32年間の日常
それは毎日、途切れることなく続けられている。
もちろん、どうしても無理な日はある。
そんな時は、翌日以降、また淡々と続ける。
誰のためでもない、たった1人、この世にたった1人の私のために。
日記である。
自分で日記帳を初めて買ったのは、どうやら中学生の15歳。
何を書いたのか、まったく記憶にない。
ドキドキしながら1ページ目を開くと
「私が死んだら、この日記を友達に見せて欲しい」と書いてあった。
完全にアンネ・フランクを意識している…!
そう、没年15歳と知って衝撃を受け、慌てて日記を買ったことを思い出す。
15歳の私は、私も何か書き残すべきことがあるはずと思ったに違いない。
一体、何を友人に伝えたかったのだろうか…?
……。
……。
……好きな男の子のことばかり書いてあった。
友人は何を読まされるのだ。
最初の3日ぐらいである。神妙な文章だったのは。
そのあとは、やれ部活休みたいだの、テストの点数が悪いだの、そして雄太郎に次ぐ雄太郎。一回落ち着け、雄太郎が好きなのはわかった。
↓雄太郎くんについて
自分で読んでても頭が痛いのに、なぜ、自分の死後を想定して友人に託そうとしているんだろうか、戸惑う友人が目に浮かぶ。
ともあれ、それから32年間、現在47歳になる今も、日記は淡々と続く。
今は、私が死んだら燃やしてくれ、と伝えたい。
いや、恥ずかしいから燃やして欲しい!ほどのことは書いてはいない。
続くのは、日常だ。
新たな恋をしたり失恋したり、受験をしたり、バイトの面接に行ったり、就職したり。
例えば、誰かがこの日記を手にしたところで、ミステリーは始まらないし、世界を涙させるような感動的なことも書いていない。
ただ1人、私だけが、その記憶の箱を開いて楽しむことが出来る、唯一無二の書物であると言っていい。
この世でたった1人、私だけが楽しめるのだから、私が死んだら、やっぱり燃やしてしまうのが残された者も、扱いが困らないに違いない。
何せ32年分。日記帳は増えていく一方なので、これ以上物を増やしたくないと、2006年から、10年連用日記を使っている。
これにより、10年に一度しか日記帳は増えなくなった。はずなのだが、持ち歩き用の手帳があったりもする。
最近は、持ち歩かなくなった代わりに、ぼぼ日手帳もつけている。
おい待て、私の日常が渋滞している。
そういえば、怪我をして入院した時だ。
長期入院だったので、夫に必要な物を書いたメモを渡した。
そこには、爪切りだとか洗剤だとかの日用品ばかりを書き込んでいたのだが、夫は、そのメモには書いてなかった連用日記も持ってきた。
「あなた、何も書くようなことがない日でも日記書いてるでしょう?」
連用日記は辞書ぐらいの重量があるので、小さなノートを使って、すでに入院日記は書き始めていたのだが、そのことは黙っておいた。
私が毎日ちょこまかと書き残していることを、夫はちゃんと見ていたのだと、なんだか嬉しかったので、お礼を言って受け取った。
一体、何をそんなに書くことがあるんだろう。
何も書くことがない日は、それはそれで「何もなかった」と書いてあったりもする。
だけど、読み返したらわかるのだ。
その筆跡が、丁寧か乱雑かで、何もなかったその日を楽しんでいたか、悔やんでいたか。
丁寧な字の時は、心にゆとりがある自分が手に取るようにわかる。
どんなに良い内容でも、乱雑な字の時は、余裕がないのかもしれない。
そして、連用日記になったことで、別の視点も手に入った。
3年前の今日この日、こんなに辛そうなのに、その2年後に奇跡みたいな日を迎えてる。
そういうことが、あちらこちらの日付で見られるようになった。
奇跡みたいな、とは大袈裟で、「500円クーポンゲット!」とか「〇〇ちゃんから電話が来た!」とかそういうささやかな喜びだが、字が躍っているのは心地いい。
例えば今日がつまらない日でも、来年は別の今日が待っている。
来年の今頃は、今日、想像もしていない私がいるはずだ。
今の私が知らない人に会ったり、今の私が出来ないことをしていたり。
かと思えば、今の私には到底無理なことを10年前の私がしていて、出来なくなったことを嘆いたりもする。
日常が続くだけの人生は、それでも想像していなかった毎日の連続だ。
32年間、ずっとそうだったから、これから先もそうなんだろう。
日記を書くという習慣は、過去を振り返るものではなく、未来の私を支えることなのかもしれない。
そして32年前の私へ。noteというSNSの隅っこで、己の最初の1文が晒されることなど、想像すらしていないと思うが、当時の君に色んな意味で結構痺れた、ありがとう。
それからな、15の私よ、お前結構長生きしてるよ。
以下、ちょっとお見せしたいコレクション。
ぼんやりとしか記憶してなかった日常が鮮明に立ち上がる。
元カレの写真も入ってまして、なんかこう、若いっていいよねーなどと。
10代、20代の日記の書き方は、今はもうない熱量があって、かなり笑わせてもらう。
以前、つるちゃんと電話している時、たまたま連用日記の話になって、お互い、初めて会った日を声に出して読み合うという、激アツなことをしました。
つるちゃんの連用日記はこちら!
日々の習慣、何を書こうか頭を捻らせて日記をチョイスしたんだけど、infocusさんの朝にノックアウト!
光が差し込むリビングに、ドタバタしつつも家族の笑顔が見えて幸せな気持ちになりました。
人様の習慣を覗き見するのは、すごく楽しくてお得な気持ちになるのかもしれない。
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