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『ずうのめ人形』感想(盛大にネタバレします)

 オカルト雑誌の編集部でバイトをしている藤間は、突然連絡が取れなくなったライター、湯水の様子を見るため、彼のアパートを訪ねる。そこで目にしたのは目をえぐり取られた湯水の死体と、不自然な焦げ跡の残る原稿用紙だった。なんやかんやあって原稿を読むことになるが、その内容は呪いの小説で……というストーリー。

 最初から最後まで怖かった。種類の違うおぞましさが次々に襲ってくる。
テーマとして大きいのは「家族」だろう。家族偏重の社会で、生きづらさを抱える人たち。呪いの小説の主人公の里穂もそうだし、藤間自身も家族にはいい思い出がない。
 子どもは無力だ。大人に守られなければ生きていけない。父親が屑でも、母親が愚かでも、子どもにはどうすることもできない。両親や無理解な大人に苦しめられる里穂に、藤間は強く感情移入する。藤間に引っ張られるように、私も感情移入する。
 結果として里穂も大概クズだったわけだが、私はどうしても里穂のことを責める気になれない。

 里穂は作中で二度も「どうしようもないヤツ」だと言われている。里穂は、大人に振り回されたという意味では被害者だが、同時に自分より弱いものに苛烈な暴力をふるう加害者でもあったからだ。
 たしかに里穂のしたことは恐ろしくて悍ましい。けれど、もしも里穂の環境が違っていたら――と思いを馳せずにはいられない。

 酷いことをされた人間は、他人にも酷いことをしてしまう(全ての人間がそうではないが)。誰かにサンドバッグにされた人は、自分も誰かをサンドバッグにする権利があると思ってしまう。そうじゃないと計算が合わないからだ。
 あの人は私に鬱憤をぶつけてすっきりした。じゃあ、私の鬱憤は誰が受け止めてくれるの?
 そういう気持ちがよぎったことは、私にもある。行動に移したことはないけれど。たぶん……。もしも里穂のように記憶から抹消していたら、自覚できない。だから「絶対にない」とは言えない。この小説は、読者に「自分も覚えていないだけで加害者かもしれない」という疑念を植え付けてくる。そういう意味でも恐ろしい。
 自分は里穂ほどひどい人間じゃないと思っているから、こうして悠長に感想を書いていられる。でも、もしひどい人間だったらどうしよう? どうしようもない。

「どうしようもないヤツ」
 里穂がそう言われるたびに、私も少し傷つく。だから、藤間が里穂に感情移入してくれて、少し救われた。凄いバランス感覚だと思う。同情を誘いつつ突き放してもいる。絶妙な距離感だった。

 ラストの展開には、胸が痛くなった。野崎と真琴は助かった。藤間も助かった。けれど、藤間にとって大切な存在だった戸波は死んでしまった。
「僕以外には誰かがいるのに、僕だけが独り」だと藤間は言う。
 思えば、死んでいった人たちにも、それぞれ大切な人がいた。岩田には両親が、戸波には湯水が(あと、亜紀も)。けれど、みんな呪いによって死んでいる。「余り」になった人間はいないわけだ。呪いは見事に藤間だけを取り残した。
 藤間の孤独を思うと、胸が苦しくなる。モニターの前で独り、空想にふける藤間。ずうのめ人形の呪いをネットに書き込み、広がり、みるみるうちに世界を飲み込んでいく――そういう空想だ。
 藤間の孤独に寄り添えるのは、呪いだけなのだろうか。やるせないラストだった。

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