0・100思考のあきらめかた

この記事は

完璧主義なかた

物事の白黒をはっきりしないと気が済まない方

相手の正解に合わせて自分の人生を選択してきたかた

そういった0・100思考の方に

おススメしたいと思います。

ほんとうは自分を承認することができない

どんなに努力をしても

どんなにつらいことを越えてきても

自分を認める事が出来ない。

それよりも

自分よりももっと有効な手段で

自分よりもっと簡単な方法で

うまく物事を成し遂げている人や

6割ほどのチカラで軽やかに成功している人が

周りにいると「焦る」「不安になる」「認めたくない」

そんな風に感じる事が

わたしにもたくさんありました

思考を巡らせ

心も体も懸命に使い

どちらも疲弊しているのに

思ったような成果が出ない。

そんな事に何度となく落胆したこともありました

自分以外の誰かの正解に合わせる癖

自分はこう思ったからこうした

と、その時は確かにそう思っているのだけれど

答えが目の前に出てきた時

「周りが」「あの時のあれが」

「あの人が」「この人が」と

言い訳が頭の中をぐるぐるとめぐる。

誰かをはっきりと責めなくても

「あの時こうだったから仕方ないか」などと

「あきらめる癖」すら当たり前のようについていて

自分がなぜこうなってしまうのかなどと

本気で考える事すら放棄することもありました

と、言うより

自分の真実から逃げていたのかもしれません

実はすべてが

「相手の正解に合わせる事」に全力なのに

それが自分の

「本当にやりたいこと」や

「やらなければならない」と思っている事

となっているから

数年たっていろんな知識を身に着けて

世の中の事がわかったように思っていて

自分は成長したと思っていても

感じている感情は数年たっても変わらなかった。

ブレーキをふみながらエンジンを回す

そんな時はたいてい

心も体も

自分のエネルギーは大量消費していて

まるで

ブレーキを思い切りふんでいながら

エンジンを回し続けている状態。

どんなに頑張っても

どんなに努力しても

自分はつねに止まっているように感じる。

だからこそ

もっと知識を

もっと時間を

もっとエネルギーを使って

さらに自分を疲弊させる方へ向かっていくんです。

でも、行動だけは起こしているから

前に進んでいるんだ。という感覚はあるけど

結果を見ればというと

だれかや、何か、

会社や家族や

友達や彼氏や彼女や

何かとの関わりの中で感じている感情のゴールは

いつも自分を落胆させるものばかりに

なってしまうという。。。。

「ああ。なんか疲れたな。ちょっと休もう」

でもなんだかそれも許されない気もするな。

そうやって数年その

「当たり前」の状態になれてきたわたしはまた

自動操縦のように

なにも考えず自動的に

同じことを繰り返してきたのです。

これってつらいな。

そんな私が

その先どうなっていったのか

また次回、見てくれたらうれしいです


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