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「帰ってきたウルトラマン」のアイデンティティについて

(註)以下の文章は2015年5月に書いたものです。ご了承ください。


「帰ってきたウルトラマン」のアイデンティティについて

 ――あるいはウルトラブレスレットの問題

 円谷プロダクションとTBS製作による特撮テレビドラマ『帰ってきたウルトラマン』は、一九七一年四月から放映が開始された。表題に「帰ってきた」とあるように、製作側の意図としてはかつて大ブームを起こした先行作品『ウルトラマン』(一九六六年)の続編的な意味合いが持たされていたであろうことは想像に難くない。ところが実際に放映が始まってみると、それはかつての『ウルトラマン』とは似て非なるまったく別の作品であることが明らかとなる。すなわちそれは主人公郷秀樹の成長ドラマであり、彼が変身するウルトラマンもしばしば負けたり窮地に陥ったりすることによって成長してゆくという側面が少なからず見られた。これではとてもあのウルトラマンが「帰ってきた」とは言えない。よく知られているように、初代ウルトラマンは最終回でゼットンに敗れるまで無敗だったし、彼は初めから完成されたヒーローとして登場していた。それゆえにその負けが衝撃的だったわけで、いわばウルトラマンは常勝の負けることのないヒーローであったのだが、それに対して「帰ってきた」ウルトラマンは第4話において早くも敗戦を喫し、その後もしばしば敵に逃げられるとか時間切れで消えてしまうとかして、一度では敵怪獣を仕留められない描写が目につく。つまりこれこそが「人間ウルトラマン」路線であり、超人ではなく単に大きな力を得ているだけの人間が、負けることで人間的に成長してゆくというドラマが、縦軸としてはっきりと認められる。それが『帰ってきたウルトラマン』というドラマの特質であることは間違いない。
 具体的に見ていくと、第4話の対キングザウルス3世戦では頭部の前方にバリヤーを張り巡らすことでウルトラマンの攻撃がことごとく防がれ、エネルギーと時間が切れたウルトラマンはいったん消えて、郷秀樹の姿に戻ってしまう。そこで郷が採ったのは人間の姿のままで特訓し、敵のバリヤーを乗り越えるということであった。かくして特訓の成果で見事キングザウルス3世のバリヤーを乗り越え、その発生源である二本の角をキック攻撃で破壊することでウルトラマンは勝利する。ここにあるのはウルトラマンという人間の常識からかけ離れた超人の力ではなく、あくまでも我々普通の人間と同じように努力して結果を得るというプロセスだ。
 そうした路線の是非はともあれ、『帰ってきたウルトラマン』はそうした人間ウルトラマンとしての路線をはっきりと打ち出してスタートした。第2話で郷が慢心に陥るとか、第8話で郷の失敗のために緊急事態が惹き起こされるとかのストーリーは、象徴的にそれを表している。郷の周囲にいる人物たちも、彼にとっての光だったり影だったりして、郷の人間的成長を側面から演出する効果を担っている。だが、作品がほぼ3分の1を消化した時点で、奇妙な現象が出来する。ウルトラブレスレットの登場がそれだ。
 第18話「ウルトラセブン参上!」において、それは成された。防衛組織MATの宇宙ステーションを飲みこむほどの巨大な宇宙怪獣ベムスターが地球に襲来する。郷秀樹はウルトラマンに変身するが、ウルトラマンのスペシウム光線はベムスターの腹部の穴に吸収され無効化してしまう。武器を封じられたウルトラマンは敗走し、自らのエネルギー源である太陽に助けを求めようとする。だが、太陽に近づきすぎてその引力圏に捉えられそうになったウルトラマンを、ウルトラセブンが救う。そして新たな武器ウルトラブレスレットを与えるのだ。地球に戻ったウルトラマンはその新兵器でベムスターを葬り去る。
