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僕はこれからのスポーツ新聞に何を期待すればよいのだろう【3/17 対ドラゴンズ戦●】

信頼というものは長い時間を経て積み重ねていく一方で、崩れ去るときは本当に一瞬なのだなとしみじみ感じている。

阪神タイガースのことではない。それらを取り巻くメディアのことだ。
スポーツニッポン(以下スポニチ)から今朝公開された1本のコラム「内田雅也の追球」。書いた人は報道の現場に長く関わっている名物記者で、本もいくつか出版されている。
だが前日の試合を振り返ったこのコラムを読んで、僕は非常に残念な気持ちになった。
(全文を読みたい人は「スポニチ 内田雅也」で検索してほしい 申し訳ないけどリンクを設置する気にもならない)

ちなみにX(旧ツイッター)の「青味噌」のポストによると、マルティネスは2018年の来日以来、バンテリンドームナゴヤでの公式戦登板141試合で1イニング3安打を浴びたことがないそうだ。

コラムの序盤に出てくる一節だ。
9回に1点を返した攻撃を振り返るにあたって、青味噌のツイッター(X)投稿を情報源として活用しているのが分かる。SNSで野球の情報収集をしている人なら、1度は青味噌の名前を見たことがあるだろう。中日ドラゴンズと海外野球に精通している人のアカウントだ。
だが青味噌はその素性を明かしていない。メディア関係者でも野球解説者でもない。彼の知識の深さとリサーチ能力の高さは素晴らしいが、それでもカテゴリ的には一般人だ。

要するに、このコラムは僕らと同じ一般人のSNS投稿を、自らが伝えたいことの情報源として活用したのだ。情報の信用で売っているスポーツ新聞が、「あそこの詳しい人が言っていたから正しいよね」と判断して、それを紙面に載せたのだ。
果たして、その投稿の信頼度はどれほどあると言い切れるのだろうか。SNSの投稿に、その記事の信頼性を委ねてしまって良いのだろうか。

なんだよ、「浴びたことがないそうだ」って。どうして調べようともしないんだよ。

スポニチに限らず、スポーツ新聞がこれまで読者から信頼されてきたのには2つ理由があると思っている。

1つは、蓄積された過去の膨大なデータだ。
過去に掲載した記事やこれまでの取材で得た情報、これらは全てが貴重な宝の山だ。僕らのような野球好きなら一生見ていられるような数々の記録が、これまで発行されたスポーツ新聞には掲載されている。そしてその記録はアーカイブとして丁寧に保存されているはず。記事に○○年振り○人目の達成!のような文言が載せられるのは、過去の事実をこれでもかと調べ上げられる環境があるからだ。
さらに、プロ野球には日本野球機構が管理するデータベース「NPB・BIS」がある。公式記録員が記録した試合の全てが、このNPB・BISに蓄積されている。僕のような野球ファンがアクセスすることはできないが、マスコミや球団、ほかには野球ゲームの開発会社に提供されている。ここにアクセスすれば過去の記録を調べることができる。

もう1つの理由は厳格なチェック体制だ。
新聞記事は記者が原稿を書き上げた後、書いた記者の上司であるデスクと呼ばれる担当が記事をチェックする。その後、新聞の紙面を組む編集部に記事が送られて、そこでも内容をチェックされる。
記事の確認はこれで終わらない。新聞社には「校閲部」という組織がある。記事の事実関係や日本語を細かくチェックする部署だ。だいぶ前の話だが、石原さとみが主演した校閲ガールというドラマでその存在が広く知れ渡った。
校閲部は送られてきた記事に間違いや怪しいところはないかを1文字1文字チェックしていく。誤字脱字に限らず、「この内容を載せて大丈夫かな?」という観点でも記事を読んでいく。ペーパーレスが進行する今の時代でも、校閲部の人は記事を印刷して1文字ずつ確認しているという。きっとそこまでしないと記事に潜んでいる誤りは見つけられないのだろう。校閲を仕事にしている人の本や毎日新聞がアップしている過去の校閲結果を見たことがあるのだが、どれも「そこまで見ているのか……」と驚かされた。

青味噌をはじめ、ディープな情報をSNSに投稿している人たちを僕は頭から疑うつもりはない。むしろ、あれだけのリサーチを重ねて欠かさず発信をしている彼らを尊敬している。けれども、メディアのような厳格なチェックが行われているかといったら、おそらくそんなことはないだろう。だからこそ、メディアの情報に信頼性が生まれるといってもいい。

つまり今回取り上げた例のコラムは、「データをたどれば分かったであろう事実を自分たちで調べることもせず」、「SNSを情報のソースにすることはスポニチ社としては問題なしと判断した」結果だと解釈できる。その結果、「青味噌のポストによると~」の一文がコラムの一節に入ったのだ。
これまでスポニチ社が丁寧な取材によって積み重ねてきた信頼。その信頼を、自らの手でぶっ壊したのだ。

多少偏った情報の切り取り方や、選手や首脳陣から見たらいじわるに映る報道など、これまでスポーツ新聞に対してネガティブな印象を抱いたことはあった。とはいえこれらのことは僕自身とメディアの考えが合わなかったがゆえに起きたことだ。納得いかない部分も確かにあったが、ある程度は「そういうもの」として受け入れていた。

だが今回ばかりは受け入れられなかった。プロの報道機関として超えてはいけないラインを超えてしまった。

僕はスポニチから、いち読者として軽く見られているような気がした。「今のお前ならこういう風に書いておけば納得するでしょ」と思われているような気がして、さみしかった。

内田雅也の書くコラムが好きだった。ファンとしてその考えに賛同できないときもあったけれど、鋭い視点はときに僕の野球の見方を広げてくれた。試合の情景が目に浮かぶ表現力に魅了された。心地よい読後感は「よし今日も応援するぞ」という気持ちを奮い立たせてくれた。
あちらはプロ、僕は素人。立場は違えど、同じタイガースのことを書き残す人間として憧れていた。いつかこんな風に自分の考えを入れつつ、タイガースファンの心を動かすコラムを書ける人になりたいと思っていた。

そんな人がコラムでSNSを引用したという事実を、最初は認めたくなかった。だが何度も読むたびに、文章の節々に内田雅也「らしさ」を感じた。これまでたくさん読んできたから分かる。これは正真正銘、内田雅也の名前で発表されたコラムなのだ。その事実が、僕の心に重くのしかかってきた。僕の中で、彼とスポニチへの信頼が崩れていく音がした。

プロって、何なのだろう。
信頼感って、何なのだろう。
記者にとって、僕ら読者はどんな存在なのだろう。

素人である僕は、その答えを聞き出す術を持っていない。

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