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(エッセイ) 忘れてしまうことは

 忘れることは、恐怖と希望が手を取り合っている。
 忘れてしまうのだ。最近頓に多い。毎日何かしらの小さなことを忘れている。
 出かけるときに持ち物を3つ4つ忘れ、何かをやりかけのまま忘れ、職場に物を忘れて帰る。家に帰れば、鍋に火をかけたことをしばし忘れてしまう。
 私の中から、今この瞬間がかけらとなってぽろぽろとこぼれ落ちている。
 今はまだ、事なきを得ているがいつ大事なかけらを落としてしまうかわからない。
 忘れていたことに気づくたびに、やってしまったというささやかな絶望を味わうのだ。自分の何が変わってしまったのだろう。こんなはずでは……。
 歳を取るとはこういうことなのだろうか。それとも、私の中の記憶の網が突然ほころんでしまったのだろうか。
 ささやかな絶望を味わったはずなのに、その絶望すら数分後にはこぼれ落ちて私の中から消えている。
 その事に気づき、心臓の裏側が騒つく。
 まだ、私のほかに困っていない。だが、いつまで人に迷惑をかけずにいられるだろう。一時的なものだとしても、今後ずっと付きまとうものだとしても、できれば人に迷惑をかけたくはない。
 ひたひたと霧雨のように恐怖が私を包み込む。どうすればいいのだろうと悩むほど、暗い色をした霧雨が私の心臓をゆっくりと締め付ける。息が苦しい。
 どうすれば、その言葉が呪詛のように頭を駆け巡り、私の思考を奪おうとしていた時、スマートフォンの通知が鳴った。
 バイブレーションの鈍い振動音が、呪詛を断ち切る。私がnoteを始めるきっかけを与えてくれた人の、YouTubeのライブ配信の通知だった。
 暗い霧雨の中にいた私は、光を求めるように配信画面を開いた。
 いつもの笑顔と笑い声が画面に映る。それを見ただけで、暗い雨が止んだ。心地よいゲームの音とともにリスナーと楽しそうに会話をする配信者の姿に、締め付けられて縮こまっていた私の心は一気に解れた。穏やかな陽光の中に出られたような気分。
 普段はコメントはしないのだが、解きほぐされて私は調子に乗ってコメントを書き込む。それを配信者が偶然拾ってくれて、さらに嬉しくなってしまう。
 さっきまで暗い中で呪詛にまみれていたはずなのに、いつの間にかそのことはすっかり忘れていた。
 私の頭は、随分と都合よくできているらしい。
 配信を最後まで見届け、画面を閉じたあとには、私の中にもう呪詛はない。
 忘れてしまうことは悪いことばかりではないだろう、などと先程とは真逆の考えまで浮かんでいる始末。
 忘れてしまうことすら忘れてしまう恐怖を味わっていたはずなのに、今では味わった恐怖は掠れている。明日にはきっとこの恐怖も忘れているのだろう。
 忘れてしまうなら、今この瞬間をちゃんと生きればいい。そんな希望が私の中に湧き上がった。
 

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