 このストーリーを見て、どこかおかしいと感じるところはないだろうか。そう、ここにはそれまでしつこいぐらいに主人公郷秀樹の人間的成長を描いてきたはずなのに、またそれを描くには絶好のシチュエーションであるにもかかわらず、あえてそれを描かず、先行ヒーローであるウルトラセブンの登場と彼から与えられた新しい武器によっていとも簡単に窮地を脱してしまう安易さがあるのだ。ウルトラマンがウルトラブレスレットを与えられたこの回は、当時子供たちの間で「ウルトラセブンが登場する」ということで心待ちにされていたエピソードであり、それを演出した立役者である敵怪獣のベムスターもウルトラマンを一度は敗走させた強豪怪獣としてつとに人気が高い。しかしながら人間ウルトラマン路線を掲げ、郷秀樹の人間的成長をこれでもかと描いてきた本作品の路線からすると違和感が残ってしまわざるをえない。それまでと同じように人間として努力して危機を乗り越えるのではなく、先輩ヒーローから新しい武器を与えられることで易々と乗り越えてしまった感がある。少しばかり意地悪な見方をすれば、ウルトラセブンという先輩の威光を借りただけのように見えなくもない。こんなに簡単にあっさりと乗り越えてしまっていいのか。人間ウルトラマン路線はどこに行ってしまったんだという声が聞こえてきてもおかしくはないだろう。
 こうしてウルトラブレスレットを手にしたウルトラマンは、以降それを最大限に活用する。ブレスレット登場後でウルトラマンがそれを使用しなかったケースはほとんどない。それはベムスターを倒した時のように単に武器として使われるだけでなく、マグネドン戦でダムの決壊を防ぐのに使われ、オクスター戦で湖の水を干上がらせるのに使われ、スノーゴン戦では盾に変形してスノーゴンの冷凍光線を弾き返し、レッドキラー戦では相手の武器であるブーメランを捕まえる鞭に変形したというように、様々な場面で応用が利く便利アイテムでもあった。まさにフル活用という感じであるが、いっぽうでそれまでのドラマの主眼であった人間ウルトラマン路線はやや後退したと見なければならない。人間郷秀樹としては相変らず悩み苦しむこともあったが、変身後はそのような描写はほとんどなくなった。ウルトラブレスレットという便利アイテムのおかげでその必要がなくなったのだとも言える(もっとも人間ウルトラマンとしてのドラマの頂点は第37~38話のナックル星人篇にあり、そこではウルトラマンに変身後も変身前の精神的動揺がつづいていた。また、それ以降の第4クールでは郷は完全に独り立ちし、そのことによって人間ウルトラマン路線は自然に収束した)。つまりウルトラブレスレットは作品のテーマである「ヒーローの人間としての成長」をやや見えにくくさせていたとも言えるのだ。
 しかし、いっぽうでウルトラブレスレットはウルトラマンにわかりやすい特徴を与えたという見方もできる。本作品の主役ヒーローであるウルトラマンは当初から非常にわかりづらい立ち位置にあった。『帰ってきたウルトラマン』というからにはあの初代ウルトラマンが「帰ってきた」かのようにも思える。実際このウルトラマンが持っている能力は初代ウルトラマンとそう大差ない。必殺光線も初代と同様スペシウム光線であるし、第3話でサドラを倒した八つ裂き光輪(通称ウルトラスラッシュ)も初代が披露済みだ。外見も似ていて、違うのは体の赤い模様に細く平行するラインが入っていることぐらいだ。ウルトラセブンや後のウルトラマンAやウルトラマンタロウ以降の後輩ウルトラマンたちのような固有の名前を持たない点でも初代と共通している(もっともこれは不便であるとして放映終了から大分経過した頃に「ウルトラマンジャック」という名前が公式に与えられたが、『帰ってきたウルトラマン』劇中ではただ「ウルトラマン」と呼称されるのみであり、作品本放送をリアルタイムで見ていた視聴者でその新しい名を躊躇なく受け入れられる人はほとんどいないだろう)。本放送の段階ではこのウルトラマンは、初代と同一なのかそれとも別人であるのかが非常に曖昧であった。後の研究で明らかになったことだが、当初は本当に初代が「帰ってきた」という設定にしようとしたらしいのだが、それでは玩具販売等で影響が出るということで、初代とは別人であるということにされたらしい。どうも当初は製作側もこのへんを曖昧にしていたようだ。