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機動戦士ガンダム 全話レビュー第20話「死闘!ホワイト・ベース」

あらすじ

 グフを追ってきたアムロの参戦もあって、何とかランバ・ラルの特攻をしのいだWBは、傷ついたままオデッサデーの日を待っていた。WBに戻ったアムロは独房に入れられたまま、まだ改心する様子も見せずにふてくされていた。一方、アムロの独房入りを「ブライトがまだアムロに期待している」と見た他のクルーは、これがおもしろくなく、ついにハヤト、カイ、ハワド、マクシミリアンの4人が勝手にWBを降りてしまう。

脚本/山本優 演出/藤原良二 絵コンテ/斧谷稔 作画監督/富沢和雄

コメント

「ぼくは、あの人に、勝ちたい」

 前話で、ひとりの少年として出会ったランバ・ラルと自分との間にある、圧倒的な力の差を目の当たりにしたアムロが、独房でひとり、振り絞るようにつぶやいたこの言葉。今回の戦いで、「あの人に」「勝つ」という意味が、アムロの中で劇的に変わっていく。アムロがこのとき、戦士として成長したのかどうかはわからない。だが少なくとも、彼にとって戦いが「自分を認めさせるゲーム」でなくなったことは確かだ。

「オデッサ・デー発動まで動くな」。暗号により下された指令により、ホワイトベースはしばしの休息を取っていた。だがブライトは、ランバ・ラルの部隊が再び攻撃を仕掛けてくるのではないかと恐れてた。
 同じことを、独房に入れられているアムロも、食事を下げにきたリュウとフラウ・ボゥに対して主張していた。ザクやグフがなければ、なおさらあの人は攻めてくる、というのだ。その物言いには、ランバ・ラルという男を僕は知っているんだ、という上から目線が感じられて面白い。しかし「おまえはどうする?」と尋ねられると、アムロは「ホワイトベースを降りてもいいと思っています、どうせみんな気まずくなったんだし」と他人事である。本心は「あの人に勝ちたい」なのだから、その場にいてランバ・ラルを迎え撃ちたいに違いない。いかにも思春期の少年らしい強がりである。

しばしの休息、ブリッジで繕い物をするミライ、
体を休めつつも不安を口にするブライト
独房のアムロは、いまだ感情をこじらせたままである。

 このときリュウは「いつか、マチルダさんがお前のことを、エスパーかもしれない、と言ったのが、俺はいかにもお前のことらしいと思っていたんだ」とマチルダ中尉の言葉(第9話「翔べ!ガンダム」でのエピソード)を引き合いに出して、アムロを説得しようとするのだが、「エスパー」という表現にフォーカスしておきたい。エスパーとはテレパシーなどの超能力を持つ者であることは言うまでもないが、かなり唐突に出てくるこのSF用語は、のちのち「ニュータイプ」と表現されて、「モビルスーツ」とともに、ガンダムシリーズの根幹をなす概念となってゆくのだが、当時アニメ雑誌に紹介されていた脚本家らの話によれば、訓練もせずガンダムを乗りこなし連戦連勝、というアムロのあり方がリアリティに欠ける、というので、そうしたアムロの特殊能力?を「あり得ること」として説明するために付加された設定、ということだった、と私は記憶している。それが終盤「ニュータイプ」という概念でテーマ的に扱われるようになり、富野監督と四人の脚本家の間で、その設定や描写に関してかなりの齟齬が生まれたようである。
 少なくとも、20話のこの時点では、まだ「ニュータイプ」という概念は世界観の中に織り込まれてはいなかったのである。

 一方、独房に入れられたアムロに対して「気まずくなった」面々も自己主張を始めていた。ブリッジを訪れたハヤトとカイは、ブライトがいまだアムロを「あてにしている」様子が面白くなく、ハワド、マクシミリアンとともにホワイトベースから出て行ってしまう。彼らを追ってきたリュウに対し「僕にはホワイトベースで戦う意味がなくなったんですよ」とハヤトはその思いを吐露するが、要するに、自分たちだって必死で戦って戦果を上げているはずなのに、アムロのようには頼りにもされず、認められてもいないという劣等感がそうさせるのだろう。
 戦い止んで心がバラバラになったホワイトベースの少年たちを、しかし再び一つに結びつけていくのも戦い、そして「あの人」であった。

ホワイトベースを脱走したカイ、ハヤト、ハワド、マクシミリアン。
リュウに後を追わせたブライトだったが、ミライが「私たちそんなに
アムロを身びいきにしていたかしら?」と問いかけると、
アムロがいなかったときの指揮官として不安だったことを告白した。
リュウの説得に対し「ホワイトベースにいる意味が
なくなった」とハヤトは脱走のワケを話す。
ドム3機を回してもらえる、と喜ぶランバ・ラルだったが、
マ・クベ大佐は、彼が中央アジアの鉱山基地について知りすぎたと感じ、
結局、約束を反故にしてしまう。

