見出し画像

物事は勝手に進展していく力を持つ

 以前の記事。

 にて「一言で言えばこれは「自分を守る」ためのマニュアルで、「感染拡大させない」ためのマニュアルではないということです」と書きました。
 これが問題である事は間違いありませんが、言葉で明確にしてみます。

 この世界にはエントロピーの法則というものがあります。一つの簡単な解釈をすると、物事は自然と進行(時間経過)するとでも言うべきでしょうか。

 私たちはたくさんの選択肢を持つ事ができますが、実は何も選択しなくとも勝手に事態は進行して結果が出るのです。

 選択をするのは自分が望む良い結末を得たり、事態が望まない進行をすることを防ぐ場合(手段は選びたいですね)、もしくは進行自体を止めたい場合です。

 これは、受け入れがたい過程や結果を防ぎたいからです。

 逆に、自身が行為者でないと距離を置いて、進展するままに任せるという人もいます。また、行為者であっても流れに逆らえないと思っている人もいます。

 自身が直接の当事者でなければ悪い結果しか見えないとしても、選択をしない事で責任を回避する、選択の手間を省く(めんどくさいという感情で処理される事が多い)、つまり、結果責任を放棄します。

 選挙で投票所に行かない人がそうなのですが、選択を放棄する=結果責任を放棄する なのです。

 では物事の進行をコントロールしたい場合というのはどんな場合でしょうか。

 これは物事が一部の人たちに都合の良いように方向づけられて(事もあろうかここに最大限の悪知恵が働きます)スタートした場合です。まずスタートさせない事ですが、それが無理なら途中であっても停止させて結果に辿り着かせないようにする。もしくは問題のない形で実現するように軌道を変える、もしくは途中の手段が問題にならないよう進行をチェックするといった選択肢が多数発生します。

 一度事態がスタートするとこういった労力が(多くの場合ボランティア的に)発生するので、意図的な事態を企図する事はやめて頂いた方がよい場合があります。

 逆に、とてもよい結果が得られると思える場合。
 ここでは何もする必要はありません。放っておくだけで良い結果が出ます。
 それなのに良い結果が出る時だけ過程に関わりたがる人もいます。自分が何も努力しなくても結果にあやかれるから、手柄にして自慢できるから、失敗がないからです。

 つまり選択肢は最低限、悪い結果を防ぐために必要なのです。それ以外の事は放っておいても何も問題ないからです。優先すべき順位は悪い結果を招く事態です。

ここで、最初の記事に戻ります。結果のよしあしで見ると
○ 自分を守る
× 感染を拡大させない

ですので、まず対処すべきなのは悪い結果である「感染を拡大させない」事なのです。
その結果として自分を守ることが可能になります。
先に自分を守ろうとすると最後は自分を守れません。


 エントロピーが事態を進行させる力を持つとして、進行させるということは結果は終着点に集まることになります。そこが結果を最終的に受け止める場所になります。

 結果には「途中で取得できる結果」と「最後まで残る結果」があります。
 簡単な例で言えば、前者が「企業利益」、後者が「公害」です。この場合、最終的な結果が辿り着くのは被害者、事態を受け止めさせられるのも被害者です。
 当然、最終的に直接的な結果を受け止めさせられる側の人々は選択肢を掲げてこの事態の進展に反対していくことになります。企業は途中結果だけを回収して、残ったものは放置し、関係のない人に引き取らせるつもりだからです。

 日本社会の矛盾は、こういった「反対」の選択肢を反体制であるかのように扱い、排除してきた「空気づくり」が関わっています。
 反対意見を吸収・昇華すべきなのに、それができない、規則の文言だけに過小評価された予測として積み残してきたからです。


 現在、生活ごみ清掃者の感染の被害が訴えられています。
 感染症の汚染がさまざまな生活物資に及ぶため、最終的にそれらに触れざるを得ない終点の作業者に感染の危険が集中するという話です。

 前回記事の汚染構造が次のようなものだとすると
  販売店
   ▽
 ×購入者 (汚染)

 ごみの処分は
  販売店
   ▽
 ×購入者
 (汚染)
   ▽
 ×清掃者
 (汚染)

 となる訳です。

 消費者の中には清掃者の安全のため、清潔な袋にごみを詰め、さらにごみ出し用の袋に入れて出すということをしている人もいらっしゃいます。

 私の場合はまた違った方法で、購入した物は原則アルコール消毒→界面活性剤で洗うことを徹底しています。ごみ出しを二重に包むことに比べると次の点でメリットがあります。
 ・住居が感染することを防ぐ
 ・冷蔵庫などの格納場所が感染することを防ぐ
 ・自身が触って感染することを防ぐ(使用時)
 ・自身が触って感染することを防ぐ(処分時)
 ・ごみの包装が汚染することを防ぐ 
 ・ごみの包装が不完全で作業者が汚染することを防ぐ 
 ・ごみの包装が破損して作業者が汚染することを防ぐ 

 なぜこれだけの分岐を未然に防いでいるかというと、事態が進展する、より上流で根本的に対処しているからです。
 逆に言えば、現実にはありませんが

 ○販売店 ←この時点で消毒が徹底され、守られていれば購入者・清掃車には被害はない
   ▽
 ○購入者
   ▽
 ○清掃者

 これが感染症を拡散しないということだと思いませんか?
 購入者とそれ以降にリスクを押しつけ、その場だけ自分の身を守っても感染の危険の高い客の来場が増えて結局自分(とその事業自体)が危険になる訳です。


 様々な問題についても、早い段階からその問題点を指摘することには意味がある訳ですが、あえて解説の形にするとこんな記事になります。

 ”なんだそんなことか” と思われた人もいるかもしれません。
 しかし実際行われていないのです。
 そんなことやらなくても当たり前という空気だと思います。
 これは真に理解しているとは言えません。
 ゆとりの中に知識の入口を浮かべて触れないようにしているだけなのです。自身が(あるいは自身から)まともに向き合う事はありません。触れたが最後そこから出てくる様々な問題に自身の考えを持てないからでしょう。

 以上です。
 ありがとうございました。


 関連記事


サポート頂けると嬉しいです。