想いの記録

いま、2020年半ば過ぎて、今年はなんでこんなにも試練の年なのだろうか、個人的であることよりも世界的に、世界共通的に、様々なニュースの共有により、生きてくことの正にサバイバル時代だ。生きてくうえで必要なのか越えなければならない苦難なのか、それもわからない。どれだけの人が毎時毎分毎秒、願って祈っているのだろう。ものすごく沢山の神さまが地球体に犇めいて為す術なく茫然としているんじゃないかと思うくらいに、なにか良くなったことあったかな。

実際に我が身に起こる出来事ではなくても、世界同時進行に起きるモノゴトによって心身に受ける衝撃は多大だ。誰もが生き続けてゆくことのハンドルを必死に掴んでいるようでもあり、瞬間離してしまうような危うさもある。そして、コロナウイルスはウイルスとゆう目に見えない小ささで多くの人々に様々に影響を与えていると強く思う。ウイルスの所為にできることだってあるはずだ。

人の死に向き合うことも、親しいとか関係なく身近に感じられる、人の死ってこれでいいのか…と考えさせられることも多い、世界で共通に人の死にまつわる出来事が起こる。遠くても近くても想像せずにいられない人の死がある。それでも世界同時進行、時の進みは見えずとも進んでるのは確かなようで。この時代を生きてく中で、誰かが封じた誰かの封じられた時を、失くしたこれからを、どのように希望に変えるべきでしょうか。

自分は40代の道まで進めてきた、途中。我が身を我が身で止めないでいたならば、いったいどこまで進みどんな最後なのか、最期はわたしがワタシであることを誰かが気づいてくれる最後なのだろうか。人の死に関しては、生きた時間の中でも歴史的にも、これまでだってどれだけ受け入れて受け止めて時が経ったかしれない。それでも、死の衝撃って痛いものですね。

感染症で亡くなる方の扱いとゆうか、その最期を知り、頭がぐわんぐわんしたし、世界ではもっともっと多くの方がきちんとした対処もされず積まれていたりして。そんな最期あるかよ!なんだよ!って考えさせられるし。なんて呆気ないんだろうか。そして、海外での黒人の方の死にふれ、そのあとも悲しい事件が絶えない、ニュースは追いきれないほど。人々が死を目の当たりにしている事実。大きく解りやすく過去のような戦争なんて起きてはいないけど、世界同時多発的に各地で起きている、いま。

こんなときだから、休息は勿論、心のケアも重要なのだと思います。日々のニュース、正しいかもわからない数字報道、何が正解かわからないような手探りで気を付けながら日々をおくっている方もいるだろうし、STAY HOME 身体は動いてなくても心のバランスは、むしろ保たれるどころか波打って、いつもならリセットできたこともできなかったりするかもしれない。医療従事者にも、表現者にも、スポーツ選手にも、経営者にも、個人にも、、メンタルケアが重要なのではないかと思うし、専門的なカウンセリングを受けるとか、心の調子を整える機会が必要なのではないかと。過去の日本のイメージだと宗教っぽいとか洗脳とか言われちゃうこともあっただろうけど、そんなイメージ作られちゃって遠ざけてしまうかもしれないけど。でも、海外では定期的なカウンセリングとか、信頼できる専門家とか、同じような悩みをもった人達がサークルになって告白する集まりなんかもありますね。アベンジャーズにだってそんなシーンが出てきたよ。ヒーローにも心のケアは重要だ!って認識が身近にあるのだと感じました。

一番最近知ってなるほど!って思ったのはブラッド・ピットさんの記事でした。アド・アストラで来日した時の彼のお顔がなんとも優しくて大きくてユーモアもあってサービス精神も豊富で、いままでの印象とも違ったので心境に変化でもあったのかなぁと感じた。それで、アルコール依存症から自分を取り戻したことを知って、海外ではたびたび、薬物依存症、アルコール依存症、不慮の事故、明らかにならない死の知らせに驚かされ悲しい思いもしてきたけれど、ブラッド・ピットさんは克服して今があるのだと知り本当に良かった。彼がそうして今があることを隠さずに明かすことで、周囲や多くの人々に希望も与えていると思います。

わたしは予てから表現者が好きで、表現が好きで、興味深くて。ヒトから発せられる、その人体の大きさ以上にあふれ出る可能性を感じられるところ。キラキラも、ぐちゅぐちゅも、自らの身体を最大限使って、我が身の時間を表現することに充てていて、苦悩も鍛錬も華やかさも美しさも、様々な表現方法で、そうした時間の蓄積を多くの人にも見せることができて、多くの人を魅了し、様々な景色を人の感情を、教えてくれる。そして大体の表現者が人々にナニモノか希望を与えている、それにも関わらず感謝を示すこともできる、頂いているモノを彼らは返そうとする。凄い人種だなと尊敬しています。

今年は多くのスケジュールが潰れて多くの人々が動きを止められました。今も今後も騙し騙しスケジュールをこなすような、慎重に大切に周囲を労りながら、ヒトと接する必要があります。そうしたなかで、沢山の表現者が試行錯誤しながら人々に寄り添う形で、解りやすいテレビ時間軸から飛び出して様々に発信すること!をしてくれました。ファンの方も多すぎて見きれない追いきれない、情報すら知らないってことも沢山あったと思います。やっぱり表現者は、対相手がいて相手を感じて我が身に返ってくるナニモノかを得て存在し、蓄えては鍛錬して創造する発する力にする。対相手あってこその輝きなのかなとも思います。

今、集まることが普通の日々からバラバラに離れてしまう日々へ、会いたくても会えない、予定も中止になるかもしれない、再開されても探り探り、以前とは違う選択だったり配慮が必要だったり、高度な新たな能力が求められるような現場かもしれません、周りの方やお仲間とも共有しながらこの同時代をどう進むべきかどう在るべきか、大変だと思います。ほどよく休息して時には専門家の助けも借りて、出来ていたことが出来なくなっても、今までとは違った流れでもいいのだ、この機に変化してゆくこともいいのだ、このサバイバル期を進むことは、世界の問題でもあり、今後の人類の問題でもあって、人類の進歩に関わる。この同時代、人々が手を携えて探って挑んで希望をもって。。。

これからも表現者の幸せを願っています。
我が身の時間を表現することにかけている方々の、思いのまんま、可能性の限り、その可能性もぶち破るほどの魅力でぐーんと先まで奥までのびしろいっぱいに、人々を導いてくれるような、そんな皆様が、その姿で命を全うできるよう、願って祈って、これからを見守る思いです。同じ世界にいます。

個人個人の感覚は世界人口分の多様さもあり、なにかしら理解がハマったりハマらなかったりもあるだろうけど、それでもどこかの誰かへ届いたり繋がったりして少しでも安堵や励みや希望にもなればいいなと思うし、思うままに発してみることを諦めないぞ!って思ってる。

抜苦与楽
人々へ、心の豊かさを

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