「あの人」ランバ・ラルの部隊は、先のホワイトベースへの攻撃でグフとザク各1機を失っていたが、マ・クベから陸上タイプのモビルスーツ、ドム3機を融通してもらえることになり、士気が上がっていた。しかしマ・クベはその約束を反故にしてしまう。キシリア少将こそジオンの支配者になるべき、と考える彼にとって、ドズル中将の指揮下にあるランバ・ラルは目障りな存在になっていたのだ。
 約束の時間に30分遅れてやってきたマ・クベ大佐の伝令は、ドムが中央アジアで補給線が断たれたために届かないことを伝えると、ランバ・ラルは「たとえ素手でも任務はやり遂げてみせると、マ・クベ殿にはお伝えください」と返した。

 アムロ脱走の一件で士気はだだ下がり、ガンダムは戻ってきても戦う気力はまったくないホワイトベースの面々と、約束のドムが届かないとわかっても、「それなら本来のゲリラ屋の戦いをする」と意気軒昂なランバ・ラル隊との対比が面白い。実は、ハヤトら4人が脱走したことを独房にいて知らないアムロは、「あの人が来る」と感じて食事をとり、シャドウボクシングをするなどやる気満々なのだが、ランバ・ラルがやる気を出せば、部下の兵士らも団結するのとは反対に、アムロはいくらやる気を出しても周りにはまったく伝わらない。これまでの独断専行で信頼を失ったこともあり、アムロの「やる気」を見ても、今のところは嫌な予感しかない、というところである。

 この熟練の古参部隊ランバ・ラル隊と、未熟な少年兵の寄せ集めのホワイトベース隊との対比というのは、この物語全体の中で何を表現しようとしているのだろうか。そんなことを、のちに考察してみたい。注目すべきは、「にもかかわらず」ホワイトベース隊が勝つ、という点にある。性能の差で勝った、と思われているガンダムが戦力にならない戦いであっても、である。

 脱走した4人はリュウの説得にも耳を貸そうとしなかったが、そのときカイが、遠方を疾走するギャロップの走行音を聞き、ランバ・ラル隊がいよいよ動き出したことを察知する。戻るか戻らないかは、お前たちの良心に聞くんだな。そう言い残して去っていくリュウ。そのときカイは、身をすくめていう。

「いやに冷え込むじゃないか」

 同じ頃、ランバ・ラルはホワイトベースに向かうキュイの上でこうつぶやく。

「この風、この肌触りこそ戦争よ」

 しかし、ランバ・ラルはそのとき、まだ知らなかったのだ、この戦争を戦っている相手が「この肌触り」を感じ取るほどの手練れではないことを。

キュイで後方からホワイトベースへ接近するランバ・ラル。
ギャロップで指揮をとるハモンは「あの少年」のことを思い浮かべていた。
正面からくるギャロップにホワイトベースは主砲で応戦するが…。
独房から出され、機銃に回されたアムロは
ガンダムで出撃したセイラを支援。彼女がザクを撃墜すると、
やった、と喜びの声をあげた。

 ホワイトベースは、ランバ・ラルの目論見通り、正面に出てきた囮のギャロップとザク1機に引き寄せられるように戦闘状態に入る。その隙に背後からキュイで近づいて白兵戦に持ち込む、というのが彼らの作戦だった。ガンダムにはセイラが搭乗し、ザクをホワイトベースから引き離す。ブライトはアムロを独房から出し、左の機銃を担当させた。それに素直に従ったアムロは、ザクに苦戦するセイラに「もっと下がって狙うんです、後ろにジャンプです」と指示を与えつつ後方から支援する。そして見事、セイラがザクを撃破すると、やった、セイラさん、とアムロも喜ぶ。ガンダムから下ろしたブライトの教育的効果、というべきだろうか。それ以上に大きいのは、やはり、パイロットとしてでなく「指揮官」として部隊を動かすランバ・ラルの器を見たからであろう。

ランバ・ラル隊はホワイトベースに乗り込んで白兵戦を仕掛けるが、
艦内にいるのはなぜか少年少女や子供ばかり、
それでもランバ・ラルはサブブリッジ占拠を目指すが…

「あの人が来るんだ」

 しかし、モビルスーツを降りた白兵戦での戦いでは、彼らがこれまで経験してこなかった、戦争の現実を見せつけられることになる。「あの人に勝ちたい」と誓ったアムロは、戦いに敗れた者の結末を目の当たりにするのだ。

この一言! 「ランバ・ラル、戦いの中で戦いを忘れた…」


 ホワイトベースに肉弾戦を仕掛けたランバ・ラルは、おそらくホワイトベースを乗っ取るつもりだったのだろう。彼の経歴は不明だが、自身を「ゲリラ屋」と言っているところから、この一年戦争の開戦当初、ジオン軍が地球上へ降下したときはそのような戦いをしていたのかもしれない。連邦軍はモビルスーツを保有しておらず、ミノフスキー粒子によりレーダーや通信網が無効化された中で、よく統制の取れた神出鬼没の部隊に翻弄され、そして降伏したに違いない。本作のストーリーが始まった時点で、ジオン公国軍は全大陸の約半分の面積を占領しているが、それは、ランバ・ラル隊のような陸戦部隊の活躍があったからともいえる。
 ただ、ランバ・ラルが「この風、この肌触りこそ戦争よ」と、敵襲へ赴く際に口にしていることから伺えることは、おそらくそこには無残な殺戮はそれほど多くはなく、連邦軍兵士とのルールに則った戦闘があり、そして敗れた側は全滅の憂き目に遭ったというよりは、降伏したのだろうと想像する。  だからこそ、彼はホワイトベースに肉弾戦を仕掛け、艦内に乗り込んでブリッジを占領すれば、ホワイトベースの乗組員は降伏すると踏んだのだろう。しかし、それは相手が彼らと同様の職業軍人であった場合だ。

