへんですが、何もないのに怒る人はいませんので、結果だけを見て批難するというのも心無く思われます。なぜそんなに人を叩く側に回りたいのだろうかという印象を受けることも少なくありません。
 むしろ結果が無難に収まっていても、そこへ至る過程には悪意がなかったのか、相手を知らなければ見えて来ないと思うのです。人が人を批難する時にはそれが不可抗力のものではないという確信が程度の差は置いても必要なのではないでしょうか。

 私はまずは店員が「なぜ不愉快になったのか」を知りたいと思いました。

 その情報も意見も皆無と言ってよく、圧倒的に少なかったのです。

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