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「告知」で失敗しないための心構え


告知は、テレビや映画ではドラマチックな盛り上がりの一場面となる。実際、私の人生においても転機となったし、それは全ての人にとっても人生の一大イベントと言えるだろう。その後の人生が大きく変わる分岐点という点では、進学や就職の結果発表に似ていなくもない。だが、がんという病名が告知を特殊なものにしている。不治の病。死の匂い。がんで亡くなった友人、親戚、そして著名人。私たちの脳裏に彼らの横顔が過ぎる。

このドラマチックなイベントを、私たちはどのように迎えればいいのだろうか?


告知の朝。私の場合


告知の日、午前9時の診察予約に合わせて、姉が家に迎えに来てくれた。病院に8時台に着くために、姉は6時過ぎに家を出てきてくれている。大変だっただろう。だが、姉はなんでもない顔をして私の心配をしてくれる。

私は、朝が早いことを除けば普通の朝を迎えていた。前の晩に、告知のことを考えることもなかった。緊張もしていなかった。人生の一大イベントであることを忘れていたわけではない。
ただ、私の視線はもう告知のその先に進んでいたのだ。

前にも書いたが、がん検診の結果で2人の画像診断医が「悪性腫瘍」と判定をしていた。あれを見た時のショックは大きかった。乳がんでまちがいないだろう。私自身、そう思っていた。だから

もしかしたら、がんじゃないかも…。

なんて希望的なことは、もう考えていなかった。だから、今日の診察は告知というよりは、すでにその先の治療に焦点が当たっていた。

「いよいよ命懸けの戦いに望む」。

その方が、その日の私に相応しい心持ちだった。
とはいえ、確定診断なくしては治療も始まらない。そういう意味では、今日が重要な転機であるという意味では同じだった。


いよいよ本番


告知はごく普通に診察室で始まった。初診の時同様、医師の後ろに看護師さんが1人、控えている。
まずは姉ののりりんの紹介から。それから、主治医は画像や針生検の結果のプリントなどを私に見せながら、何事もない普通の口調で説明をしていった。

一番最初に、悪性腫瘍で間違いないこと。それに加えて遺伝子検査の結果、遺伝性のものではないことを教えてくれた。
この言葉には、私はほっと安心した。のりりんの乳がんリスクが特別高くないことがわかったからだ。

それからも話は続いていく。医師の話は当たり前だが専門用語が多く、とても覚えられない。そう思った私は、姉に「メモとってくれる?」とお願いした。すると主治医が「大丈夫。このパンフレットにわかりやすく書いてありますし、後でお渡ししますから」と言ってくれた。

私も姉も、医師の話に必死でついていく。
リンパの腫れも恐らくは転移と考えられます。確定は、リンパ節をとらないと分かりませんが。腫瘍のサイズとリンパ節への転移から、ステージ2b。

「ギリギリ早期発見に入ります」。
「よかったあ」。本当にそう思った。リンパ節転移の可能性があることがわかった時、すでに全身のあちこちに転移していて、本当に死ぬかもしれないと思った。その時は本当に恐怖を感じた。

「うにさんの場合、ホルモンを餌に大きくなるタイプのがん細胞で、成長スピードも早い…。サブタイプというのがあるのですが、このルミナルbに該当します」。

細胞を検査すると、そんなことまでわかるんだ。

今の医学に感動しつつも、頭の上を通り過ぎていく見ず知らずの言葉に四苦八苦。集中していないわけではないが、説明の途中で、もう1人看護師さんが増えたのを覚えている。

それから、乳がんについてのレクチャー。乳がんというのは、1センチのサイズになるのに10年かかる。そのあとは倍、倍と大きくなっていくんだけれど。そして、1センチくらいの小さながんでも、乳がんの場合は小さながん細胞が血液に乗って全身を回っていると考えられています。

ドラマと違って告知は淡々と進み、そしてあっけなく終わった。



告知はほんの始まりに過ぎない


告知が終わると、はあ〜。息を吐き出した。ステージは2bでサブタイプはルミナルb。リンパ節への転移は疑いのまま。一度、頭を整理したいところだが告知は治療の話に行き着く暇もなく流れていった。

「来週から抗がん剤治療を始めましょう。まず、抗がん剤でがんを小さくしてから手術しましょう。全身を回っている目に見えない小さいがん細胞も運が良ければやっつけられますからね」
おお! 素晴らしい。
「はい。お願いします」。

振り返って後ろに座っているのりりんにOKの確認を取ると、私は2つ返事で答えていた。早く治療を始めたいとは思っていたが、まさかこれほどまで早いとは! 驚きつつも、ありがたいと思っていた。
治療までの1週間で、仕事の調整をしよう。断れるものは、断って。事情を話せば恐らくわかってもらえるだろう。同じ迷惑をかけるなら、早い方がいい。父の介護は、ケアマネさんに相談しよう。お金は当面はがん保険でなんとかなる。それから