つまりはこのウルトラマンは当初からアイデンティティの混乱が起こっており、それが製作側の都合によるものとはいえ、ウルトラマン本人(?)にとっては不幸なことであったと言える。実際郷秀樹役を演じた団次郎(団時朗)も「僕のウルトラマンには名前がない」という発言をしている。そんな曖昧なウルトラマンに対して、ウルトラブレスレットというそれまでになかった新たな武器を与えることでアイデンティティの統一を図ったのだという見方も出来るだろう。つまり「帰ってきたウルトラマン」といえばウルトラブレスレットというように、ウルトラマンのシリーズを長年追いかけてきた視聴者にとってわかりやすいアイコンが出来上がったのである。
 しかしながら、作品製作開始当初から起こっていたアイデンティティの混乱は、その程度では収まらなかった。先ほど挙げた名前の問題にしても「ウルトラマン2世」「帰りマン」「新マン」といった様々な呼び名が出て来てしばらくの間は統一されていなかった(それを無理矢理にでも統一しようとしたのが、先の「ウルトラマンジャック」という呼称だろう)。また、ブレスレットがなければ基本能力は初代とほとんど変わらないという点も苦しいし、何といってもウルトラブレスレットによってウルトラマンの個性が代表されてしまうというのがこの問題の根深さを表している。実際後にインターネット上のウルトラマンファンたちの間でやや揶揄的に「ブレスレット兄さん」などという呼び名が使われているぐらいで、ウルトラマンそのものでなく単に道具に過ぎないウルトラブレスレットがウルトラマンのアイデンティティになってしまっているようで、それはどうなのかとも思うのだ。
 作品としては人間ウルトラマン路線を打ち出し、それが『A』『タロウ』『レオ』とつづく第2期ウルトラシリーズの基本線となったという意味で意義のあるところを見せた『帰ってきたウルトラマン』だが、肝心の主役ヒーローのアイデンティティ問題については現在に至るまで混乱を来たしたままだ。製作開始当初から初代ウルトラマンとは違う明確に別人格のウルトラマンというキャラクター像を設定していればこんなことにはならなかったはずで、その意味でこのウルトラマンははじめから不幸な生い立ちを背負ってしまっているとも言える。
 いっぽう、ドラマの主眼であった人間ウルトラマン路線は先にもちらっとふれたように第37~38話の前後篇で頂点に達し、それ以降主人公郷秀樹は完璧なヒーローとなって敵の繰り出す様々な策略をことごとくはね返してゆく。そして最終話にあたる第51話において、後の時代を担う世代の代表であろう坂田次郎に対して「ウルトラ5つの誓い」というメッセージを残して旅に出るのだ。
 アイデンティティの問題とウルトラブレスレットの問題に戻ると、当初からあったアイデンティティの混乱がウルトラブレスレットを生み出したとも言えるし、ウルトラブレスレットの登場とその浸透によって当初からのアイデンティティ問題が改めて浮き彫りになったとも言える。またそれが作品のテーマである人間ウルトラマン路線をやや薄味にしているのも見逃せないだろう。『帰ってきたウルトラマン』はこのような弱点をはじめから背負っている作品であって、そういう意味では完璧な作品ではないし傑作でもないだろう。だが逆の見方をすれば、本作品によって途切れていたウルトラシリーズが復活し以降長期シリーズとなることの礎を築いたことは紛れもない事実であるし、この段階でウルトラマンのアイデンティティ問題が発生したことで、後のウルトラマンたちが無用な混乱を招くということはなくなった。当初はこのような長期シリーズとなることを意図していなかったであろうウルトラが(実際『ウルトラセブン』最終回製作の時点でスタッフたちは「ウルトラを製作するのはこれが最後だ」と思っていたらしい)生き延びるための分岐点にあった、それが『帰ってきたウルトラマン』という作品であり、ウルトラマンのアイデンティティ問題はそのような時期に製作されたからこそ発生した問題であったとも言えるのだ。

(2015年5月6日)

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