 実際に、ランバ・ラルらは艦内で反撃を始めた連邦軍兵士らの誰も彼もが、年端のいかない少年兵ばかりであることに気づく。そして、悟ったに違いない。もやは少年らが前線に出なければならないほど、連邦軍は追い詰められているのだと。ふと第4話で、ルナツー基地に入ったホワイトベースが、結局そのまま素人同然の乗組員のまま、ワッケイン司令に見送られたことを思い出す。このとき司令は「ジオンとの戦いがまだまだ困難を極めるという時、我々は学ぶべき人を次々と失ってゆく。寒い時代だと思わんか?」とつぶやいたが、そのときと同じ寒さを、ランバ・ラルらも感じたかのかもしれない。学ぶべき大人のいない戦艦で、しかし少年らは互角に戦っているのだ。ランバ・ラルらにとって、それは「よりよい生活のための戦い」だった。だが相手にしている少年らにとっては「生き延びるための戦い」なのだ。

 戦士としての経歴や力の差からすれば、本当ならホワイトベース隊はランバ・ラル隊の相手ではなかったはずだ。だが、彼らは相手が、まさか少年たちだとは思っていなかった。そこで目の当たりにした連邦軍の現実に「寒さ」を感じたとき、ランバ・ラルはある種の罪悪感を覚えたのではないだろうか。

サブブリッジに飛び込もうとする、そのときランバ・ラルは
そこにいるはずのない人物に出会い、
思わず「姫…」と呼びかけてしまう。

 もちろん、この言葉にはそれ以上の意味がある。ホワイトベースのサブブリッジ付近の攻防で、ランバ・ラルはセイラと偶然顔を合わせた。そして彼女を「姫」と呼んだ。彼女こそ、ジオン公国の「祖」ともいうべきジオン・ダイクンの娘だったのだ。その名を冠した国、ジオンの娘が敵側となり、銃口を向け合っている。そのとき、彼の中で戦いの大義名分というべき正義が、吹き飛んでしまったのではなか、と思う。それが「戦いの中で戦いを忘れた」という言葉になって口から出た、ということではないだろうか。

 では、老練な職業軍人からなるランバ・ラル隊と、未熟な少年兵の寄せ集めのホワイトベース隊との対比というは、この物語全体の中で何を表現しようとしているのだろうか、という問いについて考えよう。もう少し大きく見ると、戦争に長けた独裁国家のジオン軍と、絶対民主主義を掲げながらも未熟な若い人材に頼らねばならない連邦軍の対比、ということができる。
 ここで思い起こすのは、やはり「宇宙戦艦ヤマト」である。地球滅亡の危機にあって、第二次世界大戦時に悲劇的な運命をたどった戦艦大和を復活させ、なぜか日本人だけで宇宙からの侵略者に立ち向かう、というあのストーリーは「日本人にとっての第二次世界大戦のやり直し」と言われた。そのような視点から見てみると、ジオン軍はかつてのナチスドイツのようでもあり、大日本帝国のようでもある。では、アムロらの属する連邦軍は、連合軍なのだろうか、あるいはアメリカなのだろうか? そんな単純な構図ではないだろう。というのは、地球連邦という国家もまた、官僚的で縦割り主義的な生きづらそうな空気が漂っているかに見え、その雰囲気が妙に身近なものに感じるからである。
 私はそんなところから、本作は「戦前の日本」と「戦後の日本」とが戦う、そんな象徴的な意味が、彼らの対比の中に表現されていると思っている。

 「戦いの中で戦いを忘れた」ランバ・ラルは、こう言い残して壮烈な最期を迎える。

 「君たちは立派に戦ってきた。だが、兵士のさだめがどういうものか、よく見ておくのだな」

 自爆して果てるという、その最期は戦前の古い日本が滅びていく様、そのものであった。

今回の戦場と戦闘記録

<今回の戦場> 
カスピ海西岸・コーカサス地方(現在のアゼルバイジャン周辺)
※ガンダムTV放映時はソ連領
<戦闘記録>
■地球連邦軍:二手に分かれたランバ・ラル隊、前方からギャロップ・ザクを迎え撃つが、後方から歩兵部隊がホワイトベースに突入、艦内で白兵戦となり、リュウを含む多数の負傷者を出すが辛くも勝利する。
■ジオン公国軍:ランバ・ラル隊はマ・クベ大佐からモビルスーツの供与を受けられず作戦を変更。ギャロップ・ザクを囮にホワイトベースの乗っ取りを企てるが、少年兵らの反攻に遭い敗退。ランバ・ラル大尉は自爆して果てる。

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