猫は生きるそうです
ここ数日、過去一で衰弱していた猫。状態は今も良いとは言えないが、レスキューとして投与したロイナーゼが効いたのか、経口給餌をしても嘔吐や下痢は今のところ無い。
が、やはりこの数日間、鼻カテーテルからの流動食も余すことなく吐いていたため、少しずつ戻りつつあった体重も一気に落ちてしまった。
様子を見てる間にもこの子が少しずつ居なくなる。
だけど焦ってまたトラウマにさせたり胃腸に負担をかけては元の木阿弥。
主治医は「そろそろターミナル期と考えるのも本人のためでは」と言っていたけど。
それはまだ否定する。
食べるのを諦めてるわけでも、必要としていない訳でもないのがわかる。食べたいけど気持ち悪くて食べられないのだ。
水も飲もうと何度も水入れに口付ける。
距離感がわからなくなったのか、水入れに前脚を突っ込むほど渇望してる。
おかげで今日は3回ドライヤーをかけた。
今朝は猫草を食むそぶりをした。猫草、元気な時はいつだって狂ったように食べてたからね。
鼻カテーテルを取らざるを得ない状況になったから、昨日から再びシリンジで口から流動食を与えた。
嫌がるけれど、えずくけれど、これまではなかった自発的に飲み下す動作をしてくれた。
コクン、コクンとひと口ずつ、でもハッキリと飲む。
生きる、生きたいという意志以外、何ものでもない。
先生、この子は生きるそうです。
さあそれじゃあ、この後も
効くのか効かないのかわからないサプリを流動食に混ぜて
明日を生きる準備ができたら
またいっしょのふとんで寝よう。
まあでも
あったかくなってきたから
そろそろ一緒には寝てくれなくなるかもね…
そんな感じで、今日は少しひと息ついたところです。
久しぶりに趣味の絵を描こうと思えたのですが、ここ数ヶ月、ひとりぐるぐるしていたネガティブな感情が“楽しもう”という気を削いでしまい。
じゃあもうそれを漫画にしてデトックスしてしまおうと考えた次第です。
人によっては不快になる内容ですし、
今後もそんな話が多くなると思います。
ただ、同じような気持ちの人もいるんじゃないでしょうか。
「こんなにも深い悲しみを背負うなら猫なんて飼わなければよかった」
今は本当にそう思っているし、どんなに綺麗事で覆そうとしてもまた同じ思考が巡ります。
言い換えれば猫への懺悔です。私さえ猫を飼おうと思わなければ、この子はもっと幸せで、がんにもならなかったんじゃないか、と。
でもいつか、できるだけ早く「それでも猫と出会えて幸せだった」と心から思いたいのです。
そうなれるかはわかりませんが、今後もここで苦悩や後悔を少しずつ吐露していく予定です。
また、同じ境遇の方やこれから猫を飼おうとしている方の参考になれたらと思います。
猫の闘病はこれからも続きます。
もしもこの記事がお気に召しましたら、noteやツイッターからご支援いただけますと幸いです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?