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世間知らずと言われがちな職業について

インターネット上で、特定の職業に就く人々を「世間知らず」「社会を知らない」と批判する書き込みを見かけることがある。

投稿者が自ら批判していることもあれば、「教員や医療従事者は世間知らずだというけど実際どうなのか」と話に上ることもある。

このような書き込みの中には、実際にその職業に就く人と接したときに、相手の礼儀や振る舞いに戸惑ったり、何かしらの不快な思いをした経験に基づくものもあるかもしれない。

一人の経験をその職業全体に広げるのはよくないにせよ、実際の経験に基づいて「そう思うようになった理由」が存在することもあるだろう。

そういった理由もなく、漠然としたイメージで「世間知らず」「社会を知らない」と言われることがあるように思う。

そもそも「世間」や「社会」とはなにを指すのか、皆が知らないといけないものか、と反論……考えることがあり、頭の整理を兼ねてここに書き記す。


そもそも「世間」とは何を指すのか

特定の職業を「世間知らず」と批判するとき、医療、教育、福祉、国防、行政サービスなどが挙がりやすいように思う。それに比べて、民間企業のオフィスで働いたり、営業の電話をかけたり商談に赴いたりする人は「世間知らず」とは言われにくい。

世間・社会 ≒ ビジネス
ビジネス的な視点や振る舞いを持つことが「社会を知る」こと

「世間知らず」と言われる仕事のなかにも、激務や心身の負担が問題視されてマスメディアで報じられるものがあり、世間知らずイコール楽、でもなさそうだ。もちろん、ビジネスに関わる仕事にも厳しいものはあるだろう。

世間知らずだと批判する側にとっては、忙しさや労働環境の厳しさよりも、商業や経営に深く関わっているかどうかが問題なのかもしれない。

「世間を知っている」とされる仕事は、現代の市場や商業に深く関わっている、効率的にモノやサービスを生み出し、広告を出し、トレンドを把握し、他と競いながら自分のモノやサービスを消費者に届けて、お金をもらう。

一方、「世間知らず」と言われる仕事は、ビジネス的な視点や利益追求をさほど重視していない。お金がなくなったらそりゃ困るけれど、利益を出すことが主目的ではない。

お金の流れに手を浸す

こうして見ると、お金の循環のなかに自分の手を浸して触れることを「世間を知る」と称するのかもしれない。

医療や教育、福祉、国防、行政サービス。これらの職種がビジネスの文脈で語られることから、そこで働く人々が世間を知らないという批判が出てくるんじゃないか。

確かに、ビジネスはいろいろな分野と重なり合って存在するから、ビジネスの視点から社会の多くの側面を理解できる、と感じるのかもしれない。例えば、病院や学校を運営するにも、経営や財務管理、マーケティングなど、ビジネス的な要素が入っている。

しかし、商業や経営だけが「社会」ではないとも思う。

現代のビジネス、市場や商業に深く関わるものを「社会」と呼んで、そこから離れた分野を「世間知らず」と揶揄していては、見落とすものが多いように感じるのだ。深く関わる人とそうでない人がいて、それらが合わさって社会が回っている。

自分たちはお金が巡る世界で日々生きているけれど、それぞれの職業がどこまでその流れに関わるかは異なっていて、全ての人が流れに深く関わるわけではない。

水に例えれば、「水は大切で生存に欠かせないこと」と「皆が水に触れながら働くわけじゃないこと」は両立できる。商業や経営も同じだろう。

そんなことを投稿して今日は寝る。

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