「あと、抗がん剤治療を始めると髪の毛が抜けるから。治療が始まる前に短くした方が楽かもしれないね」
「わかりました」

美容院の予約も取らなくちゃ。やはりスキンヘッドとお願いするのかな?
他のお客さんがいる時間帯にお願いしていいのだろうか?
抗がん剤といえば脱毛のイメージはあったため、すでに覚悟はできていた。というより、私は坊主頭になることをさほど嫌なこととは思っていないのだろう。
どうせウィッグにするならピンクにしようか? 髪の毛がなくなったら、どんな頭の形をしているのだろうか? 滅多にない非日常体験を、少し楽しみに感じていた。

しかし、話はこれだけでは終わらなかった。さらに検査をしなければならなかった。
「急だけど今週末、空いてる? 検査に行ける?」
「はい。大丈夫です」。
すると、主治医はその場で検査する病院へ電話をかけてくれた。今日が金曜日だから、今週末とは明日か明後日のことだ。
「日曜日に予約が取れたから、ここへ行ってきてください。細かいことは、後から看護師から説明がありますから」。
「はい」。

「それから、これはうちの病院で受けてほしい検査。治療開始までに間に合うのが理想ですが、最悪、間に合わなくても大丈夫。緊急で入れてもらうけど、いつなら来られる? いつでも来ます。 じゃあ、この日。ギリギリ治療に間に合うね。よかった」。
医師は隙間の隙間を探り当てるように、検査予約を入れてくれた。

「それから、仕事は辞めないで、続けてね。今は治療しながら仕事も続けられるからね。乳がんは傷病手当でないからね」

はいと答えたが、これはちょっと驚きの言葉だった。そうか、仕事をしながら治療するんだ。頭の中で、テレビで見た抗がん剤治療の患者の姿が浮かぶ。頭髪が抜けて、吐いて、痩せて青い顔をして。あの状態で? 不安が渦巻くが、だが私はそもそも会社に勤めてはいない。関係ないといえば関係ない世界の話にも聞こえた。

今後の治療方針は、抗がん剤治療を4クール、別の抗がん剤治療を4クール。その後、手術。というものだった。最初の4クールは2週間おき。次の4クールは3週間おき。好中球の値によっては1週ずれる可能性があるため、そのつもりで予定を立てておくこと。

診察室から無事に解放された。待合室の椅子に座ると、私は手帳を開いた。
数週間おきの4クールは長いように感じたが、手帳で数えていくと最短5ヶ月程度。その後に手術が控えていると思うと短いようにも感じた。生まれて初めての手術は、痛いと怖いがぎゅっと固まったような言葉だった。だが、手術が終われば治療は終わる。元通りの生活が戻る。
後に勘違いだと分かるが、当時の私はそう思っていた。



告知で頭真っ白にならないために


告知の日は、実に盛り沢山な診察だった。情報量も多く、しかも聞いたことのない言葉が次から次へと出てくる。さらに、決めなければならないことも山のようにある。治療の方針、日程。治療で影響の出る生活のこと。しかも、悠長に悩んでいる時間もない。

告知に成功とか失敗とかはないかもしれないが、あえていうなら私の告知は成功だったと言っていい。私も姉ののりりんも冷静に話を聞けたし、治療方針は納得できたし、スケジュールも希望通りに進めることができている。

告知を成功させたのは、私がすでに「がんだろう」と受け入れていたことにあると思う。がんだろうか、がんじゃなければいい。この段階で思考がいっぱいになっていたら、「がんです」と言われた時に、その事実にばかり囚われてしまっていたかもしれない。そうしたら、次の治療のこととか、洪水のような専門用語とかは聞こえなかったかもしれない。
私は、治療の話をしにきていた。すでにがんだろうことを想定して。
だから、がんと告知されても想定内で、その先の治療の話をメインに進められたのだと思う。

もちろん告知を受ける人が皆、私のように画像診断医からの判定を受けているわけではないだろう。だが、告知の日はつまりは治療方針を決める日でもあることを忘れてはならない。
だから「がんか、否か」から思考を解放した方がいい。がんでないことを願いながら、頭ではがんだった場合の治療をどうするか? 仕事や生活をどうするか? など、医師と相談できるように準備をしておいた方がいい。できるなら、メモなどに箇条書きにして持っていくのもいい。

告知は誰にとっても人生の一大イベントだ。しっかり乗り切るための準備をしておこう。
あなたの人生の続きを生きるために。

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