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#59.雑談 何のために勉強するの?

皆さん、こんにちは。トビタです。

塾講師TLを覗いていると、どこからかお題が降ってくるのでいいですね。最近は勉強の意義なるものについてツイートしてる人がいました。

「何のために勉強するの?」

生徒からこの質問をされること自体、実はそう多くないです。小中学生であれば、明日何して遊ぶかとか今日の晩御飯は何かとか考えることのほうが有意義()

私の本音としては、勉強する意味は特にないと思っています。というより、何のために勉強するかなんてどうでもよくて、学問は学問であることに価値があるのだと思う。要は本人自身が学問そのものの価値に共鳴できるかが重要。共鳴というのは何も難しいことではなく、楽しいとか興味があるとかそういう感情だと思ってもらって構わない。

一般ピーポーの私ですらそう思うわけだが、勉強という枠を越えて日々研究している学者さんたちはどう答えるんだろう。「あなたは何のためにその研究をしているんですか?」もちろん「社会全体にこれこれこうこう役立つからです!」と答える人もいるだろうが、最初からそう思っていた人なんて少ないんじゃないかなと。もとを辿っていけば、結局は「楽しいから」とか「興味があるから」に行き着くんじゃないのかなと思うわけです。

そう考えてみると、勉強するのって特別なことじゃないですよね。先の質問と同等のものをプロ野球選手やプロ棋士にぶつけてみても同じだと思う。「観ている人を元気にしたいから」「後世に残る名局を作りたいから」の前に「楽しいから」とか「好きだから」がくるんじゃないかな。

またどうしてこういった質問が生まれるのかも考えてみた。おそらく「こんなの勉強して何になるんだろう」という気持ちの裏返し。そこにはこんな考え方が見え隠れする。

「(9年間も義務教育はあるんだし)学校で学ぶことは何かに役立つべきだ」

大人になって思うが、学校の勉強が直接的かつ自動的に何かに役立ったと感じる場面は少ない(私がそう感じているだけで、本当は役立っているのかもしれないが)

どちらかと言えば、こちらが能動的になったときに初めて勉強で得た知識は役立ったと実感できるのだと思う。

前回書いた記事の内容なんかはまさにそう↓

↑の記事で書いた「この瞬間は何にも変えがたい喜びがある」という感情。これは私にとってとても大切です。個人的には、こういった感情を得られるのであれば、それは勉強が大いに役立ったと言っていいと思っている。嬉しいし心地いいんだもの。

とりとめもない話なので、今日はこの辺で。
次回、勉強しておいたことで(知識のおかげで)、楽しみや喜びが増えたという身近な経験を1つ紹介しますね。

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

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いつもお読みいただきありがとうございます。教育者の端くれとして、自分が持っているものを他の人に伝承していきたいと思っています。今後とも宜しくお願い致します。